NihontoWatch MonNihontoWatchBETA
MarketEncyclopedia
NihontoWatch Mon

NihontoWatchBETA

マーケット
事典
概要·鑑定·指定·伝来·刀姿·銘·系譜·流派
概要鑑定指定伝来刀姿銘系譜流派
  1. 流派
  2. 三原
  3. 古三原
  4. 正廣

Ko-Mihara Masahiro

正廣

特重
巻 8, 番 28 · 刀

Ko-Mihara Masahiro

正廣

評価作品37点

国備後時代Teiji (1362–1368)時代区分南北朝流派三原>古三原伝法大和伝代1st師匠Masaie藤代Jo-jo saku刀工大鑑850(上位11%)種別刀工コードMAS159
1重要文化財
8重要美術品
3特別重要刀剣25重要刀剣

概要

昭和四十八年、第二回特別重要刀剣に指定された「備州住正広」銘の太刀について、説明書は、磨上げながら「地刃の出来が最も優れ、同工の特色がよく示されている」と記す。正広は備後国三原の刀工で、正家と並び、鎌倉時代末期より南北朝期の作を総称する古三原を代表する存在である。「正広は古三原正家の子と伝えられている」が、一説には門人ともいう。しかし説明は繰り返し年代を逆転させ、「作刀上からは正家よりも正広の方が古調である」とし、在銘作も正広の方が多く現存するという。銘鑑では「備後に同名を六人挙げ」、年紀は貞治三年(一三六四)に始まって至徳・嘉慶・応永に及ぶが、現存する年紀作は稀有で、僅かに至徳及び応永等が知られるのみであり、「応永は二代とみられている」。指定の上でも同名は一括して扱われ、年紀作がその定点をなす。

作風は備後の地鉄にあらわれた大和気質である。同国には東寺や蓮華王院など畿内中央の社寺の荘園が多く、大和との交流が頻繁であったとみられる。説明の定型句は、大和本国との分かれ目を一文で示す。「大和本国のものに比べては、地刃の沸が弱いのが通例で、鍛えが杢立ち、白け映りが目立ち、刃文は匂口が締まりごころの直刃で、帽子も穏やかに丸く返る」。白け映りは現存作の半ば近くに立ち、帽子は焼詰めとならず小丸に穏やかに返って掃きかけ、鍛えは流れて肌立ちながら柾には徹しない。

鍛えは板目に杢・流れ肌を交えて処々肌立ち、地沸が微塵につき、地景・地斑が入る。刃文は中直刃乃至直刃調に小互の目・小乱れを交え、小足・葉がよく入り、刃縁は細かにほつれ、金筋・砂流しが働き、匂口は締まりごころ乃至沈みごころに小沸が厚くつく。作域は二様である。在銘の太刀は磨上が多いが生ぶ茎も存し、銘は細鏨で大振りに切り、初代は必ず「備州住」と切って「備後国住」とは切らない。稀に「正広作」の三字銘・二字銘があり、三字銘の太刀は最も古調で、一口は室町時代の押形集『往昔抄』に茎が載せられ、古三原の代表的なものと記される。他方は三原正広に極められた大磨上無銘の刀で、金象嵌銘で定まるものが数口あり、南北朝姿のものは身幅広く大鋒で、「もとは三尺に近い太刀であった」とみられる一口もある。

一作風の内にも別趣の類が立つ。至徳元年(一三八四)紀の長銘太刀は長寸で、総体によく沸づき、上半に湯走りが強くかかって二重・三重刃風となり、棟焼きもかかって、「同作中にあって地刃の沸の強い作風を示している」と記され、後年の説明は南北朝末期の三字銘太刀にも同趣の湯走り・二重刃を見出して両者の類似を興味深いとする。応永年紀の作は二代と読まれ、隣国の気質へ寄る。応永六年(一三九九)紀の太刀は「一見山城国来派の作に見紛う作風」で、やや先反りのつくところのみが時代を語る。応永二十二年(一四一五)紀の「備後国住正広」銘の刀は備中青江に寄り、直刃に逆がかる乱れを交え、地には乱れ映りが立って地斑が入り、「帽子は返りを滝落し風に深く焼下げる所謂三原帽子となっている」。同じ頃の寸延短刀は「一見同国の法華兼安あたりをおもわせる出来」と記される。青江との近さは古い指摘で、室町期の『新刊秘伝抄』は早くも「面ぶり備中太刀に似たり」と述べている。

