説明

Keicho era(A.D.1596-1614, early Edo period) Moto-haba (width at Ha-machi) approx. 3.21cm Saki-haba (width at Kissaki) approx. 2.21cm 幅広く豪壮な、無銘ながら出来の優れた脇差。手持ちが重く、鎬地の肉がやや削がれ、総体に張った鎬筋が棟に抜けた張りのある力強い姿で、爪付の護摩箸と細樋、梵字が陰彫され、古刀然とした雰囲気がある。小板目鍛えの地鉄は刃寄りに柾肌が微かに配されて強く錬れ、細かな地景が入り、粒立った地沸が厚く付いて映りが立つ美濃物の古作を想わせる肌合い。刃文は腰元に焼高く華やかな互の目丁子が冴え、その上半が直刃。元から先まで金線と砂流し、刃境に湯走りが掛かり、一部は二重刃、あるいは喰い違い刃となり、刃縁には銀砂のような沸が煌めき、刃中も沸付いて明るい。焼を充分に残した帽子は、二重刃状にやや突き上げて小丸に返る。戦国期美濃の優工和泉守兼定を見るような、放胆で大らかな出来栄えとなっている。 本作の茎は先が一文字に切られて磨上無銘の風情でもあるが、実は殆ど生ぶ茎。重ねが厚く健全で、恐らくは江戸初期慶長元和頃の作。作者は南紀重國、肥前國忠吉辺りであろうか。因みに今日の審査では伊賀守金道の末弟で、京三品一門中最も作域が広く上手とされる越中守正俊と極められている(注)。

無銘 越中守正俊(業物)

無銘 越中守正俊(業物)

脇差

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仕様

長さ

43.3 cm

反り

0.91 cm

元幅

3.21 cm

先幅

2.21 cm

流派について

Mishina School三品派

三品派は、美濃国関の兼道を源流とし、その子らが京へ上って興した新刀の一門である。説明書は、兼道の四子すなわち長兄伊賀守金道、来金道、丹波守吉道、末弟越中守正俊が父と共に美濃より上京し、西洞院夷川に住して三品派の名を大いに高めたと記す。長兄金道は京五鍛冶の頭領にして、その家は刀工の受領を朝廷に推薦する権を世襲し、銘に「日本鍛冶宗匠」と添えて幕末に及んだ。やがて一門は京にとどまらず大坂へも枝を張り、京初代丹波守吉道の子が大坂に移って大坂丹波の祖となり、その周囲に大和守吉道が連なり、丹後守兼道のごとく大坂に住して元禄頃に活躍した工も出た。末関の量産地に発しながら、堀川派と並ぶ京新刀の一大勢力に育ち、さらに大坂へと展開した点に、この一門の歩みがある。 作風を貫くのは、工と世代の差を越えて繰り返される三品の共通語法である。地鉄は板目に杢や流れ肌を交えて棟寄りに強く流れ、刃寄りで柾がかって肌立ち、地沸微塵に厚くつき地景のよく入るもので、美濃関の継承を京の作にまで伝える。京の古い手が肌立つ板目を見せるのに対し、大坂の系では小板目をよくつめ清く澄んだ地に転ずる差がある。刃文は美濃由来の互の目と尖り刃を基調に、これを京風に洗練して小のたれの大乱れに展開し、沸が強く時に荒くむら立ち、砂流しさかんに金筋長く入る。最も明快な見どころは帽子で、のたれ込みに先尖って掃きかける三品帽子は一門の標識をなし、末弟正俊にことに顕著である。いま一つの標識が丹波守吉道の創案した簾刃で、湯走り・飛焼・砂流しが幾重にも縞がかって簾の如く焼かれる。金道と正俊が志津風を共に得意として作域広く、吉道はこの簾刃の一手に己を結び、大坂の系はその簾刃を最もよく継いだ。同じ語法のうちに、各工の手が読み分けられる。 収集の観点では、三品派は新刀草創の格と明快な鑑定の勘所をあわせ持つ一門である。先尖って掃きかける三品帽子と、縞がかって平行に焼かれる簾刃の二つの見どころは、地と刃のいずれにも紛れなく現れて工と作域を定める手懸りとなり、大坂の直ぐで均一の焼出しは京の手と分かつ目印となる。主要工の格は説明書の評にそのまま現れ、初代伊賀守金道は一派中最も優れた手とされ、初代丹波守吉道は初期新刀屈指の名工に数えられ、末弟正俊は器用さ兄弟中第一と評される。一門の作はおおむね在銘で、銘そのものが時の標識となり、由緒の確かさをもって賞翫される。来歴の知られる作は谷干城の愛刀、佐竹家、織田有楽斎、北野天満宮、皇室、大坂城代青山家の蔵を経て伝わり、一口は京都国立博物館に納まる。最上手の在銘作が市に現れるのは折々のことで容易ではないが、一たび相見えれば、三品派が美濃関より京・大坂へいかに展開したかを語る確かな証となる。

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