二つの朝廷、六十年の戦、そして刀剣史上もっとも劇的な姿。幅広の刀身、延びた切先、後代に磨上げられて雄大な刀となった大太刀。相州風がこの時代の様式であった。
出ました出ました平成6年第40回の重要刀剣に指定されている二王清綱の孫に当たる南北朝期明徳頃(1390年)(636年前)の二王清長の貴重な在銘の太刀が出ました。時は周防、長門(山口県)の守護大名大内義弘の時代、康応元年(1389年)に3代将軍足利義満(金閣寺を建立した将軍)が安芸厳島参詣ののち周防に立ち寄り大内義弘が歓待し、将軍足利義満に従って大内義弘も共に上洛、京都で幕府への奉公に励み幕府内での地位を高めていきます、明徳の乱(1391年)で山名氏清らが足利義満に反乱を起こしますがこの戦いで大内義弘は幕府方として勇戦し武名を大いに高めました、本二王清長の太刀はその周防の国の隆盛時に作られた作品です。二王の祖の二王清綱は周防国(山口県)木崎村の仁王堂が焼失した際に自作の太刀で鎖を断ち切り仁王像を救出したので、以降は仁王と号します。本太刀は孫に当たる二王清長の貴重な在銘の太刀です。本太刀の姿は鎬造、庵棟、身幅やや狭く反り浅く付き中切っ先の姿を現し、地金は小板目良く詰み、流れ柾目肌を交え、地には地沸が付き地景を現し棟寄りに白け映りを現しています。刃紋は細直刃に匂い口が明るく冴えて小互の目を交え、刃縁にほつれや打ちのけや食い違い刃を現し、小足を入れ小沸が付いて帽子は直ぐに大丸ごころでわずかに掃き掛けて二王派の特色が非常に良く現れています。彫り物は表裏に棒樋を丸留めにし、添え樋を掻き流しています。周防の国は元々奈良の東大寺の寺領が多く、二王派の作風に大和色が強いのは大和本国との交流によるものですが、地金に白け映りを現しているのは二王派の特に個性を現しています。拵えも江戸期の黒ロー鞘の付いた豪華な拵えが本二王清長の太刀に一層華を添えています。この度古いお数寄者様から長年大切にしてきた南北朝時代の二王清長の貴重な在銘の太刀ですが自分も年を取りましたので大切にして頂ける方にお安くお譲り下さいとお預かりした為に在銘の二王清長の貴重な太刀を特別に超特価にてご提供いたします。重要刀剣をお持ちになりたい方に特におすすめです是非お楽しみ下さい。
周防国二王派は、清綱を事実上の祖として始まり、現存する作品では「文永二年三月・清綱」と切った太刀が最も古 く、以後一門の流れは南北朝・室町期を経て新刀期にまで及んでいる。 同派の作品は、大和気質の強い直刃調のものが多 く、地鉄に白気映りが立ち、刃文にうるみを見せる点などがその特色とされる。 この刀は、地鉄は小板目肌に淡く映りが立ち、刃文は直刃調、処々にうるみを見せるなど、二王派の作風のよく現われ たものである。青味を帯びた精緻な鍛えがよく、時代は鎌倉末乃至南北朝期と鑑せられる。



































周防国二王派は、清綱を事実上の祖として始まり、現存する作品では「文永二年三月・清綱」と切った太刀が最も古 く、以後一門の流れは南北朝・室町期を経て新刀期にまで及んでいる。 同派の作品は、大和気質の強い直刃調のものが多 く、地鉄に白気映りが立ち、刃文にうるみを見せる点などがその特色とされる。 この刀は、地鉄は小板目肌に淡く映りが立ち、刃文は直刃調、処々にうるみを見せるなど、二王派の作風のよく現われ たものである。青味を帯びた精緻な鍛えがよく、時代は鎌倉末乃至南北朝期と鑑せられる。
脇物 · 周防 · 1352-1356頃
刀剣大鑑 上位23%
現在1点販売中
二王清永は、周防国(現在の山口県)に鎌倉時代から続く二王派の刀工である。二王派は、清綱を事実上の祖とし、南北朝時代から新刀期に至るまで存続した。同派の作風には大和物の影響が認められるが、これは周防国が東大寺の寺領を多く抱えていたことに起因すると考えられている。清永は室町時代初期、応永頃(1394〜1428年)の刀工とされており、現存する作品には応永の年紀を持つものも存在する。末二王を代表する刀工の一人である。
清永の作風は、地鉄においては小板目肌がよく約み、流れ柾を交え、地沸がつき、白気映りが立つ点が特徴として挙げられる。刃文は、細直刃を基調とし、小互の目を交え、刃縁にほつれ、打のけ、喰違刃などが現われ、小足が入り、小沸がつく。帽子は直ぐに大丸ごころとなり、僅かに掃きかける。作例として短刀が多く、平造、三つ棟で身幅が広く、反りのない姿のものが見られる。また、櫃内に鶴亀や二王の彫物を施した作例も存在する。