同派のいま一人の大工正家との分かれ目は、刃中に引かれる。本間順治の談に「正家の刃文は殆ど整然たる直刃であるが、正広には多少乱ごころのもの、刃中の働きが多いものが多く」とあり、帽子も正家の如く丸く尋常とは限らず、乱ごころ・沸崩れごころのものもある。姿でも「正家に大鋒の作品が多いのに対し、正広には比較的鋒の尋常な作が多く見受けられる」。一派の流れは室町時代末期にまで及び、極め物の側の返りの深い帽子は、金象嵌銘の刀として重要文化財に指定される名物大三原に拠り所をもつ。説明書は「名物大三原の如く目立って返りが深いものを見る」とこれを引く。

藤代の極めで上々作。公の指定記録に三十七口を数え、重要文化財一口(名物大三原)、特別重要刀剣三口、重要刀剣二十五口、重要美術品八口、うち在銘二十六口・無銘七口で、ほかに金象嵌銘の四口がある。伝来の録された七口には、近衛文麿公旧蔵で現在は京都の陽明文庫に伝わる「備後住正」銘の重要美術品太刀や、浅野紀伊守を経た一口がある。重要文化財は永く公の財として伝えられ、所在の知られる所蔵には東京国立博物館・塚本美術館・陽明文庫があり、残りは私蔵にある。蒐集家が現実に出会いうるのは特別重要・重要の二十八口であるが、市に現れることは多くない。細鏨大振りの長銘を負う在銘太刀は一派の編年の拠り所そのものであり、特別重要刀剣の説明書が作品のみならず「屈託のない穏やかな銘字も魅力である」と結ぶ通りである。

鑑定

典型=大和気質の直刃出来一作風を、在銘の磨上太刀と大磨上無銘の極め物の刀との二つの作域で展開する。傍らに、至徳頃の湯走りが二重・三重刃を成す沸の強い一類と、応永二代の隣国気質(来風の地鉄、逆がかる乱れと乱れ映りの青江風、返りを深く焼下げる所謂三原帽子)が立つ

正広は正家と並んで、鎌倉時代末期より南北朝期にかけての備後三原派、いわゆる古三原を代表する刀工である。銘鑑では備後に同名を六人挙げ、年紀は貞治三年(一三六四)に始まり至徳・嘉慶・応永に及ぶが、応永のものは二代とみられ、現存する年紀作は稀有で、僅かに至徳及び応永等が知られるのみである。所伝では同派の祖正家の子または門人とするが、現存する在銘作からはむしろ正広の方が古調と説明は指摘する。備後国には畿内中央の社寺の荘園が多く、その作風は備後の地鉄に大和気質をあらわしたもので、流れごころに肌立つ板目に直刃調の刃文を焼く。ただし大和本国のものに比べては地刃の沸が弱く、匂口は締まりごころで、地には白け映りが立ち、帽子は焼詰めとならず穏やかに丸く返る。銘は細鏨で大振りに切り、初代は必ず「備州住正広」と切る。

鑑定の決め手

手掻包永にはない特徴

逆方向の分かれ目。大和を定義する焼詰め帽子は四十口中〇口で、手掻包永の三八%・尻懸則長の二四%と対照する。帽子は小丸に返り(五五%)、しばしば掃きかけ、説明の定型句自身が「穏やかに丸く返る」点を一派の特色と読む

流れて、しかし柾に徹しない鍛え。流れ肌は現存四十口の三八%に対し、大和本国の二工は〇%で、彼らの流れは端から柾ごころ(包永四〇%・則長三六%、当工は一八%)に行く。流れて肌立ちながら柾に至らぬ板目は、大和より三原を語る

作風の変遷

典型(備後における大和気質の直刃出来)

四十口の主流をなす、鎌倉末期から南北朝中期の作域。姿は身幅頃合の太刀で腰反りがつき、鎬高く、生ぶの作には踏張りごころがある。鍛えは板目が流れ、刃寄りは時に柾がかり、処々肌立ち、地沸が細かにつき、地景・地斑を交え、現存四十口の半ば近くに淡い白け映りが立つ。刃文は中直刃乃至直刃調に小互の目・小乱れを交え、小足・葉が入り、刃縁は細かにほつれ、時に打のけがかかり、金筋・砂流しが働き、匂口は締まりごころ乃至沈みごころに小沸がつく。帽子は直ぐに穏やかな小丸に返り、しばしば掃きかけ、まま返りを深く焼下げるものがある。説明はまさにこれらの点で三原極めを定め、沸の弱さ、匂口の締まり、白けた地を大和本国との分かれ目と読む。

