説明

伊豆守金道(きんみち)は、『古今鍛冶備考』によれば伊賀守金道二代の弟と伝え、寛文年間に伊豆守を受領しており、菊紋を刻するとある。遺作には、兄伊賀守金道二代との合作の脇差(『日本刀工辞典』)、尾張の駿河守盛道との合作の脇差(注)などがあり、作風、銘形、技量とも兄同然で、恐らく棟梁二代金道の向槌を打つことに生涯の多くを費やしたためであろう、伊豆守金道の銘が刻された作例は極めて少ない。 本作は貴重な伊豆守金道の短刀の遺例。身幅が広く重ねも頗る厚く、僅かに内反りが付いて寸法が延び、ふくらの充分な健全な姿。地鉄は小板目に小杢目、棟寄りに柾気を交えて詰み、古鉄を意図的に配合したものであろうか、地底に黒い稲妻状の地景が脈動し、小粒の地沸が厚く付き、霞のような映りが立って玄妙な景色が展開している。刃文は直刃に微かな小湾れを交え、小沸が付いて匂口が締まりごころとなり、小足が無数に入り、刃境に湯走りが微かに掛かる。弛みごころの帽子は掃き掛けて小丸に返る三品帽子。茎には十六葉の菊紋と銘字が入念に刻されている。 上級武士が城中で佩用するべく注文した作であろう、束(たばね)熨斗(のし)図の後藤家作の三所物で装われた品のよい合口拵が付されている。 注...小社旧蔵、『銀座情報』一六一号掲載。

短刀 銘 (菊紋)伊豆守藤原金道
Tokuho

短刀 銘 (菊紋)伊豆守藤原金道

短刀

¥800,000

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仕様

長さ

26.6 cm

元幅

2.55 cm

流派について

Mishina School三品派

三品派は、美濃国関の兼道を源流とし、その子らが京へ上って興した新刀の一門である。説明書は、兼道の四子すなわち長兄伊賀守金道、来金道、丹波守吉道、末弟越中守正俊が父と共に美濃より上京し、西洞院夷川に住して三品派の名を大いに高めたと記す。長兄金道は京五鍛冶の頭領にして、その家は刀工の受領を朝廷に推薦する権を世襲し、銘に「日本鍛冶宗匠」と添えて幕末に及んだ。やがて一門は京にとどまらず大坂へも枝を張り、京初代丹波守吉道の子が大坂に移って大坂丹波の祖となり、その周囲に大和守吉道が連なり、丹後守兼道のごとく大坂に住して元禄頃に活躍した工も出た。末関の量産地に発しながら、堀川派と並ぶ京新刀の一大勢力に育ち、さらに大坂へと展開した点に、この一門の歩みがある。 作風を貫くのは、工と世代の差を越えて繰り返される三品の共通語法である。地鉄は板目に杢や流れ肌を交えて棟寄りに強く流れ、刃寄りで柾がかって肌立ち、地沸微塵に厚くつき地景のよく入るもので、美濃関の継承を京の作にまで伝える。京の古い手が肌立つ板目を見せるのに対し、大坂の系では小板目をよくつめ清く澄んだ地に転ずる差がある。刃文は美濃由来の互の目と尖り刃を基調に、これを京風に洗練して小のたれの大乱れに展開し、沸が強く時に荒くむら立ち、砂流しさかんに金筋長く入る。最も明快な見どころは帽子で、のたれ込みに先尖って掃きかける三品帽子は一門の標識をなし、末弟正俊にことに顕著である。いま一つの標識が丹波守吉道の創案した簾刃で、湯走り・飛焼・砂流しが幾重にも縞がかって簾の如く焼かれる。金道と正俊が志津風を共に得意として作域広く、吉道はこの簾刃の一手に己を結び、大坂の系はその簾刃を最もよく継いだ。同じ語法のうちに、各工の手が読み分けられる。 収集の観点では、三品派は新刀草創の格と明快な鑑定の勘所をあわせ持つ一門である。先尖って掃きかける三品帽子と、縞がかって平行に焼かれる簾刃の二つの見どころは、地と刃のいずれにも紛れなく現れて工と作域を定める手懸りとなり、大坂の直ぐで均一の焼出しは京の手と分かつ目印となる。主要工の格は説明書の評にそのまま現れ、初代伊賀守金道は一派中最も優れた手とされ、初代丹波守吉道は初期新刀屈指の名工に数えられ、末弟正俊は器用さ兄弟中第一と評される。一門の作はおおむね在銘で、銘そのものが時の標識となり、由緒の確かさをもって賞翫される。来歴の知られる作は谷干城の愛刀、佐竹家、織田有楽斎、北野天満宮、皇室、大坂城代青山家の蔵を経て伝わり、一口は京都国立博物館に納まる。最上手の在銘作が市に現れるのは折々のことで容易ではないが、一たび相見えれば、三品派が美濃関より京・大坂へいかに展開したかを語る確かな証となる。

刀剣商

銀座長州屋

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