
脇指 松村昌直
¥430,000
世界81社の刀剣商を横断追跡 · 価格履歴 · 売却アーカイブ
Tenmei (1781-1789)
仕様
47.6 cm
0.8 cm
2.9 cm
2.3 cm
松村昌直は肥後熊本の藩士で、名を英記といい、字を仲廉と称したといわれ、初め薩摩の伯耆守正幸の門に入り、のちに水心子正秀・山村綱広にも教えを受けたと云われている。刀剣の鑑識家としても当時から有名であったらしく、著書には「刀剣或問」などがある。彼の作刀には、天明から文化頃までの年紀のものがまま見られるが、現存する作品は比較的少ない。天保5年、70歳で没したと伝えられる。 この脇指は、小板目肌がよくつみ、地沸が厚くついた鍛えに、互の目乱れに尖りごころの刃などを交えてやき、沸が厚くつき、荒めの沸を交え、砂流しがかかるなどの作柄で、一見して薩摩新々刀を想わせるものであるが、就中、茎仕立・銘振りなどは伯耆守正幸に近似しており、昌直が正幸の指導を受けていたことがわかる。茎の状態があまり良くないことが惜しまれるが、昌直の作品は比較的に少なく、刀身は健体であり、制作当時の黒石目地塗鞘脇指拵が附帯することも好ましい。

¥430,000
世界81社の刀剣商を横断追跡 · 価格履歴 · 売却アーカイブ
Tenmei (1781-1789)
47.6 cm
0.8 cm
2.9 cm
2.3 cm
¥430,000
松村昌直は肥後熊本の藩士で、名を英記といい、字を仲廉と称したといわれ、初め薩摩の伯耆守正幸の門に入り、のちに水心子正秀・山村綱広にも教えを受けたと云われている。刀剣の鑑識家としても当時から有名であったらしく、著書には「刀剣或問」などがある。彼の作刀には、天明から文化頃までの年紀のものがまま見られるが、現存する作品は比較的少ない。天保5年、70歳で没したと伝えられる。 この脇指は、小板目肌がよくつみ、地沸が厚くついた鍛えに、互の目乱れに尖りごころの刃などを交えてやき、沸が厚くつき、荒めの沸を交え、砂流しがかかるなどの作柄で、一見して薩摩新々刀を想わせるものであるが、就中、茎仕立・銘振りなどは伯耆守正幸に近似しており、昌直が正幸の指導を受けていたことがわかる。茎の状態があまり良くないことが惜しまれるが、昌直の作品は比較的に少なく、刀身は健体であり、制作当時の黒石目地塗鞘脇指拵が附帯することも好ましい。

¥430,000
世界81社の刀剣商を横断追跡 · 価格履歴 · 売却アーカイブ
Tenmei (1781-1789)
47.6 cm
0.8 cm
2.9 cm
2.3 cm
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