大和五派は奈良の大寺の影で育った。手掻の名は東大寺転害門に由来する。柾目と静かな直刃の厳格は寺の美学であり、後世はまさにその節度を賞美してきた。
守久を名乗る刀工は複数名いますが、本刀は地鉄の鍛え等から、大和千手院派の守久と鑑せられる太刀です。 元より小太刀として鍛えられた一刀で、更に磨り上げられるも茎尻には守久の二字銘がしっかりと残っており、杢交じりの柾目鍛えの地鉄は粕立ち、匂口寄りにほんのりと乱れ映りが見られます。 匂口は鎌倉期の作品らしく沸が強く、直刃明るく冴え、所々小さく湾れ、刃中には金筋、稲妻が入り、刃縁には打除が連なって二重刃風を呈するなど大和物古作の見所多き作品です。 附属の太刀拵は、足金物部分を金属ではなく練り革で誂えた、古格漂う意匠。亀甲柄の太刀緒は両端こそ千切れが見られるものの、しっかりと残存しており、永き時代の経過を静かに物語っており、その格調高い造りから鑑みるに、古くは社寺仏閣に奉納されていた可能性が推測されます。 鐔鳴りは僅かにありますが、柄にがたつきはなく堅牢で、鞘を払って構えると手元重心の良好なバランスが手に伝わり、扱いやすさと品位を同時に感じさせます。 鎌倉期の太刀といえば、深い腰反りと長寸の姿を思い浮かべますが、それらは主に馬上での佩用を想定したもの。本作のような短寸の小太刀は、殿中や徒士用として鍛えられたと考えられ、反りも浅めで、姿形はむしろ室町初期頃の趣を帯びています。 このような時代の遡る小太刀は、現代刀剣界では長寸の馬上用太刀を基準とする傾向により、鑑定審査において保留とされる例が少なくありません。本刀もその例に漏れず、平成26年5月の審査にて保留の判定を受けるという憂き目に遭っております。しかし、目利きの方であれば、地刃の出来映えからその真贋は一目瞭然。確かな時代と技量を備えた作であることを即座にご理解いただけることでしょう。 古雅なる姿と堂々たる出来を誇る在銘太刀。内外共に古格を湛えた本刀を、ぜひこの機会にお手元のコレクションにお加えください。




















大和伝 · 大和
現在21点販売中
千手院派は大和五派の中で最も発祥が古いとされ、奈良の若草山の西山麓、千手観音を祀る千手堂のある千手谷と呼ばれる地に在住した刀工の一群に発する。寺院に拠るその出自は単なる来歴ではなく、在銘作が総じて少ないという一派の性格の根にあって、これは千手院を含む大和の鍛冶が寺院の僧兵の需要に応えて作刀したためと解されている。古伝書は平安時代後期に行信、重弘の二名工があったと伝えるが、いずれも確実な遺例は未見であり、鎌倉時代初期には三字に「千手院」と切った太刀が現存する。門流は鎌倉時代から南北朝時代にかけて存続し、その間も有銘作は乏しく、それゆえ吉野郡龍門荘に住して龍門延吉と通称された延吉や、正安三年の年紀をもつ助光、文和の年紀を切った吉弘のごとき年紀の遺る工は、無銘極めの多いこの一派において格別の資料的重みを負う。地理的にも時代的にも幅広いその活動は、古千手院と後代の別を含みつつ、奈良の寺工という共通の土壌に立つ。 作風は地鉄に大和伝の語法がまず読まれる。板目を基本に大板目、杢目、流れ柾を交え、刃寄りに流れて柾がかり、総体に肌立ちごころとなって、地沸が厚くつき、地景が頻りに入る。淡い沸映りの立つものがあり、なかには延吉の備前寄りの手のごとく鮮明な乱れ映りを示すものもあって、映りの有無はこの一派を貫く変数である。刃文は直刃を基調とし、浅くのたれて小互の目、小丁子、小乱れを交え、刃縁にほつれ、打のけ、喰違刃、二重刃が現れ、刃中に小足が入り、金筋、砂流しが頻りにかかって、刃中にもまた柾が通う。匂口は明るく冴え、小沸がよくつく。帽子は直ぐに掃きかけて焼詰め、あるいは小丸に短く返る。同じ大和の基盤の上に二様の振幅が見られるのが特徴で、延吉や助光には備前気質を帯びた賑やかな丁子足の手と、映りの立たぬ大和色の濃い渋い直刃の手とが並び、吉弘に至っては相州物を想わせる強い沸と大乱れの華やかな出来と、浅くのたれた穏やかな直刃とが同工のうちに共存する。