
刀/伊賀守藤原金道
売却済
世界81社の刀剣商を横断追跡 · 価格履歴 · 売却アーカイブ
Bunroku-Kanei (1593-1629)
仕様
70.7 cm
1.8 cm
3.4 cm
2.5 cm
金道家は美濃国の志津三郎兼氏九代孫と称する兼道から起こり、京へ移住して三品鍛冶の筆頭として繁栄。晩年には徳川家康の働きかけで朝廷より鍛冶宗匠の任を受け、刀工受領の際はすべて金道家の手を通じて行う、言わば全国の刀匠頭としての栄誉を得る。二代目以降は菊御紋と日本鍛冶宗匠を茎に切り、代々これを踏襲し幕末まで続いた名家。 本作は身幅たっぷりとした金道三代目。定寸で反り格好も良く、研ぎ減りのない健全な状態。地鉄は小板目肌が良く詰んで、大阪風の澄んだ鍛えは地沸と地景ついて清涼。小沸出来の互の目乱れ刃文は緩やかな高低差があり、所々飛焼きが働いているが全体に落ち着きがある。帽子も焼き幅たっぷりで掟通りの三品帽子。生ぶ茎には菊紋と銘、裏には鍛冶惣匠と個銘。下方の控え穴はズシリとくる目方を支えるためのもの。晩年の享保七年には幕府の命により江戸浜御殿(浜離宮)で鍛刀するなど、最後まで活躍を続けている。 付属の打刀拵は江戸後期の作で、鮫皮と鉄紺色の柄巻にやや傷みがあるも当時のまま残る。四分一磨地の縁頭に赤銅地夫婦虎図目貫、大振りな鉄鐔は南蛮風で雨龍の図柄。鞘は黒呂色で縁頭と一作の四分一地小尻がつく。特別保存刀剣鑑定書附。

売却済
世界81社の刀剣商を横断追跡 · 価格履歴 · 売却アーカイブ
Bunroku-Kanei (1593-1629)
70.7 cm
1.8 cm
3.4 cm
2.5 cm
金道家は美濃国の志津三郎兼氏九代孫と称する兼道から起こり、京へ移住して三品鍛冶の筆頭として繁栄。晩年には徳川家康の働きかけで朝廷より鍛冶宗匠の任を受け、刀工受領の際はすべて金道家の手を通じて行う、言わば全国の刀匠頭としての栄誉を得る。二代目以降は菊御紋と日本鍛冶宗匠を茎に切り、代々これを踏襲し幕末まで続いた名家。 本作は身幅たっぷりとした金道三代目。定寸で反り格好も良く、研ぎ減りのない健全な状態。地鉄は小板目肌が良く詰んで、大阪風の澄んだ鍛えは地沸と地景ついて清涼。小沸出来の互の目乱れ刃文は緩やかな高低差があり、所々飛焼きが働いているが全体に落ち着きがある。帽子も焼き幅たっぷりで掟通りの三品帽子。生ぶ茎には菊紋と銘、裏には鍛冶惣匠と個銘。下方の控え穴はズシリとくる目方を支えるためのもの。晩年の享保七年には幕府の命により江戸浜御殿(浜離宮)で鍛刀するなど、最後まで活躍を続けている。 付属の打刀拵は江戸後期の作で、鮫皮と鉄紺色の柄巻にやや傷みがあるも当時のまま残る。四分一磨地の縁頭に赤銅地夫婦虎図目貫、大振りな鉄鐔は南蛮風で雨龍の図柄。鞘は黒呂色で縁頭と一作の四分一地小尻がつく。特別保存刀剣鑑定書附。

売却済
世界81社の刀剣商を横断追跡 · 価格履歴 · 売却アーカイブ
Bunroku-Kanei (1593-1629)
70.7 cm
1.8 cm
3.4 cm
2.5 cm