二王派の特色である地鉄に立つ白気映りや、刃文のうるみは清永の作品にも顕著に現れており、同派の作風をよく示している。重要刀剣指定の太刀の説示においては、「地鉄は小板目に流れ柾を交え、白気映りが立ち、刃文は細直刃調、匂口が明るく冴え、刃縁に沿って働きが見られるなど、同派の特色がよく現われており」[[c:1]]と評されている。短刀においても、「小板目つみ、柾ごころ交り、白ける」地鉄や、「直刃、小互の目僅かに交り、小沸つく」刃文など、二王派の特色が認められる。
清長の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
脇物 · 周防
現在13点販売中
周防国二王派は、山陽道の西端、大和より海路と陸路で結ばれたこの国に興った古刀の一派である。保延頃の清真または清平を祖と伝えるが、いずれにも確かな遺作を見ず、今日では鎌倉時代の清綱を事実上の祖と仰ぐ。同派の在銘作として最も古いのは「文永二年三月 清綱」[[c:1]]と書き下しの銘をもつ太刀で、厳島神社に伝わり、初代を鑑する基準作とされる。次いで建武二年紀の「防州玖珂庄清綱」銘の短刀が知られ、清綱の名が鎌倉末より南北朝、室町を経て新刀期に至るまで代を重ねて続いたことを示す。二王の呼称は同国仁保庄に居住したことに由来するとの説が有力である。周防には東大寺をはじめとする寺領が多く存し、二王派の作風に大和色が濃いのは、この大和本国との交流に負うものと考えられている。 構成員がそろって記すのは、柾がかって肌立つ地と、湿りをふくんだ直刃調の刃である。鍛えは板目に杢や流れ肌を交え、処々強く流れて柾がかり、細かに肌立ち、地沸がつき、地景の入るものもある。刃文は細直刃を基調とし、小互の目、小乱れ、小のたれを交え、小足・葉が入り、刃縁にほつれ・打のけ・喰違刃を見せ、小沸つき、金筋・砂流しがかかる。そして地鉄には冴えた映りではなく白け映りが立ち、これと対をなして匂口がうるむ。この白け映りとうるみの取り合わせこそ、構成員が立ち返って同派の個性と名指すところである。帽子は直ぐに小丸へ返るものが多い。鎌倉末期の古二王、すなわち清綱の手は、太刀が細身で鎬高く腰反り高い姿を示し、短刀は平造でわずかに内反りつく。これに対し応永頃の清永ら後代の末二王は、小板目のよく約んだ地に流れ柾を交え、身幅広く反りの浅い平造短刀を多く遺し、櫃内に鶴亀や二王の彫を施す作も見せて、古二王の静けさからやや作域を広げる。 鑑定の勘所は、拠り所を同じくする大和や青江、山城来の直刃とどう分かつかにある。流れて柾がかる鍛えは大和の血脈を望ませ、細直刃の素地は来を望ませるが、来や手掻に見る冴えた匂口は、ここではより湿った沈みごころの態に替わる。白け映りとうるみの一方ではなく、その二つが地と刃に並び立つことが、同派を他と分かつ見どころである。在銘の太刀・短刀は棟寄りに細鏨の二字銘を切り、原鑢の鷹の羽を残すものがあり、これを古い手の清綱の典型として初代に充てる。無銘大磨上の刀は、流れて柾がかり肌立った鍛え、白け映り、うるみ刃文という同じ拠り所を裏から読んで極められる。主要工としては事実上の祖たる清綱が同派を測る代であり、末二王の清永がこれに次いで一派の継続を支える。遺例は確実なものこそ多くないが、最古手の在銘太刀をはじめ在銘・無銘の数口が基準作に列なり、地刃に緩みなく同派の特色をよくあらわす。来歴の遺るところには格があり、ある太刀は徳川宗家の手を経て後に美術館へ納まり、在銘の一口は大阪の旧蔵を経て伝来し、年紀の基準作は厳島神社に伝存する。鷹の羽の鑢目と古い二字銘を残した在銘の清綱は、西国の鎌倉作を集める者が出会い得る最も稀なもののひとつで、現れたときには一里塚となる。 詳しく見る →
二つの朝廷、六十年の戦、そして刀剣史上もっとも劇的な姿。幅広の刀身、延びた切先、後代に磨上げられて雄大な刀となった大太刀。相州風がこの時代の様式であった。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,307口(約203口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトお客様ご都合による返品の場合はお客様ご負担となります。ご了承くださいませ。弊社の誤送、商品不良等による返品の場合は弊社にて負担いたします。