姿 Sugata
地鉄 Jigane
刃文 Hamon
帽子 Bōshi
大磨上無銘・極めの作域— 三原正広・古三原正広に極められた大磨上無銘の刀。金象嵌銘で定まるものが数口ある。南北朝姿のものは身幅広く大鋒で、もとは三尺に近い太刀であった
在銘太刀の作域— 在銘の太刀(磨上が多いが生ぶ茎も存する)。細鏨大振りの「備州住正広」長銘で、初代は備後国住と切らない。稀に「正広作」三字銘・二字銘があり、三字銘のものが最も古調である

至徳頃の沸の強い一類

確証はやや弱い至徳元年(一三八四)紀の長銘太刀と、説明がこれに結びつける作。長寸で上半に湯走りが強くかかり、二重・三重刃を成し、棟焼きもかかる

説明自身が切り出す少数の一類。至徳元年紀の太刀では、刃文は直刃調に小互の目ながら総体によく沸つき、上半は湯走りが強くかかって二重・三重刃風となり、棟焼きもかかる。同作中にあって地刃の沸の強い作風を示すものと記される。後年の説明は南北朝末期の三字銘太刀を同趣とみて、焼刃に沿って断続的に湯走りがかかり、物打辺に二重刃を形成する点を挙げ、両者の作風の類似性が興味深いとする。

刃文 Hamon

応永二代(隣国気質の作域)

確証はやや弱い応永年紀の作。説明は応永を二代とみる。応永六年(一三九九)紀の太刀と応永二十二年(一四一五)紀の刀があり、後者は「備後国住正広」と切る(初代は備州住とのみ切る)。先反りがつくのが時代色である

応永年紀の作は二代と読まれ、隣国の気質へ寄る。応永六年紀の太刀は地刃の出来がよく、一見山城国来派の作に見紛う作風と記され、やや先反りのつくところのみが時代を語る。応永二十二年紀の刀は逆に備中青江に寄り、直刃に逆がかる乱れを交え、地には乱れ映りが立って地斑が入り、帽子は返りを滝落し風に深く焼下げる所謂三原帽子となる。同じ頃の寸延短刀は頭の丸い小互の目が連れ、同国の法華兼安をおもわせると記される。三作とも底には同派の直刃の規矩が通っている。

地鉄 Jigane
刃文 Hamon
研究

銘鑑では備後に同名を六人挙げ、貞治年紀をはじめとして至徳・嘉慶・応永・文明・永正の各制作年紀を表示するが、現存する年紀作は稀有であり、僅かに至徳及び応永等が知られるのみである。

応永のものは二代とみられている。

正家の子または門人とする所伝に対し、説明は作刀上からは正家よりも正広の方が古調であるとする。

室町期の『新刊秘伝抄』は早くも「面ぶり備中太刀に似たり」と指摘しており、説明は今もこの青江との近さを鑑定に用いる。

初代は必ず「備州住」と切り、備後国住とは切らない。現存四十口中唯一の「備後国住正広」は応永二十二年紀の二代の刀である。

返りを滝落し風に深く焼下げる帽子は所謂三原帽子と呼ばれ、説明は極め物の側でこれを見どころに挙げる。

指定

国宝—
重要文化財1
重要美術品8
御物—
特別重要刀剣3
重要刀剣25

名工ランク

0.55 (指定作品37点)

刀工の上位5%

伝来

伝来記録8件 の鑑定作品における Masahiro

伝来ランク

名家所蔵1点、伝来記録8件

刀工の上位53%

素点:1.96 / 10

刀姿

評価作品37点の分布

銘

評価作品37点の銘の種類

販売中

系譜

師匠Masaie
Masahiro

Ko-Mihara派

Ko-Mihara派の他の刀工

  1. 1.正家Masaie30指定
  2. 2.助國Sukekuni2 販売中23指定
  3. 3.兼安Kaneyasu12指定
  4. 4.正信Masanobu2 販売中4指定
  5. 5.正宗Masamune1指定
  6. 6.政清Masakiyo1指定
  7. 7.共重Tomoshige1指定