姿は鎬造、庵棟で、鎬幅が広く鎬が高いもの、腰反りが高く踏張りがあって中鋒ないし小鋒となるものなどが見られ、総じて古調を示す。 鑑定の勘所は、まず柾がかって流れる地鉄と、掃きかけ焼詰めの帽子の下にほつれ、喰違刃、二重刃の働く明るい直刃に置かれる。本阿弥家では古来、大和物のうちで賑やかに乱れているものに千手院の極めをあてる傾向があったと説明書は記し、この一派の極めの幅の広さを伝える。大和の内部にあって、千手院は同じ五派の手掻、尻懸、当麻、保昌と並び称されつつ別をなす。沸の働きと造込みでより明確に手を絞り込み得る当麻や、強い柾立つ無地の直刃に拠る保昌とは地刃の質において分かれ、より素朴な手掻とも映りや備前気質の加味の点で分かれる。主要工としては、一口の国宝の太刀に担われ大和初期の名として重きをなす延吉、年紀の基準作を東京国立博物館に伝えて在銘作のごく僅かな助光、地刃の変化が大和諸工中で最も大きいと評される吉弘がそれぞれ独立した手を示し、ほかにも長吉、吉行、助平、助延、助吉のごとき同族の工が諸書に名を連ねるが、その多くは総称的に千手院として伝わる。在銘の確かな作が世に出ることは稀であり、現存する遺品の大半は大磨上無銘の極めものであって、鎬の高い造込み、流れて柾がかる鍛え、明るい直刃のみからもその極めは首肯される。伝来は、龍門延吉の国宝太刀が後水尾天皇御料と伝え、堀子爵家や犬養毅、仙台伊達家、上杉家の旧蔵に納まる一口があるほかは、神社や公的機関に伝わるものを除けば多くは所在の知れぬ私蔵にあって、市場に現れることは少ない。 詳しく見る →
大和五派は奈良の大寺の影で育った。手掻の名は東大寺転害門に由来する。柾目と静かな直刃の厳格は寺の美学であり、後世はまさにその節度を賞美してきた。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトお求めになられた商品とは異なる商品をお届けしてしまった場合や、表記内容と現物とに大きな隔たりなどがあった場合を除き、基本的に返品はお受けいたしません。返品をご要望の場合は、商品到着後3日以内に御連絡の上ご返送下さい。
守久を名乗る刀工は複数名いますが、本刀は地鉄の鍛え等から、大和千手院派の守久と鑑せられる太刀です。 元より小太刀として鍛えられた一刀で、更に磨り上げられるも茎尻には守久の二字銘がしっかりと残っており、杢交じりの柾目鍛えの地鉄は粕立ち、匂口寄りにほんのりと乱れ映りが見られます。 匂口は鎌倉期の作品らしく沸が強く、直刃明るく冴え、所々小さく湾れ、刃中には金筋、稲妻が入り、刃縁には打除が連なって二重刃風を呈するなど大和物古作の見所多き作品です。 附属の太刀拵は、足金物部分を金属ではなく練り革で誂えた、古格漂う意匠。亀甲柄の太刀緒は両端こそ千切れが見られるものの、しっかりと残存しており、永き時代の経過を静かに物語っており、その格調高い造りから鑑みるに、古くは社寺仏閣に奉納されていた可能性が推測されます。 鐔鳴りは僅かにありますが、柄にがたつきはなく堅牢で、鞘を払って構えると手元重心の良好なバランスが手に伝わり、扱いやすさと品位を同時に感じさせます。 鎌倉期の太刀といえば、深い腰反りと長寸の姿を思い浮かべますが、それらは主に馬上での佩用を想定したもの。本作のような短寸の小太刀は、殿中や徒士用として鍛えられたと考えられ、反りも浅めで、姿形はむしろ室町初期頃の趣を帯びています。 このような時代の遡る小太刀は、現代刀剣界では長寸の馬上用太刀を基準とする傾向により、鑑定審査において保留とされる例が少なくありません。本刀もその例に漏れず、平成26年5月の審査にて保留の判定を受けるという憂き目に遭っております。しかし、目利きの方であれば、地刃の出来映えからその真贋は一目瞭然。確かな時代と技量を備えた作であることを即座にご理解いただけることでしょう。 古雅なる姿と堂々たる出来を誇る在銘太刀。内外共に古格を湛えた本刀を、ぜひこの機会にお手元のコレクションにお加えください。




















大和伝 · 大和
現在21点販売中
