【銘】武州住正義(武州伊藤派、杢目図) 【解説】 本作の鑑定書によれば、制作者は江戸時代後期(18世紀後半)に活躍した武州住正義(ぶしゅうじゅう まさよし)、通称「定七」とされています。「武州」とは武蔵国(現在の東京都、埼玉県、神奈川県の一部)の別称であり、「武州住」とは彼がこの地で作刀・制作に従事していたことを示しています。正義は鐔制作を専門とした「武州伊藤派」に属していました。同派は元禄年間(1680-1709)に正長によって興され、江戸時代を通じて繁栄し、日本各地の鐔工に多大な影響を与えました。 形状は「四ツ木瓜形(よつもっこうがた)」を呈しています。木瓜形の由来は、鳥の巣の中にある卵の形、あるいは植物の木瓜(ボケ)を輪切りにした際の断面に似ていることからその名がついたとされています。本作のような四つの膨らみを持つ形状は、木瓜形の中でも最も一般的で格調高いものとされています。 意匠については、表裏両面に「杢目(もくめ)」模様が施されています。この木目調の文様は、江戸時代において鐔のみならず様々な装身具や調度品に用いられました。当時から日本の伝統技術として、海外の人々をも魅了してきた意匠の一つです。 江戸の職人技が光る本作を、ぜひお手元でご鑑賞ください。 ※アンティーク品のため、状態については写真にて詳細をご確認ください。 【鐔(つば)とは】 鐔は日本刀の拳を守るための護具(ハンドガード)です。身分の高い侍は、刀本体だけでなく、鐔をはじめとする美しい刀装具で刀を飾り立てました。特に鐔の表側(差表)は、登城時や街を歩く際に他者の目に触れる機会が多いため、より装飾性の高い意匠が好まれました。 【刀装具の重要性について】 日本刀には、鐔、目貫(めぬき)、縁頭(ふちがしら)など、多彩な装飾具が備わっています。これらは武器としての機能だけでなく、持ち主の個性や信念、あるいは格式を示す象徴でもありました。現代で例えるなら、スマートフォンのケースやアクセサリーに近い感覚と言えるかもしれません。 ぜひ細部を拡大してご覧ください。鉄や銅を主材とし、金、銀、四分一(しぶいち)などの色金(いろがね)を象嵌した、日本の高度な彫金技術が見て取れます。鐔一つとっても、その造形や重さは千差万別です。刀と共に時代を歩んできたこれらの装具は、刀本体に劣らぬ美術的価値を有しています。刀装具にまで目を向けることこそ、真の愛刀家、数寄者への第一歩と言えるでしょう。 【鑑定書】 日本刀装具研究会 鑑定書 本作には「日本刀装具研究会」が発行した鑑定書が付属します。 ※本団体は、公益財団法人日本美術刀剣保存協会(日刀保・NBTHK)や、NPO法人日本刀剣保存会(NTHK)とは別の組織です。 鑑定日は令和6年(2024年)3月28日です。ご購入者様にはこちらの鑑定書原本をお渡しいたします。ご希望があれば、記載内容の英訳(PDF)も承ります。 【運営について】 サムライミュージアム(東京)では、侍の歴史に関する古美術品を展示しております。オンラインショップでは、日本刀、甲冑、伝統工芸品など、日本の職人技が息づく品々を取り扱っております。 【お支払い方法】 Stripe(クレジットカード)、PayPal、Apple Pay、Google Payをご利用いただけます。いずれも安全な決済方法です。日本円(JPY)のほか、米ドル(USD)、豪ドル(AUD)、加ドル(CAD)、ユーロ(EUR)、スイスフラン(CHF)、英ポンド(GBP)での決済が可能です。価格設定は日本円を基準としております。







正義
江戸
武蔵
在銘
鐔工 · 武蔵
現在2点販売中
鐔工 · 武蔵
現在52点販売中
伊藤派は武蔵国江戸神田を拠点とした金工の一派で、初代正長(元禄頃~享保十二年没)が宝永七年に将軍家宣に拝謁し、公儀お抱え鍔師に任ぜられたことに始まる。歴代当主はいずれも「正」の字を通字とし、十代にわたって鍔・小道具の制作を続けた。二代正恒は糸透かしと呼ばれる精緻な糸鋸透の技法を開発し、「武州住正恒」と銘する打刀拵では鐔・縁頭を同作とし、七宝・螺鈿・金打込を駆使した統一的な拵を手がけている。十代にして最後の当主となった伊藤勝見(文政十二年〈一八二九〉生、明治四十三年〈一九一〇〉没)は、十二歳で田中清寿の門人となり、弘化元年に師家の養子となって清重と名乗った。若くして法橋に叙され、師父から東竜斎の号を許されたが、清寿と不仲になって田中家を離れた後、柴田是真に蒔絵を学んだ。