二世紀半の泰平のあいだ、刀は武器である以上に武士の身分の標章であった。江戸の実証と大坂の華やぎのように都市ごとの作風が育ち、時代の末には需要も細っていく。
信高は、政常・氏房と共に尾張新刀を代表する刀工で、本工は銘振りより八代:尾張信高の作である。初銘を「信直」といい、「尾陽住信直」と銘を切る。名は甚六、のち甚之進に改めた。六代:信高の門人であったが、天明3年、師の歿後、薩摩の大和守元平に学び、更に大坂に出て尾崎源五右衛門助隆の門に入って学んだ。七代:信高が幼少であった為、その技術指導に当たった。其の功績で「清水甚之進信高」の名乗りを許されて八代となった。尾崎助隆の作風を継承し、津田越前守助広の濤欄刃をねらい、水心子正秀に似ている。 関鍛冶町の信高氏、家絶えるにより名古屋吉田町に住み、師家を相続した。寛政2年5月、尾張徳川家から一代限りの抱え鍛冶として三人扶持を受けた。寛政3年2月、「甚之進」と改名。同7年10月27日雑用を仰せつけられ年々金二両を受ける。同8年11月18日四人扶持を加俸された。文化10年正月29日隠居し、天保8年9月8日没した。「清水甚之進信高 寛政九年二月日 写鬼ノ包丁正勝好之」と銘した「鬼の包丁」写しの脇指が有名である。 新々刀期の前期である天明・寛政・享和・文化の初年頃まで全国各地の刀匠たちが大坂新刀の濤欄刃を盛んに製作した。この脇指も鑑定すれば多くの方が水心子正秀にご覧になる程よく出来た一振りである。地刃健全にて、出来が優れているばかりでなく、茎の保存状態も良く、清水甚之進の銘振りも貴重であり、200年以上の星霜を経た年月を感じさせない。 本作は、尾張徳川家の家臣の家に伝来したもので、ハバキは上貝が切、下貝が檜垣の鑢がかかった時代の尾張ハバキにて、金の含有量が多い為か金錆もよく味わいがあり、下地の素銅も赤い緋色銅となっている。白鞘は鞘は古いもので、元来、共柄であったものと思われる。






尾張 · 1789-1801頃
刀剣大鑑 上位77%
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江戸時代
二世紀半の泰平のあいだ、刀は武器である以上に武士の身分の標章であった。江戸の実証と大坂の華やぎのように都市ごとの作風が育ち、時代の末には需要も細っていく。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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