千手院派は大和五派の中で最も発祥が古いとされ、奈良の若草山の西山麓、千手観音を祀る千手堂のある千手谷と呼ばれる地に在住した刀工の一群に発する。寺院に拠るその出自は単なる来歴ではなく、在銘作が総じて少ないという一派の性格の根にあって、これは千手院を含む大和の鍛冶が寺院の僧兵の需要に応えて作刀したためと解されている。古伝書は平安時代後期に行信、重弘の二名工があったと伝えるが、いずれも確実な遺例は未見であり、鎌倉時代初期には三字に「千手院」と切った太刀が現存する。門流は鎌倉時代から南北朝時代にかけて存続し、その間も有銘作は乏しく、それゆえ吉野郡龍門荘に住して龍門延吉と通称された延吉や、正安三年の年紀をもつ助光、文和の年紀を切った吉弘のごとき年紀の遺る工は、無銘極めの多いこの一派において格別の資料的重みを負う。地理的にも時代的にも幅広いその活動は、古千手院と後代の別を含みつつ、奈良の寺工という共通の土壌に立つ。 作風は地鉄に大和伝の語法がまず読まれる。板目を基本に大板目、杢目、流れ柾を交え、刃寄りに流れて柾がかり、総体に肌立ちごころとなって、地沸が厚くつき、地景が頻りに入る。淡い沸映りの立つものがあり、なかには延吉の備前寄りの手のごとく鮮明な乱れ映りを示すものもあって、映りの有無はこの一派を貫く変数である。刃文は直刃を基調とし、浅くのたれて小互の目、小丁子、小乱れを交え、刃縁にほつれ、打のけ、喰違刃、二重刃が現れ、刃中に小足が入り、金筋、砂流しが頻りにかかって、刃中にもまた柾が通う。匂口は明るく冴え、小沸がよくつく。帽子は直ぐに掃きかけて焼詰め、あるいは小丸に短く返る。同じ大和の基盤の上に二様の振幅が見られるのが特徴で、延吉や助光には備前気質を帯びた賑やかな丁子足の手と、映りの立たぬ大和色の濃い渋い直刃の手とが並び、吉弘に至っては相州物を想わせる強い沸と大乱れの華やかな出来と、浅くのたれた穏やかな直刃とが同工のうちに共存する。姿は鎬造、庵棟で、鎬幅が広く鎬が高いもの、腰反りが高く踏張りがあって中鋒ないし小鋒となるものなどが見られ、総じて古調を示す。 鑑定の勘所は、まず柾がかって流れる地鉄と、掃きかけ焼詰めの帽子の下にほつれ、喰違刃、二重刃の働く明るい直刃に置かれる。本阿弥家では古来、大和物のうちで賑やかに乱れているものに千手院の極めをあてる傾向があったと説明書は記し、この一派の極めの幅の広さを伝える。大和の内部にあって、千手院は同じ五派の手掻、尻懸、当麻、保昌と並び称されつつ別をなす。沸の働きと造込みでより明確に手を絞り込み得る当麻や、強い柾立つ無地の直刃に拠る保昌とは地刃の質において分かれ、より素朴な手掻とも映りや備前気質の加味の点で分かれる。主要工としては、一口の国宝の太刀に担われ大和初期の名として重きをなす延吉、年紀の基準作を東京国立博物館に伝えて在銘作のごく僅かな助光、地刃の変化が大和諸工中で最も大きいと評される吉弘がそれぞれ独立した手を示し、ほかにも長吉、吉行、助平、助延、助吉のごとき同族の工が諸書に名を連ねるが、その多くは総称的に千手院として伝わる。在銘の確かな作が世に出ることは稀であり、現存する遺品の大半は大磨上無銘の極めものであって、鎬の高い造込み、流れて柾がかる鍛え、明るい直刃のみからもその極めは首肯される。伝来は、龍門延吉の国宝太刀が後水尾天皇御料と伝え、堀子爵家や犬養毅、仙台伊達家、上杉家の旧蔵に納まる一口があるほかは、神社や公的機関に伝わるものを除けば多くは所在の知れぬ私蔵にあって、市場に現れることは少ない。 詳しく見る →
大和五派は奈良の大寺の影で育った。手掻の名は東大寺転害門に由来する。柾目と静かな直刃の厳格は寺の美学であり、後世はまさにその節度を賞美してきた。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトお求めになられた商品とは異なる商品をお届けしてしまった場合や、表記内容と現物とに大きな隔たりなどがあった場合を除き、基本的に返品はお受けいたしません。返品をご要望の場合は、商品到着後3日以内に御連絡の上ご返送下さい。