赤坂派の二代忠正は、父の名と称を継いだ。説明は「赤坂忠正は、庄左衛門と称し同名で初二代いる」とし、文政年間に子孫の忠時が幕府に提出した由緒書により、「初代忠正は明暦三年に歿し、二代忠正は延宝五年に歿したと記されている」とする。古赤坂の上三代の常として、在銘作はない。
本工の名で記録される鐔は二枚である。一は撫角形の槌目地に竹・丁子・鯰を透した鉄鐔で、父子が並んで作鐔した頃の作と判じられ、「二代忠正が初代と共に作鐔していた頃の傑作と推考され、赤坂透鐔全体からみても極めて優れた鐔である」とされる。二は薄に露と三日月の武蔵野を陰陽透に表した鐔で、説明は「本作は二代赤坂忠正と鑑せられる鐔で」と明記し、無駄な肉置きをしない洗練された彫口を賞する。
両作は初・二代に共通する造込みの見処を備え、説明は「上部の尖った切羽台は赤坂初二代の特徴であり、小柄櫃孔にして笄櫃孔が小さいのも初二代の特徴である」とする。ゆえにその手は父の手と並べて読まれ、説明が二代と鑑する作にのみ二代の名を与える。両作とも重要刀装具に指定されている。