出ました出ました平成6年第40回の重要刀剣に指定されている二王清綱の孫に当たる南北朝期明徳頃(1390年)(636年前)の二王清長の貴重な在銘の太刀が出ました。時は周防、長門(山口県)の守護大名大内義弘の時代、康応元年(1389年)に3代将軍足利義満(金閣寺を建立した将軍)が安芸厳島参詣ののち周防に立ち寄り大内義弘が歓待し、将軍足利義満に従って大内義弘も共に上洛、京都で幕府への奉公に励み幕府内での地位を高めていきます、明徳の乱(1391年)で山名氏清らが足利義満に反乱を起こしますがこの戦いで大内義弘は幕府方として勇戦し武名を大いに高めました、本二王清長の太刀はその周防の国の隆盛時に作られた作品です。二王の祖の二王清綱は周防国(山口県)木崎村の仁王堂が焼失した際に自作の太刀で鎖を断ち切り仁王像を救出したので、以降は仁王と号します。本太刀は孫に当たる二王清長の貴重な在銘の太刀です。本太刀の姿は鎬造、庵棟、身幅やや狭く反り浅く付き中切っ先の姿を現し、地金は小板目良く詰み、流れ柾目肌を交え、地には地沸が付き地景を現し棟寄りに白け映りを現しています。刃紋は細直刃に匂い口が明るく冴えて小互の目を交え、刃縁にほつれや打ちのけや食い違い刃を現し、小足を入れ小沸が付いて帽子は直ぐに大丸ごころでわずかに掃き掛けて二王派の特色が非常に良く現れています。彫り物は表裏に棒樋を丸留めにし、添え樋を掻き流しています。周防の国は元々奈良の東大寺の寺領が多く、二王派の作風に大和色が強いのは大和本国との交流によるものですが、地金に白け映りを現しているのは二王派の特に個性を現しています。拵えも江戸期の黒ロー鞘の付いた豪華な拵えが本二王清長の太刀に一層華を添えています。この度古いお数寄者様から長年大切にしてきた南北朝時代の二王清長の貴重な在銘の太刀ですが自分も年を取りましたので大切にして頂ける方にお安くお譲り下さいとお預かりした為に在銘の二王清長の貴重な太刀を特別に超特価にてご提供いたします。重要刀剣をお持ちになりたい方に特におすすめです是非お楽しみ下さい。
周防国二王派は、清綱を事実上の祖として始まり、現存する作品では「文永二年三月・清綱」と切った太刀が最も古 く、以後一門の流れは南北朝・室町期を経て新刀期にまで及んでいる。 同派の作品は、大和気質の強い直刃調のものが多 く、地鉄に白気映りが立ち、刃文にうるみを見せる点などがその特色とされる。 この刀は、地鉄は小板目肌に淡く映りが立ち、刃文は直刃調、処々にうるみを見せるなど、二王派の作風のよく現われ たものである。青味を帯びた精緻な鍛えがよく、時代は鎌倉末乃至南北朝期と鑑せられる。



































周防国二王派は、清綱を事実上の祖として始まり、現存する作品では「文永二年三月・清綱」と切った太刀が最も古 く、以後一門の流れは南北朝・室町期を経て新刀期にまで及んでいる。 同派の作品は、大和気質の強い直刃調のものが多 く、地鉄に白気映りが立ち、刃文にうるみを見せる点などがその特色とされる。 この刀は、地鉄は小板目肌に淡く映りが立ち、刃文は直刃調、処々にうるみを見せるなど、二王派の作風のよく現われ たものである。青味を帯びた精緻な鍛えがよく、時代は鎌倉末乃至南北朝期と鑑せられる。
脇物 · 周防 · 1352-1356頃
刀剣大鑑 上位23%
現在1点販売中
二王清永は、周防国(現在の山口県)に鎌倉時代から続く二王派の刀工である。二王派は、清綱を事実上の祖とし、南北朝時代から新刀期に至るまで存続した。同派の作風には大和物の影響が認められるが、これは周防国が東大寺の寺領を多く抱えていたことに起因すると考えられている。清永は室町時代初期、応永頃(1394〜1428年)の刀工とされており、現存する作品には応永の年紀を持つものも存在する。末二王を代表する刀工の一人である。
清永の作風は、地鉄においては小板目肌がよく約み、流れ柾を交え、地沸がつき、白気映りが立つ点が特徴として挙げられる。刃文は、細直刃を基調とし、小互の目を交え、刃縁にほつれ、打のけ、喰違刃などが現われ、小足が入り、小沸がつく。帽子は直ぐに大丸ごころとなり、僅かに掃きかける。作例として短刀が多く、平造、三つ棟で身幅が広く、反りのない姿のものが見られる。また、櫃内に鶴亀や二王の彫物を施した作例も存在する。
