説明

箱書(賜 昭和二十一年丙伊戌五月吉日 第一次内閣総理大臣 吉田茂閣下 大分県佐伯町一八八〇番地衆議院議員勲二等。建設大臣 村上勇拝領家宝之一) 博物館に収蔵すべき歴史的な脇差が出現しました。偉大な政治家吉田茂閣下の愛刀がここによみがえりました。内閣総理大臣を5回務め、強いリーダーシップと優れた政治感覚で戦後の混乱期にあった日本の繁栄の礎を築いた偉大な政治家です。風貌と葉巻をこよなく愛したことから愛情を持って「和製チャーチル」とも尊称されました。村上勇閣下は自由民主党衆議院議員、第三次鳩山内閣で郵政大臣、第二次岸内閣で建設大臣、三木内閣でも郵政大臣を務めました。有名な村上派の領主です。本脇差は吉田茂閣下の愛刀を見込んで村上勇閣下に贈呈した歴史的な脇差です。一竿子忠綱は大坂新刀の一流代表刀工です。本脇差は元禄7年(1694年)(329年前)の作で赤穂浪士の討ち入りの8年前、水戸光圀候が南朝の功臣楠木正成公の碑を神戸湊川に建てた2年後の古い古い時代の脇差です。姿は元重ねの厚く元身幅広く先身幅との差の有る豪壮な脇差姿を現し、地金は小板目肌良く詰んだ大坂地金を鍛え素晴らしく澄んだ地金を作って見事です。刃紋は匂い出来に沸の付いた直調の大坂焼き出しを焼き、忠綱の有名な明るい覇気有る互の目丁子刃を焼き素晴らしく良く出来ています。拵えも大名の登城用脇差と言われる家紋付きの金具と黒ロー鞘の付いた拵えが本脇差に一層華を添えています。本脇差が作られて90年後の江戸時代の天明4年3月24日(1784年)殿中に於いて老中田沼意次の子、若年寄田沼意知が新番士佐野善左衛門政言にこの粟田口近江守忠綱の脇差で切り付けられ落命、天明の飢饉で高騰していた米価がその為に急落した為に佐野氏とこの粟田口近江守忠綱の脇差が世上「世直大明神」として讃えられ、それまで以上に一竿子忠綱の脇差の人気が高まり価格も高騰した歴史上有名な出来事でした。津田越前守助廣や井上真改とともに江戸時代より特別に高価な脇差で高級武士でなければ持てなかったものです。吉田茂閣下もその「世直し大明神の」の故事に倣い本脇差を大切にしていた事でしょう。戦後の激動の歴史を今日に伝える粟田口近江守忠綱の大坂新刀の代表刀工の脇差を是非にお楽しみ下さい。

粟田口近江守忠綱 元禄七年八月日(一竿子忠綱)(吉田茂閣下の愛刀) Awataguchi Ominokami Tadatsuna(Ikkanshi)
Tokuho

粟田口近江守忠綱 元禄七年八月日(一竿子忠綱)(吉田茂閣下の愛刀) Awataguchi Ominokami Tadatsuna(Ikkanshi)

脇差

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仕様

長さ

53.1 cm

反り

1.6 cm

元幅

3.09 cm

先幅

2.03 cm

作者について

Shinto Tadatsuna忠綱

1 重要文化財3 特別重要刀剣49 重要刀剣

一竿子忠綱は二代粟田口近江守忠綱、初代近江守忠綱の子で、元禄期を代表する大坂の刀工の一人である。説明書は、通称を万太夫といい、父を継いで二代目の近江守を受領し、粟田口国綱の後裔と称して銘に粟田口を冠し、元禄二年頃より一竿子と号し始めたと記す。当時の大坂を代表する工の一人で、その作はまさに「地刃の華麗と彫刻の装飾美を以て名高い」。初期の作風は父に近く、その記録の中心は、自らの彫の場を兼ねた身幅広い在銘年紀の刀にある。 本工の特色はまず刃文に読まれる。よくつんだ小板目に、元を直ぐの焼出しに起こし、相関わる二様を焼く。古く受け継いだものは、焼頭のよく揃った足の長い丁子で、初代の得意とした作域そのものであり、長い丁子の足が入り、その足を砂流し・金筋が切って入る。説明書は本工を「父に優る名手で」と評し、その違いを的確に指す。初代の丁子が揃って堂々たるのに対し、二代は匂深く、匂口明るく、小沸のよくつくところで、これを出藍すなわち藍より出でて藍より青しと呼ぶ。 円熟の最も個性的な手は濤瀾乱れ、すなわち収集家のいう簾刃である。説明書はこれを津田助広の系に結びつけ、ある脇指において「得意の津田風の濤欄刃をやき」と記す。よくつんだ小板目に地沸が微塵に厚くつき地景細かに入る地に、浅いのたれを基調として互の目・丁子風を交え、これが大きく波打って濤瀾となり、なお長い丁子の足が入り、匂深く小沸厚くつき、砂流し・金筋頻りにかかり、匂口明るく冴える。帽子は浅くのたれ込んで小丸、掃きかける。穏やかな直刃も数口に残り、三つの面のうち最も静かで稀なもので、同じ明るい小板目の地に焼かれる。 その地鉄は三様すべての底に変わらず通う。鍛えはよくつみ細かによくつんだ小板目で、地沸が厚く、最上手には微塵につき、細かな地景が地を走り、地鉄は明るく冴える。素朴な地ではなく、よく出来た大坂の地であり、刃も彫もこの地の上に置かれる。剣書は本工の作域を、初代に倣う揃った丁子、濤瀾、そして稀な直刃とし、いずれも大坂の長い直ぐの焼出しより起こすとする。 地刃のいずれの特徴にもまして本工を分かつのは彫である。説明書はその刀身彫刻を一竿子彫として賞玩し、「出藍の誉高く」、また「殊に刀身彫刻は巧みで一竿子彫として賞玩されている」と記す。櫃中に真の倶利迦羅を浮彫にし、梅倶利迦羅、玉追龍、そして鯉の滝上りを彫った。鯉の滝上りは本工が初めて試みたものと思われ、説明書は「同作中でも本刀以外には未見である」とする。彼は大坂の彫物師藤田通意と関係が深く、「彫同作」と添銘して彫を自身の手と示した。これは初代には全く見られないところで、新刀彫刻に一種の型をつくったものである。 収集の観点では、一竿子忠綱は大坂新刀の主要な名跡で、その作はなお求め得るが、最上のものは商われるより蔵される。藤代の極めは上々作。国宝はなく、その記録は重要刀剣に数多く、特別重要刀剣に数口が及び、長銘の大太刀は重要文化財に達する。説明書はある特別重要刀剣の刀を、最も油ののった時代の代表作で地刃の出来に優れるとし、その一竿子彫を一段と見事とする。特別重要刀剣・重要刀剣の級にはおよそ五十二口が立ち、京都国立博物館に蔵される一口があり、浅井家に伝来した記録のある一口がある。在銘年紀で数も相応に残るため、忠綱は同格の大坂の名手のうちでは比較的世に出やすいが、自らの一竿子彫を帯びた年紀の刀は出れば見ものであり、鯉と倶利迦羅を本工自身が彫った最上のものは、大坂彫刻の極盛を語る証である。

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