説明

仙台國包は大和古鍛冶保昌の末と伝えている。若くから鍛冶業に就き、技量優れて伊達政宗に見出され、大坂の陣の陣中で作刀に励んでおり、元和元年には政宗の命で京に上り、越中守正俊にも学んでいる。時の流れの中で跡絶えた大和保昌派の古法柾目鍛えを再現し、本歌に迫る迫力と、江戸初期ならではの精緻さと美観を備え、さらには最上大業物に指定されるほどの斬れ味を誇った、華実共に秀でた名工である。 長寸刀の添え差しとされたものであろうこの脇差は、江戸最初期の時代に応じた控えめの寸法で、身幅のバランスも良く適度に先反りが付き、見かけ以上に緊張感に満ち満ちた姿格好。平地から鎬地まで全面が精妙に詰み澄んだ柾目鍛えの地鉄は冴え冴えとして明るく、微細な地沸で覆われると共に鎬寄りに沸映りが淡く立って鍛え肌に沿って流れるような景色を生み出している。刃文は得意と同工がする小沸を主調に匂を交えた直刃で、刃縁明るく金線を伴うほつれが層状に入り、喰い違い、二重刃、打ちのけ、沸筋など大和伝の働きが濃密に現れ、盛んに入る匂足に絡む。帽子は横手筋下から掃き掛けが強まり、ふくらに沿って幾重もの沸筋が鋭く走り、ここも迫力がある。 洒落た泡文塗鞘に雲龍図金平象嵌仕立ての小柄、御福図目貫、能面図縁頭を黒糸で巻き締めた柄の、綺麗な脇差拵が附されている。 注... 文禄元年の生まれ。寛永四年山城大掾を受領、寛永十五年に入道して用恵と号す。寛文四年没。

脇差 銘 山城大掾藤原国包(最上大業物)
売切れ
Tokuho売切れ

脇差 銘 山城大掾藤原国包(最上大業物)

脇差

売却済

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仕様

長さ

40.7 cm

反り

1 cm

元幅

2.88 cm

先幅

1.94 cm

作者について

Sendai Kunikane國包

1 重要文化財2 重要美術品1 御物1 特別重要刀剣28 重要刀剣

初代国包は、文禄元年(一五九二)に奥州宮城郡国分若林、すなわち仙台城下に本郷源蔵として生まれ、伊達政宗の抱え鍛冶となった。主命によって上洛して越中守正俊の門に学び、寛永三年(一六二六)に山城大掾を受領し、自ら大和保昌五郎の末流と称している。この自称こそが本工を解く鍵である。相州伝の板目・杢が流行した新刀初期にあって、国包はその流れに与せず、生涯を挙げて、古郷大和の柾目鍛え・直刃焼きの保昌伝を復興することに費やした。説明書はこの目的から終始ぶれなかった手を描き、現代の指定記録もこれを裏付ける。記録に載る作はすべて在銘で、無銘の極めは一口もない。 その典型の手は、紛れがないほどに一貫している。鍛えは柾目肌のよくつんだもので、時に流れごころとなり、地沸が微塵に厚くつき地景頻りに入り、かね冴える。しばしば区下より水影が立ち、説明書はこの立ち上る水影を本工の手くせと名指して、ある脇指についてこれを「初代国包の手くせといえる」と評する。極めを補強する類の細部である。その地に直刃あるいは直刃調、しばしば広直刃を浅くのたれて焼き、匂口は深く明るい。働きは備前のそれではなく大和のそれで、刃縁総体にほつれ、金筋・砂流しを刃中に自在に交え、喰違刃・二重刃・打のけを交え、小足が入る。 地鉄こそ本工を最初に読むところであり、最も本工らしいところである。清らかでよくつんだ柾目に、地沸細かに地景頻りという態は、ほぼ全作に現れ、鍛えが締まるほどにいよいよ精良となる。帽子は大和の所作で、直ぐに焼き詰めごころとなり盛んに掃きかける。説明書は、他が平凡な作にあってもこの帽子に古香を認める。そしてこの点について説明書は、指定の評としては珍しく率直である。古作の保昌に対して本工の及ばぬ点を挙げ、「物打上の変化に乏しいことと、帽子が平凡な点にある」とする。同じ一文は、代表作たる年紀の刀の地刃の出来が、それでもなお優れていると認める。 一貫した一つの手が、その体裁によって二つの作に分かれる。標準の作は鎬造の刀で、生ぶ茎の長銘、多くは年紀を添え、鎬高く反り浅く中鋒延び、つんだ柾目の上に明るい広直刃を焼く。寛永四年紀・寛永九年紀の刀は、同工研究の好資料である。より稀な作は平造の脇指で、説明書はその現存が僅少であるとし、資料として貴重とする。これらでは同じ刃が開き、上半に焼幅を広めに取り、沸が厚く処々荒めとなり、湯走り状の飛焼を交え、匂口は沈みごころとなる。彫物は素剣に刀樋・連樋を彫口深く掻き流し、古作の大和物の特色を再現する。鬼切の脇指について説明書は、これを「初代国包の本領が遺憾なく発揮された」一口とする。 同時代において本工を際立たせるのは、まさにこの古い国への忠実である。説明書は「作風は一貫して大和保昌伝に終始し」と記し、柾目を鍛え、打のけ・ほつれ・砂流しを交えた直刃に沸よくつき帽子は焼き詰め風になると述べる。明るい柾目と大和の帽子は、周囲の相州風の工と本工とを分かち、清らかな地に直刃を抑えて焼く手は、本工が敬慕しながらも物打と帽子で及び得なかった古作の保昌とも、本工を分かつ。正保二年(一六四五)に隠居して家督を嫡子吉右衛門、二代山城守国包に譲り、柾目の保昌伝を幕末まで伝える仙台国包の家を興した。初代は後代を計る基準であり続ける。 収集の観点では、確たる地位を有する新刀の名である。記録は重要文化財一口、戦前の重要美術品二口、そして特別重要刀剣・重要刀剣の級に二十九口、合わせて指定を受けた作は三十三口に及び、そのすべてが在銘である。国宝はない。最上手は、生ぶ茎で在銘年紀、製作当初の姿を留め、宇和島伊達家に伝わった刀で、説明書はこれを「古保昌に優るとも劣らぬ作域」とし、体配堂々たる傑作とする。その来歴は、本工の仕えた家と僅かな旧蔵家に根ざす。何より伊達家・宇和島伊達家であり、記録に載る作は皇室の蔵するところや、木村貞造ら名のある蔵家にも及ぶ。在銘の初代国包は、鎌倉の大家のように手の届かぬものではないが、その作の多くは取引よりも所蔵されるもので、平造の脇指は殊に稀であり、健全な年紀作が世に出るのは時折に過ぎない。一たび出れば、それは、相州に傾いた時代にあって、一人の仙台の工がかえって鍛え戻ろうとした古き大和の、明白にして完結した一個の証である。

刀剣商

銀座長州屋

ginza.choshuya.co.jp

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