説明

出ました出ました貴重な備中水田鍛冶の祖左兵衛国重の子である大月三郎兵衛国重の名脇差が出ました。時は慶長18年(1613年)(412年前)徳川家康と豊臣秀頼の大決戦の大坂冬の陣が起こる一年前の貴重な慶長年紀入りの作品です。備中呰部(あざえ)は現在の岡山県真庭市にあり岡山市を貫く旭川の上流に有ります。備中国重鍛冶は毛利家の備中高松城下で大いに繁栄します。本大月三郎兵衛国重の子が有名な大月与五郎国重であり新刀相州伝でその名を天下に広めた名工です。本脇差はその相州伝のお手本になったと言っても良い名脇差です。姿は元身幅広く先身幅も広い反りの有る豪壮な平造の脇差姿を現し、地金は板目肌に力強く鍛え地には地沸や地景を現し、刃紋は匂い深く小沸や荒沸を多く付け互の目刃や丁子刃や尖り互の目刃を焼き地には飛び焼きを多く焼き皆焼刃(ひたつらは)となり素晴らしく激しい相州伝の見事な脇差となっています。長男の大月与五郎国重と次男の市蔵国重との親子三人の合作もある超有名刀匠ですが、現存作が極端に少ないのは江戸時代には相州秋廣や相州廣光等の作品に直されて大名家伝来の品になっている為です。この度古いお数寄者様からもっと良い研ぎをして頂けますと秋廣や廣光の作品に負けない迫力の有る名脇差ですので大切にして頂ける方にお安くお譲り下さいとお預かりした為に特別に格安にてご提供いたします。是非相州伝で天下に有名になった国重の脇差をお楽しみ下さいませ。

備中呰部住国重作 慶長十八年二月日 Bicchu Azaeju Kunishige

備中呰部住国重作 慶長十八年二月日 Bicchu Azaeju Kunishige

脇差

¥650,000

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仕様

長さ

37.8 cm

反り

0.7 cm

元幅

3.26 cm

先幅

1.93 cm

流派について

Mizuta School水田派

水田派は、室町時代末期の備中国に現れ、国重の名を代々受け継いだ一派である。松山、呰部、井原、荏原、新見など備中各地に拠を構えて作刀し、その勢いは古刀期から新刀期にまで及んだ。説示によれば、新見の国重は銘鑑により備後から備中新見荘に入り、後に松山城主三村家の刀工となったとされ、ほかに備後福山や河波でも作刀した工が知られる。新見住三郎左衛門尉国重、井原住の国重、英賀郡呰部住の大月左兵衛尉国重、水田住の大月与五右衛門国重など、地名と俗名を冠して長銘を切る工が代を重ねて連なり、国重と名乗る刀工が一門に圧倒的に多いことが、この派の大きな特徴をなしている。 作風は古刀期と新刀期とで趣を異にする。古水田と称される作には、腰の開いた互の目乱れを主調として小丁子や小乱れを交え、匂口が締まって小沸がつく、ややこせこせとした趣のものが見られ、茎先が大きく刃上りとなる点が見どころとされる。地鉄は小板目肌つみ、地沸がついて映りが立つ。新刀期の作になると、板目が流れて柾を交じえる鍛えに、小のたれや互の目を焼き、沸が深く、殊に荒沸が激しくつき、相州伝を強く意識した出来となる。地沸厚く地景太く入って湯走りがかかり、砂流し・金筋を頻りに見せ、棟焼がしきりにかかって皆焼風を呈する一群があり、帽子は掃き掛けて火焰風となり、あるいは焼深く一枚風となって長く返る。物打辺に矢筈風の刃を交えること、また小板目に小杢目を交え地沸微塵に厚くついて淡く映り立つ地鉄も、この派を見分ける拠りどころとなる。彫物を巧みにこなす工もあり、棒樋に倶利迦羅や梵字を施した大小の作が残る。 鑑定にあたっては、互の目や角ばる刃を交えた焼高い刃取り、矢筈風の刃、一枚風あるいは火焰風の帽子、棟焼の頻発といった水田特有の見どころが、相州・美濃に寄った実用本位の造込みと相俟って手掛かりとなる。沸の崩れや荒沸の激しさは、よく斬れる実戦の刀としての性格を物語る。在銘の確かな作は数が限られ、なかでも大月与五右衛門国重のごとく一門の他工にも稀なほど出来の優れたものが存する。新見の国重の一作は『光山押形』に所載し、附帯する古鞘に六代将軍徳川家宣すなわち文昭院の御陣刀であった旨が記される伝来の確かなものであって、備中の地に長く栄えた水田派の位置づけを今に伝えている。

刀剣商

明倫産業

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