信長は説明書に大和当麻派の刀工と記され、室町初めに越前の浅古へ移住し、同銘が同地で数代続いて、これらを総称して浅古当麻と呼ばれる。当麻派は大和五派の一、当麻寺の刀工で、信長はその柾がかる鋼と沸の刃を北陸へ携えた。地にあって作はもう一つの性格を帯びる。令和五年指定の短刀の説明はそれを名指し、鍛えに「北陸物の特徴と大和気質が看取される」とする。盛業は応永頃に置かれ、指定作は六口、いずれも「信長」の二字銘を負い短刀が圧倒的で、一人の記録された手というより、数代に保たれた北方当麻の作域として知られる。
最も同工を分かつ作は角ばる互の目乱れである。説明書はこれを一文で繰り返し、作風は越前・加州の藤島一派に似て、すなわち「藤島一派に似て」角ばる互の目が多く、「角ばる互の目乱れが多く」と説き、加州藤島の作についても同じ言葉で「角張る互の目乱れが多く」と記す。角ばる刃は小のたれ・小互の目を連れて交わり、刃縁はほつれ・二重刃となって、砂流しが刃中を掃き金筋が入る。第二十四回の短刀は互の目に小のたれを交え、沸厚く砂流・金筋頻りで、説明書は「同工の優れた作である」とする。帽子は流派のもう一つの見どころで、多く掃きかけ、「帽子は掃きかけていることが多い」、小丸あるいは尖りに返る。
この焼刃の下の鍛えは二重に読める。板目に杢・流れ肌を交えて締めるより肌立ち、地沸よくつき地景入り、かねは黒みをおびる。肌立つ黒い地鉄は北陸の血であり、刃寄り棟寄りの柾と直刃の静かな沸が大和の血を残す。第二十五回の小太刀は地に淡い白気風の映りを立て、裏下半に逆ごころを見せて、北方の鋼に古い映りの趣を加える。第六十九回の短刀は地鉄を最も開いて、杢・流れに肌立ち、かねが黒みがかり、その一口に説明書は北陸物の特徴と大和気質をともに看取する。
角ばる常型に対し説明書は穏やかな作域を記し、直刃・浅いのたれもあるとする。第二十二回の短刀は中直刃で、匂口を締めて小沸をつけ、区際に焼込みを見せ、よく鍛えて健全、静かな作域の同派である。第二十四回の脇指は浅いのたれを焼き、ほつれ・二重刃に砂流し・金筋を伴って、説明書はまさにこの作を「のたれの刃を焼いて信長の特色をみせ」と特筆する。二つの作域は終に別ではなく、晩い短刀がそれを示す。表は片切刃造、裏は平造、指表は箱がかる互の目に丁子ごころ、裏は浅いのたれを焼いて、「一口で二様の作域が示された」。六口に年紀なきため、この作風の読みが編年の代わりとなり、室町初期を下らぬとされる小太刀がその拠り所となる。
同工を分かつのは、本歌よりむしろ自身の地刃の見どころである。藤島への類似は確かで説明書も繰り返すが、診断的なのは連れた角ばる互の目とほつれた刃縁、黒みに沈む肌立つ鋼、掃きかける帽子の一群であり、それが北方当麻の作を本国の締まった大和の直刃から分かつ。加州にも同名工があり、説明書は両者の関係は明らかでないと留保する。銘そのものが鑑定で、指定六口すべてが「信長」の二字銘を負い、生ぶ茎四・磨上二、形は多く短刀で、有銘の太刀は稀、「信長有銘の作品はめずらしく」と記される。
指定作は重要刀剣の六口、いずれも重要刀剣の位にとどまりその上の指定はなく、刀剣評価も中位にあって、信長は見出しの名というより目利きの名である。その位置は一腰の名高い拵に拠る。第二十五回の小太刀は、細川三斎所持の信長拵を忠実に写した肥後拵に納められ、中身は磨上ながら二字有銘の太刀で、説明書は「室町初期の時代色をよく示した」と賞し、有銘の太刀の稀少ゆえに一層これを貴ぶ。伝来は他に乏しく、三斎との縁が唯一確かな筋である。私蔵を志す者には数が語る。遺る指定作は文化財として秘されるのではなく重要以下の位にあり、浅古当麻の短刀は手の届かぬものではないが、記録は僅か、市に出ることは稀で、有銘の太刀はなお稀ゆえ、一腰に出会うは忍耐の事である。