二王派の特色である地鉄に立つ白気映りや、刃文のうるみは清永の作品にも顕著に現れており、同派の作風をよく示している。重要刀剣指定の太刀の説示においては、「地鉄は小板目に流れ柾を交え、白気映りが立ち、刃文は細直刃調、匂口が明るく冴え、刃縁に沿って働きが見られるなど、同派の特色がよく現われており」[[c:1]]と評されている。短刀においても、「小板目つみ、柾ごころ交り、白ける」地鉄や、「直刃、小互の目僅かに交り、小沸つく」刃文など、二王派の特色が認められる。
清長の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
脇物 · 周防
現在13点販売中
周防国二王派は、山陽道の西端、大和より海路と陸路で結ばれたこの国に興った古刀の一派である。保延頃の清真または清平を祖と伝えるが、いずれにも確かな遺作を見ず、今日では鎌倉時代の清綱を事実上の祖と仰ぐ。同派の在銘作として最も古いのは「文永二年三月 清綱」[[c:1]]と書き下しの銘をもつ太刀で、厳島神社に伝わり、初代を鑑する基準作とされる。次いで建武二年紀の「防州玖珂庄清綱」銘の短刀が知られ、清綱の名が鎌倉末より南北朝、室町を経て新刀期に至るまで代を重ねて続いたことを示す。二王の呼称は同国仁保庄に居住したことに由来するとの説が有力である。周防には東大寺をはじめとする寺領が多く存し、二王派の作風に大和色が濃いのは、この大和本国との交流に負うものと考えられている。 構成員がそろって記すのは、柾がかって肌立つ地と、湿りをふくんだ直刃調の刃である。鍛えは板目に杢や流れ肌を交え、処々強く流れて柾がかり、細かに肌立ち、地沸がつき、地景の入るものもある。刃文は細直刃を基調とし、小互の目、小乱れ、小のたれを交え、小足・葉が入り、刃縁にほつれ・打のけ・喰違刃を見せ、小沸つき、金筋・砂流しがかかる。そして地鉄には冴えた映りではなく白け映りが立ち、これと対をなして匂口がうるむ。この白け映りとうるみの取り合わせこそ、構成員が立ち返って同派の個性と名指すところである。帽子は直ぐに小丸へ返るものが多い。鎌倉末期の古二王、すなわち清綱の手は、太刀が細身で鎬高く腰反り高い姿を示し、短刀は平造でわずかに内反りつく。これに対し応永頃の清永ら後代の末二王は、小板目のよく約んだ地に流れ柾を交え、身幅広く反りの浅い平造短刀を多く遺し、櫃内に鶴亀や二王の彫を施す作も見せて、古二王の静けさからやや作域を広げる。 鑑定の勘所は、拠り所を同じくする大和や青江、山城来の直刃とどう分かつかにある。流れて柾がかる鍛えは大和の血脈を望ませ、細直刃の素地は来を望ませるが、来や手掻に見る冴えた匂口は、ここではより湿った沈みごころの態に替わる。白け映りとうるみの一方ではなく、その二つが地と刃に並び立つことが、同派を他と分かつ見どころである。在銘の太刀・短刀は棟寄りに細鏨の二字銘を切り、原鑢の鷹の羽を残すものがあり、これを古い手の清綱の典型として初代に充てる。無銘大磨上の刀は、流れて柾がかり肌立った鍛え、白け映り、うるみ刃文という同じ拠り所を裏から読んで極められる。主要工としては事実上の祖たる清綱が同派を測る代であり、末二王の清永がこれに次いで一派の継続を支える。遺例は確実なものこそ多くないが、最古手の在銘太刀をはじめ在銘・無銘の数口が基準作に列なり、地刃に緩みなく同派の特色をよくあらわす。来歴の遺るところには格があり、ある太刀は徳川宗家の手を経て後に美術館へ納まり、在銘の一口は大阪の旧蔵を経て伝来し、年紀の基準作は厳島神社に伝存する。鷹の羽の鑢目と古い二字銘を残した在銘の清綱は、西国の鎌倉作を集める者が出会い得る最も稀なもののひとつで、現れたときには一里塚となる。 詳しく見る →
二つの朝廷、六十年の戦、そして刀剣史上もっとも劇的な姿。幅広の刀身、延びた切先、後代に磨上げられて雄大な刀となった大太刀。相州風がこの時代の様式であった。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,307口(約203口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトお客様ご都合による返品の場合はお客様ご負担となります。ご了承くださいませ。弊社の誤送、商品不良等による返品の場合は弊社にて負担いたします。