説明

備前宇甘派 雲生 太刀(参考資料) 【銘】 雲生(初代) 【時代】 鎌倉時代後期 嘉元頃(1303-1306年)備前 【銘文例】 「備前国宇甘郷住人雲生作」 「雲生」 「備前国住雲生」 【解説】 雲生は備前国宇甘郷に居住した「雲類(うんぷい)」の祖として知られます。嘉元二年(1304年)銘の作刀に「六十五歳造之」とあることから、逆算すると生年は仁治元年(1240年)と推測されます。 伝承によれば、当初は「国友」と銘じていたといわれ、元享年間(1321-1324年)に雲次と共に京都へ上り、後醍醐天皇に仕えたと伝えられています。ある夜、二人は刃文がたなびく雲のようになる夢を見、翌日実際にそのような刃文を焼き上げました。これを見た後醍醐天皇(一説には後鳥羽上皇とも)がいたく感銘を受け、それぞれ「雲生」「雲次」の名を賜ったという逸話が残されています。 その作風は、一般的な備前物と比較して山鳥派に近い山城伝の特色が強く、京に上ったという伝説を裏付けるものとなっています。 地鉄は小板目肌がよく詰み、映りが立ち、刃文は直刃を基調とします。また、やや肌立つ小板目に小沸出来の直刃小乱れを焼くものもあります。 【格付】 上作 ◎

Bizen Ukai School Unsho tachi
Jubi

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太刀

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刀工

Unsho

流派

Ukai

時代

Kamakura

作者について

Ukai Unsho雲生

6 重要文化財9 重要美術品2 御物3 特別重要刀剣54 重要刀剣

鎌倉時代末期から南北朝期にかけて、備前国宇甘庄(後に鵜飼とも書く)に雲生・雲次・雲重らの刀工が居住した。説明書はその居住地から一派を宇甘派あるいは鵜飼派と呼び、皆名に「雲」の字を冠することから雲類とも呼称する。雲生はこの派の「事実上の祖」と明記される工である。年紀作は現存せず、銘鑑は初代を乾元・嘉元(一三〇二〜〇六)頃に置き、その活躍年代は正和・文保・建武の年紀を有する雲次の作によって定まる。伝えでは雲次とともに上京して山城鍛冶に鍛刀を学び、「後醍醐天皇の御番鍛冶」を勤めたといい、本間は鎺下に「十六葉の菊花紋」を刻した極めて稀な作が宮中との関係を考えさせると述べる。一派の作風については「備前伝の中に山城風が混在」し、さらに隣国備中青江派の影響も少なからず受けて、「備前物中異色の存在」と評される。藤代の位列は上作である。 見どころの第一は反りである。細身で踏張りつき小鋒の太刀姿に反りは高く、均整のとれた輪反り(華表反り)を呈し、生ぶ茎在銘の太刀について説明書は「同時代の長船物が腰反りであるのに対して輪反りを呈している」と記す。直刃を得意とし、細直刃ないし中直刃を基調に小互の目・小丁子・浅いのたれを交える。足は青江風に逆がかって逆足が入り、処々くさび状の陰の尖り刃を交える。匂口は締まりごころに小沸つき、時に沈み、金筋・砂流しが細かにかかる。間々元に僅かの焼落しがあり、「元の焼落しは雲生の個性」と云えるとされる。帽子は丸く返って尖らず、青江気質を湛えた作にあっても「帽子が尖らず」丸みを呈するところに同工の特色が窺えるという。銘は目釘孔の上、棟寄りの二字銘で、「生」を「雲」に比して右側に寄せて切るのが手癖であり、本間は比較的大振りのこの手の銘を初代と鑑している。 鍛えは板目、処々小板目に約み、杢を交え、地沸つき、地景細かに入り、乱れ映りが立つ。就中「指の腹で押したような雲類独特の黒い地斑映り」が同派の見どころであり、かな色はやや黒みがかる。本間は、鎌倉末期の備前物でありながら地刃に沸づくこと、また「まま極めて長船物以上に鮮明な映り」のあるものが見られることを見処に挙げる。 説明書は「代表的作風は二様あって」と明記する。一様は板目・杢が立ち、直刃に小乱れを交えて逆ごころあり、沸ついて砂流しのかかるもの、今一様は小板目がよく約み、地映りが殊に判然として直刃の匂口の締まるものである。第七回特別重要の生ぶ茎の太刀は前者に属し、「指で押した様な古調な映り」が看取される。この二様の外に、より強い作域がある。「雲生の作風は焼きの低いやや働きの寂しいものが多く」、他には焼幅がやや広く足・葉の目立つ沸の強くついた雲次にも通じるものが知られ、第二十一回特別重要の折返銘の刀は正にその力強い作域を示す。稀に大和ごころを加味して沸のやや強いものもある。工人については少なくとも二代の存在が認められ、二代は文保あるいは建武頃に置かれ、銘鑑は初代雲次をその子(一説に弟)と伝える。長銘は稀で、「備前国雲生」と銘した短刀は「他に類例が殆ど無く」、資料性の高い貴重な銘とされる。 備前の中での座標は説明書自身の言葉に尽きる。一派の出来は反り格好を始めとして備前物の中で「最も京物に近い」といわれ、個々の作は来物や隣国青江に紛れることがある。直刃は京物の格に達しつつ、足は青江風に逆がかる。しかも地には鮮明な乱れ映りが立って生国備前の趣が濃く、青江気質を帯びた作でも帽子は丸く返る。下流については、判者は焼きで一派を分かつ。雲生は焼きが低く働きがやや寂しく、雲次は焼幅広く沸強く足・葉が目立つ。雲生の力強い作は雲次に近づくと読まれ、一派は雲重らに続く。 指定を受けた作は七十四口を数える。うち六口は重要文化財として伝存し、戦前の重要美術品九口には、「上杉景勝御手選び三十五腰」の一振りに数えられて上杉家に伝来した菊紋の太刀、岩崎小弥太旧蔵で現在静嘉堂文庫美術館の長寸生ぶ茎の太刀、徳川家達から佐野美術館に渡った細身の太刀が含まれる。特別重要刀剣と重要刀剣は合わせて五十七口に及び、第二十一回特別重要の折返銘の刀、第七回特別重要の生ぶ茎の太刀がその代表である。鎌倉末期の備前工としては在銘が多く、ここでは在銘三十八口に対して無銘三十四口、ほとんどが二字銘である。伝来の録された作は十口あり、第十二回特別重要の太刀は長州毛利家の庶流右田毛利家に伝来し、浅野家伝来の一刀には延宝四年本阿弥光常代金子拾枚の折紙が附帯し、ほかに大河内家・皇室を経たものがある。重要文化財と美術館蔵の諸作が市に出ることはない。蒐集家が現実に相見えるのは重要刀剣の磨上無銘の刀か在銘の太刀であり、上杉景勝が選んだような生ぶ在銘の太刀が市に現れることは稀であって、現れれば斯界の出来事となる。

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