万延元年三月に伊藤正広家と養子縁組して正隆と名乗り、伊藤家十代目を継承、三十歳後半に勝見と改名した。金工の鍛錬に是真門下の蒔絵の薫陶が加わり、勝見の色金への鋭敏な感覚に結実した。 伊藤派の作風は、象嵌と色絵を的確に用いた精密な彩色金工を最大の特色とする。鉄・四分一・朧銀・赤銅の地板に、高彫・鋤出高彫・片切彫・毛彫といった多彩な彫技を駆使し、金・銀・素銅・緋色銅・真鍮など多種の色金による象嵌色絵を施す。正恒の拵作品では赤銅魚子地に高彫色絵の栗形・返角を配し、鐺には金地に桜花文を打込む手法が見られ、「すべてに取り合せがよく、当時の武士の好尚がうかがえる」と評される。勝見の作品では、鳥羽僧正に因む鳥獣戯画蛙合戦図・蝦蟇仙人蛙合戦図・大聖不動明王図など物語性・信仰性の強い図柄が好まれ、いずれも「高彫から片切毛彫を駆使した抜群な彫技」と「的確で優れた象嵌色絵」が一体となった画面を構成する。小柄においても牡丹に胡蝶を金・銀・緋色銅など多彩な色金で豊かに表現し、「発色の良い色金の象嵌技術は勝見の本領が存分に発揮され」た入念作と称される。据文象嵌・布目象嵌・消し込み象嵌など技法の使い分けも巧みで、清寿門下の伝統を踏まえつつ独自の境地を拓いた。 伊藤派は元禄から明治に至るまで江戸の鐔工として高い水準を維持した一門である。参勤交代を通じて各国の武士がその作品を求め、伊藤鐔は全国に広まった。説示において勝見の作品は繰り返し「真骨頂を示す優品」「勝見の本領が存分に発揮された」と評価され、蛙合戦図鐔については「諧謔な図を昇華させた鐔」と、物語画を金工芸術の高みに引き上げた点が特筆されている。絵画的な構図力と高度な彫金・象嵌を融合させ、信仰や文学の主題を鐔上に再現し得た伊藤派は、幕末金工史において独自の位置を占める。
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
Returns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.
【銘】武州住正義(武州伊藤派、杢目図) 【解説】 本作の鑑定書によれば、制作者は江戸時代後期(18世紀後半)に活躍した武州住正義(ぶしゅうじゅう まさよし)、通称「定七」とされています。「武州」とは武蔵国(現在の東京都、埼玉県、神奈川県の一部)の別称であり、「武州住」とは彼がこの地で作刀・制作に従事していたことを示しています。正義は鐔制作を専門とした「武州伊藤派」に属していました。同派は元禄年間(1680-1709)に正長によって興され、江戸時代を通じて繁栄し、日本各地の鐔工に多大な影響を与えました。 形状は「四ツ木瓜形(よつもっこうがた)」を呈しています。木瓜形の由来は、鳥の巣の中にある卵の形、あるいは植物の木瓜(ボケ)を輪切りにした際の断面に似ていることからその名がついたとされています。本作のような四つの膨らみを持つ形状は、木瓜形の中でも最も一般的で格調高いものとされています。 意匠については、表裏両面に「杢目(もくめ)」模様が施されています。この木目調の文様は、江戸時代において鐔のみならず様々な装身具や調度品に用いられました。当時から日本の伝統技術として、海外の人々をも魅了してきた意匠の一つです。 江戸の職人技が光る本作を、ぜひお手元でご鑑賞ください。 ※アンティーク品のため、状態については写真にて詳細をご確認ください。 【鐔(つば)とは】 鐔は日本刀の拳を守るための護具(ハンドガード)です。身分の高い侍は、刀本体だけでなく、鐔をはじめとする美しい刀装具で刀を飾り立てました。特に鐔の表側(差表)は、登城時や街を歩く際に他者の目に触れる機会が多いため、より装飾性の高い意匠が好まれました。 【刀装具の重要性について】 日本刀には、鐔、目貫(めぬき)、縁頭(ふちがしら)など、多彩な装飾具が備わっています。これらは武器としての機能だけでなく、持ち主の個性や信念、あるいは格式を示す象徴でもありました。現代で例えるなら、スマートフォンのケースやアクセサリーに近い感覚と言えるかもしれません。 ぜひ細部を拡大してご覧ください。鉄や銅を主材とし、金、銀、四分一(しぶいち)などの色金(いろがね)を象嵌した、日本の高度な彫金技術が見て取れます。鐔一つとっても、その造形や重さは千差万別です。刀と共に時代を歩んできたこれらの装具は、刀本体に劣らぬ美術的価値を有しています。