貞治五年二月、すなわち一三六六年の年紀をもつ景則の短刀は、備前国吉井住景則と完備した銘を切り、「景則」の二字を第二目釘孔の左右に細鏨で切り分け、年紀を裏にかけて記す。景則は備前吉井派の刀工で、吉井川をへだてて長船村と相対する吉井に在住した一派に属し、その在銘・年紀の作は鎌倉末期から南北朝期にかけて嘉暦・貞治・観応・永徳その他の各代にわたる。同派の諸工の中で本工の名跡は最も長く続き、説明書は吉井の刀工のうち「名跡が最も長く続いている」のが景則であるとし、「一説に吉井の嫡流」とも伝え、一派の本流とする。吉井派は鎌倉末期の為則を祖として始まると伝えるが、その頃まで遡る作例は稀有であり、南北朝を降らぬ作を古吉井、室町期のものを吉井と区分する。他の備前諸派が長船に統合される中で、吉井派は独自の作風を保って続き、景則はその作風を最も明快に読むための在銘・年紀の手である。
本工を決するのは、やや肌立つ板目の上に規則的に連れて焼かれた互の目である。説明書は一派の見どころを端的に、その作風が何よりも整然と反復して連れる互の目にあるとし、景則の刀はこれを背骨として備え、尖り刃を交えて尖りごころを生み、鎌倉末期の太刀では丁子乱れと僅かな逆ごころを交える。その刃を長船の匂出来ではなく沸出来とし、小沸つき、足入り、砂流しかかり、刃中に金筋があらわれる。この沸は偶然の働きではない。身幅広く反り深く踏張りのある一口の太刀には、大振り二字の銘振りと刃中の強い沸とを通じて、「刃中の沸が強い出来に古備前の面影を見」るとし、伊達家旧蔵の大振り太鏨の景則太刀が古備前と極められたことを記す。吉井の刀を分かつのは大きさの華やかさではなく、この整然たる連れと沸づいた刃であり、説明書はその作風の強さゆえに後代のものが往々美濃物と誤鑑され易いと注する。
刃の下の地鉄は、やや肌立つ板目に大板目を交える地で、地沸つき、短刀では板目がよくつみ地沸微塵につき地斑状の肌合を大きく交える。数口にわたって景則は、一派のもう一つの大きな見どころである映りを立てる。それは独特で、説明書は「刃文の形がそのまま影になったように見える」ものと評し、焼刃の形がそのまま地に影として現れる。小太刀ではこの乱れ映りが鮮明に立ち、一般の備前の映りのように漂うのではなく、上の刃文の態を地に呼応させる。この地刃を載せる姿は本工の作の中で幅があり、鎬造・庵棟の太刀は身幅広く反り深く踏張りつき中鋒となり、小太刀は頃合に造り、南北朝の年紀作では身幅広く重ね薄い寸延びの平造の脇指・短刀となる。帽子は刃文をそのまま鋒へ追い、太刀では乱れ込んで小丸に返り、小太刀では直ぐに丸く返り、短刀では裏の沸むらが地にこぼれて湯走り風となる辺りで先突き上げて尖りごころに返る。
景則は一つの作域に留まらない。連れた互の目と並んで、説明書は小太刀と貞治年紀の短刀に、より静かな直刃調の面を見出す。すなわち直刃を基調に浅くのたれを交え、そこに互の目・小互の目が同じ規則的な連れの態で交じり、なお吉井の特徴が窺える刃である。短刀では総じて連れ気味となり、足入り僅かに葉を交え、小沸よくつき、処々沸むらとなって裏は地にこぼれ、総体に細かな金筋・砂流しがかかる。説明書はこれを一派には異色の焼刃としつつ、紛れもなく同派のものとする。その作は年代が明確で、貞治三年の脇指・貞治五年の短刀をはじめ、説明書は年紀作を同派及び同工を研究する上で貴重な資料とする。長銘「備前国吉井住景則」は年紀作とともに貞治・観応・永徳・応永・正長へと続くと記され、その名は鎌倉末期から室町中期まで一派の縦糸として連なる一方、弘安年紀の書下し銘の太刀二口については、これを吉井と見るか否か、説明書は問いを開いたままとする。
景則の研究は、多くの工にもまして、名跡そのものの研究である。その名は一人の手によらぬからである。下の銘を切り去られた早期の一口の太刀について説明書は、鎌倉時代の吉井派の作である点に異論はないとしつつ、「景則でなければならぬと云う極め手はない」と注し、古吉井派の代表的且つ典型的な一刀として示す。小太刀についてはさらに読み込み、地刃の沸と豊かな金筋・砂流しから、「初・二代を下らない」景則の作と極める。明るい乱れ映りと連れた互の目と沸づいた刃とが、長船に統合された周囲の諸派の中で本工の作を備前のうちに際立たせ、独自の一線を保ち、強い沸を通じてその名を同時代の長船本流ではなく最も古い備前へと結びつける。
景則の位置は、名高い鎌倉の名工というよりは、記録の明確な古吉井の手であり、その作はことごとく重要刀剣の格に収まる。六口が重要刀剣に指定され、昭和三十九年(一九六四)の第十二回から平成十六年(二〇〇四)の第五十回に及ぶ各回に亙って認められており、四十年の審査を通じてその作が着実に評価されてきたことを示す。いずれもその格を超えるものはなく、国宝・重要文化財はその中にない。太刀・小太刀・脇指・短刀があり、ことごとく在銘で数口は年紀をもつため、求める者は年代まで定め得る工に出会う。これは南北朝備前の手にとってそれ自体が一つの魅力である。所在の知られるものでは、第十二回に指定され佐野隆の所蔵であった重要刀剣の太刀が今は佐野美術館に納まり、他は岡山・宮崎・北海道・長野・東京の私蔵・愛蔵家の手を経る。在銘年紀の吉井景則は、大鎌倉の刀のように手の届かぬものではなく、時に市場に現れ、古吉井の連れた互の目と沸づいた刃と映りに惹かれる収集家にとって、その年紀作はその一派の作風を最も明快に、また最も正確に知り得る姿で手にする、比較的求めやすい道の一つである。