二世紀半の泰平のあいだ、刀は武器である以上に武士の身分の標章であった。江戸の実証と大坂の華やぎのように都市ごとの作風が育ち、時代の末には需要も細っていく。
日本刀 大刀・脇差 拵入り 大小 銘:相模守藤原国綱(大刀)/大和守藤原国行(脇差) 日本美術刀剣保存協会(NBTHK)特別保存刀剣(大刀)および保存刀剣(脇差)鑑定書付 【解説】 -大刀- 本作は、明暦三年(1657年:江戸時代前期)に相模守藤原国綱によって製作された一振りです。国綱は初代越前兼植の門人で、越前国(現在の福井県)の下坂派に属しました。通称を多平兵衛といい、その優れた技量から朝廷より「相模守」を受領しています。越前で活躍した後、江戸へも移住しました。 越前下坂派の祖は初代康継とされています。康継は室町時代末期に滋賀県の下坂に生まれ、慶長年間まで同地で活動していましたが、主君の転封に伴い越前国へ移りました。その後、徳川家康の三男であり越前北ノ庄藩主であった結城秀康の知遇を得ます。 秀康の庇護のもと、初代康継は越前下坂派を確立し、その名は全国に轟きました。秀康の推挙により、康継は徳川将軍家の御抱え鍛冶となり、家康・秀忠の両大御所および将軍より絶大な信頼を寄せられました。 初代康継は家康より「康」の一字を賜って名を改め、さらに茎に徳川家の家紋である「葵紋」を切ることを許されました。同派は江戸時代を通じて大いに繁栄し、多くの名工を輩出しました。本作の作者である国綱も、この名門の系譜において卓越した技術を習得したことが伺えます。 江戸時代の越前国は、徳川将軍家の親藩である越前松平家が統治し、大いに栄えました。武士たちの旺盛な需要に応えるべく、諸国から腕利きの刀工が集まりましたが、なかでも美濃国(岐阜県)出身の刀工が多く、彼らは「越前関」と呼ばれました。国綱の師である初代兼植も、その代表的な一人です。 -脇差- 本作は、豊後高田派の名工、大和守藤原国行による脇差です。国行は寛文年間(1661-1673年:江戸時代前期)に活躍し、江戸期における高田派の隆盛を支えた中心人物です。府内城(大分県)を治めた徳川家ゆかりの譜代大名、大給松平家に仕えたお抱え鍛冶として知られています。 高田派は、南北朝時代(1334-1338年頃)に豊後国高田(現在の大分県)にて高田友行によって創始されました。友行は備前国(現在の岡山県)へ赴いて備前伝の作刀技術を学び、帰郷後に門人を育成したのが同派の始まりとされています。 戦国時代には、九州各地の武士のために数多くの刀剣を製作しました。高田の刀は、当時二大産地として名を馳せた備前や美濃の刀にも比肩するとの評価を得ていました。 戦国期の豊後国は大友宗麟(義鎮)によって統治され、九州において強大な軍事・政治基盤を築いていました。高田の刀工たちは、この大友家に仕えた武士たちの需要を一手に引き受けていたと言われています。 古来より九州地方は大陸との交易の要所として栄え、独自の刀剣文化を育んできました。本作はその伝統を継承しつつ、江戸期の洗練された技術が光る優品です。
在銘 · Shimosaka/takada · 江戸 · 長さ 70cm · 反り 0.7cm








































越前 · 1648-1652頃
藤代 Chu-jo saku · 刀剣大鑑 上位76%
現在2点販売中
二世紀半の泰平のあいだ、刀は武器である以上に武士の身分の標章であった。江戸の実証と大坂の華やぎのように都市ごとの作風が育ち、時代の末には需要も細っていく。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.
日本刀 大刀・脇差 拵入り 大小 銘:相模守藤原国綱(大刀)/大和守藤原国行(脇差) 日本美術刀剣保存協会(NBTHK)特別保存刀剣(大刀)および保存刀剣(脇差)鑑定書付 【解説】 -大刀- 本作は、明暦三年(1657年:江戸時代前期)に相模守藤原国綱によって製作された一振りです。国綱は初代越前兼植の門人で、越前国(現在の福井県)の下坂派に属しました。通称を多平兵衛といい、その優れた技量から朝廷より「相模守」を受領しています。越前で活躍した後、江戸へも移住しました。 越前下坂派の祖は初代康継とされています。康継は室町時代末期に滋賀県の下坂に生まれ、慶長年間まで同地で活動していましたが、主君の転封に伴い越前国へ移りました。その後、徳川家康の三男であり越前北ノ庄藩主であった結城秀康の知遇を得ます。 秀康の庇護のもと、初代康継は越前下坂派を確立し、その名は全国に轟きました。秀康の推挙により、康継は徳川将軍家の御抱え鍛冶となり、家康・秀忠の両大御所および将軍より絶大な信頼を寄せられました。 初代康継は家康より「康」の一字を賜って名を改め、さらに茎に徳川家の家紋である「葵紋」を切ることを許されました。同派は江戸時代を通じて大いに繁栄し、多くの名工を輩出しました。本作の作者である国綱も、この名門の系譜において卓越した技術を習得したことが伺えます。 江戸時代の越前国は、徳川将軍家の親藩である越前松平家が統治し、大いに栄えました。武士たちの旺盛な需要に応えるべく、諸国から腕利きの刀工が集まりましたが、なかでも美濃国(岐阜県)出身の刀工が多く、彼らは「越前関」と呼ばれました。国綱の師である初代兼植も、その代表的な一人です。 -脇差- 本作は、豊後高田派の名工、大和守藤原国行による脇差です。国行は寛文年間(1661-1673年:江戸時代前期)に活躍し、江戸期における高田派の隆盛を支えた中心人物です。府内城(大分県)を治めた徳川家ゆかりの譜代大名、大給松平家に仕えたお抱え鍛冶として知られています。 高田派は、南北朝時代(1334-1338年頃)に豊後国高田(現在の大分県)にて高田友行によって創始されました。友行は備前国(現在の岡山県)へ赴いて備前伝の作刀技術を学び、帰郷後に門人を育成したのが同派の始まりとされています。 戦国時代には、九州各地の武士のために数多くの刀剣を製作しました。高田の刀は、当時二大産地として名を馳せた備前や美濃の刀にも比肩するとの評価を得ていました。 戦国期の豊後国は大友宗麟(義鎮)によって統治され、九州において強大な軍事・政治基盤を築いていました。高田の刀工たちは、この大友家に仕えた武士たちの需要を一手に引き受けていたと言われています。 古来より九州地方は大陸との交易の要所として栄え、独自の刀剣文化を育んできました。本作はその伝統を継承しつつ、江戸期の洗練された技術が光る優品です。
在銘 · Shimosaka/takada · 江戸 · 長さ 70cm · 反り 0.7cm








































越前 · 1648-1652頃
藤代 Chu-jo saku · 刀剣大鑑 上位76%
現在2点販売中
二世紀半の泰平のあいだ、刀は武器である以上に武士の身分の標章であった。江戸の実証と大坂の華やぎのように都市ごとの作風が育ち、時代の末には需要も細っていく。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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