二世紀半の泰平のあいだ、刀は武器である以上に武士の身分の標章であった。江戸の実証と大坂の華やぎのように都市ごとの作風が育ち、時代の末には需要も細っていく。
出ました出ました土佐の名工寿秀刀匠の作品が出ました。土佐(高知県)刈谷寿秀(としひで)刀匠は本名刈谷忠次氏、紫虹子(しこうし)とも号しました。江戸末寛政12年(1800年)(226年前)江戸に出、幕末の巨匠水心子正秀の門に入ります、業なり文化2年(1805年)(221年前)技を極め師に許され土佐に帰国します。当時5年間もの長きにわたり江戸の水心子正秀刀匠の門になるには江戸の滞在費用も相当かかり、それを考えますと寿秀刀匠は土佐藩お抱え鍛冶で藩命により水心子正秀刀匠の門に入ったのが正しいのでしょう。本刀は幕末文政六年(1823年)(203年前)時はドイツ人医師シーボルトが27歳で長崎の出島のオランダ商館付き医官として来日した時。シーボルトは長崎で西洋医学と博物学を日本に伝え、日本の自然、社会を体系的に記録しヨーロッパに紹介します。長崎郊外の鳴滝に私塾の鳴滝塾を開き、人体解剖学や外科手術、産科など当時最新の西洋医学を日本人に教えました、ここから高野長英や二宮敬作など近代日本医学を支える多くの蘭方医が育ち幕末の蘭方医学の水準を大きく押し上げてくれました。シーボルトが当時禁制品の日本地図を持ち出そうとしたことで幕府から追放されますが後に許され再び日本に来日します。本刀の製作時はまだまだ日本に平和の日々が続き刀の実戦用の需要の無い時、本刀が作られたのは金銭的に余裕の有る土佐藩の高級武士からの特別の注文で作られた刀しょう。姿は元身幅広く先身幅も広い切っ先の延びた刀らしい刀姿を現し、地金は板目肌良く詰み地には地景も現し明るく良い地金を鍛え、刃紋は匂い出来に小沸の付いた直調の刃を明るく焼き刃中に小さな小足を入れ上品で見事な刃を焼いています。この度古いお家の方より家代々大切にしてきた刀ですが自分達も年を取りましたので大切にしていただける方にお安くお譲りくださいとお預かりした為に見えない薄錆も有りますので特別に格安にてご提供いたします。特別保存刀剣には直ぐに成ります是非お楽しみ下さいませ。
取扱店 明倫産業
























土佐 · 1818-1830頃
現在1点販売中
江戸時代
二世紀半の泰平のあいだ、刀は武器である以上に武士の身分の標章であった。江戸の実証と大坂の華やぎのように都市ごとの作風が育ち、時代の末には需要も細っていく。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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