刀装具にまで目を向けることこそ、真の愛刀家、数寄者への第一歩と言えるでしょう。 【鑑定書】 日本刀装具研究会 鑑定書 本作には「日本刀装具研究会」が発行した鑑定書が付属します。 ※本団体は、公益財団法人日本美術刀剣保存協会(日刀保・NBTHK)や、NPO法人日本刀剣保存会(NTHK)とは別の組織です。 鑑定日は令和6年(2024年)3月28日です。ご購入者様にはこちらの鑑定書原本をお渡しいたします。ご希望があれば、記載内容の英訳(PDF)も承ります。 【運営について】 サムライミュージアム(東京)では、侍の歴史に関する古美術品を展示しております。オンラインショップでは、日本刀、甲冑、伝統工芸品など、日本の職人技が息づく品々を取り扱っております。 【お支払い方法】 Stripe(クレジットカード)、PayPal、Apple Pay、Google Payをご利用いただけます。いずれも安全な決済方法です。日本円(JPY)のほか、米ドル(USD)、豪ドル(AUD)、加ドル(CAD)、ユーロ(EUR)、スイスフラン(CHF)、英ポンド(GBP)での決済が可能です。価格設定は日本円を基準としております。







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江戸
武蔵
在銘
鐔工 · 武蔵
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鐔工 · 武蔵
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伊藤派は武蔵国江戸神田を拠点とした金工の一派で、初代正長(元禄頃~享保十二年没)が宝永七年に将軍家宣に拝謁し、公儀お抱え鍔師に任ぜられたことに始まる。歴代当主はいずれも「正」の字を通字とし、十代にわたって鍔・小道具の制作を続けた。二代正恒は糸透かしと呼ばれる精緻な糸鋸透の技法を開発し、「武州住正恒」と銘する打刀拵では鐔・縁頭を同作とし、七宝・螺鈿・金打込を駆使した統一的な拵を手がけている。十代にして最後の当主となった伊藤勝見(文政十二年〈一八二九〉生、明治四十三年〈一九一〇〉没)は、十二歳で田中清寿の門人となり、弘化元年に師家の養子となって清重と名乗った。若くして法橋に叙され、師父から東竜斎の号を許されたが、清寿と不仲になって田中家を離れた後、柴田是真に蒔絵を学んだ。万延元年三月に伊藤正広家と養子縁組して正隆と名乗り、伊藤家十代目を継承、三十歳後半に勝見と改名した。金工の鍛錬に是真門下の蒔絵の薫陶が加わり、勝見の色金への鋭敏な感覚に結実した。 伊藤派の作風は、象嵌と色絵を的確に用いた精密な彩色金工を最大の特色とする。鉄・四分一・朧銀・赤銅の地板に、高彫・鋤出高彫・片切彫・毛彫といった多彩な彫技を駆使し、金・銀・素銅・緋色銅・真鍮など多種の色金による象嵌色絵を施す。正恒の拵作品では赤銅魚子地に高彫色絵の栗形・返角を配し、鐺には金地に桜花文を打込む手法が見られ、「すべてに取り合せがよく、当時の武士の好尚がうかがえる」と評される。勝見の作品では、鳥羽僧正に因む鳥獣戯画蛙合戦図・蝦蟇仙人蛙合戦図・大聖不動明王図など物語性・信仰性の強い図柄が好まれ、いずれも「高彫から片切毛彫を駆使した抜群な彫技」と「的確で優れた象嵌色絵」が一体となった画面を構成する。小柄においても牡丹に胡蝶を金・銀・緋色銅など多彩な色金で豊かに表現し、「発色の良い色金の象嵌技術は勝見の本領が存分に発揮され」た入念作と称される。据文象嵌・布目象嵌・消し込み象嵌など技法の使い分けも巧みで、清寿門下の伝統を踏まえつつ独自の境地を拓いた。 伊藤派は元禄から明治に至るまで江戸の鐔工として高い水準を維持した一門である。参勤交代を通じて各国の武士がその作品を求め、伊藤鐔は全国に広まった。説示において勝見の作品は繰り返し「真骨頂を示す優品」「勝見の本領が存分に発揮された」と評価され、蛙合戦図鐔については「諧謔な図を昇華させた鐔」と、物語画を金工芸術の高みに引き上げた点が特筆されている。絵画的な構図力と高度な彫金・象嵌を融合させ、信仰や文学の主題を鐔上に再現し得た伊藤派は、幕末金工史において独自の位置を占める。
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
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