群馬図 古川元珍(花押) -Furukawa Genchin- 縁長39.9ミリ 腰高13.2ミリ 頭長33.6ミリ 重さ36.9グラム 江戸中期~後期 The middle ~ latter period of Edo era 附属 桐箱、審査結果通知書写 元珍は鉾職の吉川氏に学び、独立して古川姓を名乗り、のちに横谷宗珉の門人となって、晩年には聖寿と号しました。 この縁頭は、赤銅地に丁寧な魚子打ちを施し、二頭の馬を精緻に表した趣のある作品です。細かな魚子が全体に深い陰影を与え、赤銅の落ち着いた地肌と相まって、重厚で品のある風貌を作り出しています。馬の彫りは筋骨や動勢を巧みに捉え、躍動感ある姿が彫金技術の確かさを物語ります。 一方で日本美術刀剣保存協会の審査においては、銘は認められつつも「縁と頭の取り合わせに研究の余地あり」として保留となっています。仔細に観察すると、縁と頭で鬣(たてがみ)の鏨遣い・彫り表現に差異が見られ、この点が取り合わせへの疑義を招いたものと考えられます。これは同一作者による一揃えでない可能性、あるいは後補・組合せの可能性を示唆する所見となります。














江戸
在銘
町彫 · 1670頃
現在3点販売中
元珍の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
町彫 · Edo
現在103点販売中
横谷派は、江戸時代中期に横谷宗珉によって創始された装剣金工の一派である。宗珉は従来の後藤家の伝統的技法に加え、片切彫という新たな彫刻技法を確立し、四分一磨地に繊細な線刻表現を施す独自の様式を生み出した。その後、養子である二代宗興が享保十八年(一七三三)、三十四歳で家督を継承し、横谷派の技術的頂点を築いた。宗興は元禄十三年(一七〇〇)江戸生まれで、師父宗珉より優れた片切彫の技術を継承しつつ、赤銅魚子地に高彫象嵌色絵を施す作風も展開した。 宗興の作域は四分一磨地に片切彫を施す作柄が多数を占めるが、赤銅魚子地に高彫象嵌色絵を用いた作品も僅少ながら現存しており、いずれも横谷宗珉の後継者としての高い力量と品格を備えた見事な出来映えを示している。片切彫の作では、師父宗珉譲りの卓抜した技術を遺憾なく発揮し、細部にまで行き届いた精緻な彫刻表現において他の追随を許さない。高彫象嵌色絵の作では、人物の表情や手の仕草、衣の襞に至るまで丁寧かつ写実的に表現され、空間を巧みに利用した構図の計算性も高く評価される。福禄寿図や大森彦七図などの作品に見られる肉感的な描写と躍動感は、宗興の卓越した写実力と彫技の冴えを示す真骨頂といえる。 横谷派の技術は、宗興の門人である三宅英光(自立軒)や桂永寿らによって継承され、江戸時代後期まで高い水準を保った。英光は肥前長崎の出身とされ、横谷四代目宗与の門人となり江戸京橋に住して、赤銅魚子地に高彫金色絵の豪華な作風を展開した。桂永寿は久留米有馬藩の抱工として、目結や家紋を配した格調高い金具を制作し、大名家の儀式用拵に用いられた。横谷派の作品は、片切彫という独自の技法と、写実的かつ精緻な表現力によって、装剣金工史において重要な位置を占めている。 詳しく見る →
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
お求めになられた商品とは異なる商品をお届けしてしまった場合や、表記内容と現物とに大きな隔たりなどがあった場合を除き、基本的に返品はお受けいたしません。返品をご要望の場合は、商品到着後3日以内に御連絡の上ご返送下さい。
群馬図 古川元珍(花押) -Furukawa Genchin- 縁長39.9ミリ 腰高13.2ミリ 頭長33.6ミリ 重さ36.9グラム 江戸中期~後期 The middle ~ latter period of Edo era 附属 桐箱、審査結果通知書写 元珍は鉾職の吉川氏に学び、独立して古川姓を名乗り、のちに横谷宗珉の門人となって、晩年には聖寿と号しました。 この縁頭は、赤銅地に丁寧な魚子打ちを施し、二頭の馬を精緻に表した趣のある作品です。細かな魚子が全体に深い陰影を与え、赤銅の落ち着いた地肌と相まって、重厚で品のある風貌を作り出しています。馬の彫りは筋骨や動勢を巧みに捉え、躍動感ある姿が彫金技術の確かさを物語ります。 一方で日本美術刀剣保存協会の審査においては、銘は認められつつも「縁と頭の取り合わせに研究の余地あり」として保留となっています。仔細に観察すると、縁と頭で鬣(たてがみ)の鏨遣い・彫り表現に差異が見られ、この点が取り合わせへの疑義を招いたものと考えられます。これは同一作者による一揃えでない可能性、あるいは後補・組合せの可能性を示唆する所見となります。














江戸
在銘
町彫 · 1670頃
現在3点販売中
元珍の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
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町彫 · Edo
現在103点販売中
横谷派は、江戸時代中期に横谷宗珉によって創始された装剣金工の一派である。宗珉は従来の後藤家の伝統的技法に加え、片切彫という新たな彫刻技法を確立し、四分一磨地に繊細な線刻表現を施す独自の様式を生み出した。その後、養子である二代宗興が享保十八年(一七三三)、三十四歳で家督を継承し、横谷派の技術的頂点を築いた。宗興は元禄十三年(一七〇〇)江戸生まれで、師父宗珉より優れた片切彫の技術を継承しつつ、赤銅魚子地に高彫象嵌色絵を施す作風も展開した。 宗興の作域は四分一磨地に片切彫を施す作柄が多数を占めるが、赤銅魚子地に高彫象嵌色絵を用いた作品も僅少ながら現存しており、いずれも横谷宗珉の後継者としての高い力量と品格を備えた見事な出来映えを示している。片切彫の作では、師父宗珉譲りの卓抜した技術を遺憾なく発揮し、細部にまで行き届いた精緻な彫刻表現において他の追随を許さない。高彫象嵌色絵の作では、人物の表情や手の仕草、衣の襞に至るまで丁寧かつ写実的に表現され、空間を巧みに利用した構図の計算性も高く評価される。福禄寿図や大森彦七図などの作品に見られる肉感的な描写と躍動感は、宗興の卓越した写実力と彫技の冴えを示す真骨頂といえる。 横谷派の技術は、宗興の門人である三宅英光(自立軒)や桂永寿らによって継承され、江戸時代後期まで高い水準を保った。英光は肥前長崎の出身とされ、横谷四代目宗与の門人となり江戸京橋に住して、赤銅魚子地に高彫金色絵の豪華な作風を展開した。桂永寿は久留米有馬藩の抱工として、目結や家紋を配した格調高い金具を制作し、大名家の儀式用拵に用いられた。横谷派の作品は、片切彫という独自の技法と、写実的かつ精緻な表現力によって、装剣金工史において重要な位置を占めている。 詳しく見る →
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