説明

大和国保昌は鎌倉時代文保頃(1317年)(704年前)の大和国保昌貞宗が有名です。本刀は南北朝時代末期永和頃(1375年)(646年前)の末保昌と極められています。本刀は元は2尺7寸程の太刀をすり上げて無銘になった刀です。元身幅と先身幅の差の有る反りのやや浅い切っ先はやや小さめで上品な姿を現し、鍛は柾目肌に鍛え地沸がつきうるおいのある地鉄となり、刃紋は直調の刃に沸が良くつき所々光の強い沸を交え互の目刃も交え覇気があります。帽子は焼詰めとなっています。保昌は鎌倉時代後期大和国高市郡に保昌派の刀工集団が在住し、貞宗、貞吉、貞清、貞興等貞の字を付ける上手を輩出しました。柾目肌が最大特徴ですが、在銘の現存作も無銘の刀も素晴らしく少なく本刀の様な典型作は非常に貴重です。この度古い御数寄者様から自分も年を取ったのでこの様に保昌の柾目肌の顕著な刀は少なく貴重な為に後進の方に是非お安くお分け下さいとお預かりした為に特別に格安にてご提供いたします是非お楽しみ下さいませ。

保昌(末) Hosho
売切れ
Hozon売切れ

保昌(末) Hosho

売却済

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仕様

長さ

70.5 cm

反り

1.5 cm

元幅

2.91 cm

先幅

1.81 cm

流派について

Hosho School保昌派

2 特別重要刀剣53 重要刀剣

大和五派のうち、地鉄に総柾目を貫いたただ一門が保昌派である。その本拠は大和国高市郡、成立は鎌倉時代の末葉に置かれ、南北朝期へと続いた。古来寺院に付属して刀を鍛えた大和鍛冶の流れを汲み、同派の工は皆「貞」を通字とする。祖と仰がれるのは貞宗・貞吉で、両者は共に保昌五郎と称したと伝え、その下に貞清・貞興・貞光らが連なる。中にあって居住地と制作年紀を最も多く銘に記すのが貞吉であり、嘉暦三年紀の太刀に「大和国高市郡住」と切って活躍地・年代を明らかにする。貞清・貞興は貞宗あるいは貞吉に続く手とされ、現存する作はおおむね鎌倉末に収まる。 作風は一門を通じて均質で、まず地鉄に集約される。在銘・無銘を問わず総柾目肌を鍛え、柾が区より先まで通って棟へ抜け、地沸が厚くつき地景が頻りに入る。手掻・千手院・尻懸・当麻が柾がかった板目を鍛えるのに対し、保昌はこの純然たる総柾に徹し、説示も大和五派の中で最も作風の個性が顕著な一派と記す。刃文はその柾目に応じ、匂深く小沸のついた直刃を主とし、刃は地鉄と別に立つのではなく肌目にからんで頻りにほつれ、刃縁に喰違刃・二重刃・打のけを集め、金筋・砂流しがかかる。物打辺より上で焼幅が広がり一段と沸が強くつくのも一派の所作である。帽子は直ぐに掃きかけて焼詰めとなり、多くは返りを持たず、時に火焔風となる。茎には檜垣鑢をかけ先をぶっ切りとし、これも銘と並ぶ見どころをなす。工により振幅には差があり、貞吉の地刃は荒く沸が強く、やや時代の下る貞清・貞興の手は地刃ともに静かで精良に読まれる。短刀には小振りで重ねの厚い品のよいものが多い。 鑑定の勘所は何よりこの純然たる総柾目にあり、これによって同じ大和の手掻・千手院・尻懸・当麻と分かたれる。一門の諸工に際立った個性は見出しにくく、無銘作は個ではなく時代と作域から保昌と極められ、ゆえに在銘作では銘振りこそが工を分かつ。年紀と居住地まで記す貞吉が最も知り得る工で、藤代の極めでは最上作にあたり、貞清・貞興は二字銘や藤原を冠する四字銘を残すのみで年紀作を見ない。在銘作は短刀に多く、大磨上無銘の刀は後に金象嵌の極めを受け、埋忠家や本阿弥光一の銘を留めるものがある。伝来は大名家を貫き、肥後細川家を経た短刀をはじめ、毛利元康所持を記す大磨上の刀などが知られる。総柾目に徹したこの一門の作が市に現れることは稀で、ことに年紀ある貞吉の在銘作に接する機会は少ない。

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