宝徳元年十月、すなわち一四四九年の年紀をもつ清則の太刀は、備前国吉井藤原清則と完備した銘を切り、その人と一族と手を授けた一派とを一度に名のる。清則は備前吉井派の刀工で、室町時代中期にかけて活躍し、その年紀作は永享三年(一四三一)から嘉吉・文安・宝徳・享徳を経て一四五〇年代後半に及ぶ。銘鑑は本工を二代清則とし、吉井派吉則の子と伝え、後に出雲へ移ったと記す。その作は、備前後期の歴史の中で特異な位置を占める一派の標準的な姿である。吉井派は鎌倉後期の為則を祖として始まると伝えるが、その頃まで遡る作は稀有であり、南北朝を降らぬ作を古吉井、室町期のものを吉井と区分する。他の備前諸派が長船の大工房に統合される中で、吉井派のみが独自の作風を保って続き、清則はその作風を読むための在銘・年紀の手の一人である。
本工を決するのは、規則的に連れる小互の目である。説明書は端的に、この一派の作風がとりわけ整然と連れる小互の目の刃にあるとし、「小互の目が規則的に連れる」と記すが、清則の刀はこれを背骨として備える。やや肌立つ板目の上に小沸でこの刃を焼き、尖り刃・角がかる刃を交えて尖りごころを生み、腰元やや小乱れ風となり、足入り、匂口は柔らかく明るい。最上の年紀作では刃に砂流しがかかり、佩表上半に湯走り風が入り、小互の目の連れが刀身の全長を一定の反復する調子で走る。これが一派の見どころとなった。吉井の刀を分かつのは華やかさでも大きさでもなくこの整然たる連れであり、清則の手はそれを明快に表す。銘は説明書が一派の見どころに数える癖、すなわち逆鏨を多用して切られ、銘字までもが吉井の標を帯びる。
刃の下の地鉄は、杢を交えてやや肌立つつんだ板目で、地沸細かに厚くつき、地景が入る。その上に清則は、一派のもう一つの大きな見どころである映りを立てる。それは独特なもので、説明書はあたかも焼刃の形をそのまま地に映し出したようだと評し、「その刃文の形をそのまま地に映し出したような、一派特有の映り」と記す。典型作ではこの乱れ映りが鮮明に立ち、一般の備前の映りのように漂うのではなく、上の刃文の形を地に呼応させる。この地刃を載せる姿は、鎬造・庵棟の太刀で、身幅尋常に元先の幅差つき、重ねやや厚く、反り深めに先反りつき、中鋒となり、表裏に棒樋を彫って区元に止める。帽子は乱れ込んで小丸に返り、時に先尖りごころ・地蔵風となって、刃文の乱れをそのまま鋒へ追う。
清則は一つの作域に留まらない。説明書は吉井派の記録の中にもう一つの面、すなわち僅かに小互の目を交えた細直刃を挙げ、本工はこれをも明快に手がける。享徳の太刀は鎬造・三ツ棟に造り、地は小板目つみて地沸つき映り立ち、刃文は細直刃に僅かに小互の目を交え小沸つく。文安の脇指は平造、身幅広く寸延びごころに殆ど無反り、地は板目肌のよくつんで白け、刃文は同じく細直刃に僅かに互の目を交え、小足入り小沸つき、直ぐに小丸となり、表は櫃の中に倶利迦羅を浮彫とする。説明書はこの細直刃を逸脱ではなく、連れた互の目を騒がしい半面とすれば、その静かな半面として、同じ作風のもう一つの記録された面とする。その作はまた年代が明確で、銘は二十余年に亙り、説明書は年紀作を同工を研究する上での好資料とする。
この作群の中で一口が際立つ。説明書が清則の頂点として挙げる文安の脇指である。その鍛えは小板目に板目を交えて地景・地沸を交え、乱れ映り風が立ち、刃文は小互の目に小足入り、やや逆がかって乱れ、匂勝ち小沸つく。説明書はこれを鍛えよく、室町期の吉井物にしてはよく沸づいているとし、「脇指姿の点を除けば古吉井の作域にせまる出来ばえで見事である」と評する。この対比こそ本工の尺度である。記録の大半は一派を見分けさせる平明な反復の作であるが、最上の作では本工の手がより古く精緻な吉井の基準へと届く。重ね厚く匂口柔らかく逆鏨を切ったその顕著な代表作を、説明書は一派の性格が最もよく表れる典型とし、「銘字には逆鏨を多用しているなど、吉井派の特色が顕著に表れた典型作」と記すが、この一口の脇指はその性格がどこまで押し進められ得たかを示す。明るい乱れ映りと連れた小互の目と逆鏨の銘とが、長船に統合された周囲の諸派の中で本工の作を備前のうちに際立たせ、独自の一線を保つ。
清則の位置は、名高い鎌倉の名工というよりは、記録の明確な室町の上手であり、その作はことごとく重要刀剣の格に収まる。藤代は本工を中作と評する。八口が重要刀剣に指定され、昭和四十二年(一九六七)の第十五回から令和三年(二〇二一)の第六十七回に及ぶ各回に亙って認められており、半世紀の審査を通じてその作が着実に評価されてきたことを示すが、いずれもその格を超えるものはなく、国宝・重要文化財はその中にない。太刀・脇指の双方があり、ことごとく在銘で多くは年紀をもつため、求める者は年代まで定め得る工に出会う。これは室町備前の手にとってそれ自体が一つの魅力である。所在の知られるものでは重要刀剣の太刀の一口が靖國神社に納まり、他は私蔵・愛蔵家の手を経る。在銘年紀の吉井清則は、大鎌倉の刀のように手の届かぬものではなく、時に市場に現れ、後期備前の連れた小互の目と映りに惹かれる収集家にとって、その年紀作の太刀は吉井の作風をその最も明快な姿で手にする、比較的求めやすい道の一つである。