国内の戦乱と海外への貿易が、室町の備前を国内随一の刀剣産地にした。応仁の乱以後は戦国の需要が一世紀続き、遣明船は数万振の単位で刀を運んでいる。
商品詳細 保存刀剣鑑定 無銘(高田統景) 価格:お問い合わせください [購入のお問い合わせ] 登録証 神奈川県 第123456号 平成9年5月22日交付 時代 室町末期〜江戸前期 法量 刃長:69.9 cm(二尺三寸七厘) 反り:1.1 cm(三分六厘) 目釘孔:2個 元幅:31.5 mm / 先幅:24.3 mm 元重:6.6 mm / 先重:4.7 mm 裸身重量:813 g 解説 高田統景は豊後国の刀工で、豊後の戦国大名・大友義統に仕えました。室町末期から江戸前期にかけての、いわゆる「新古境」の時代に活躍し、文禄四年(1595年)の裏年紀を切る作例などが現存しています。 本作は大磨上げ無銘。豊後高田派らしい直刃を焼き、刃中には小足・葉が入ります。地鉄は大板目が肌立ち、所々流れて柾掛かり、杢目を交えます。肌立ちすぎて鍛え割れが生じている箇所もありますが、それもまた景色としてお楽しみいただける範疇でしょう。特に差裏の肌合いは凄まじく、肌物(はだもの)を好まれる愛刀家の方には堪らない一振りです。 新刀期の高田物といえば、小板目つみ、帽子は小丸に返り、鎬が高いという印象がありますが、本作はその特徴にはあまり当てはまりません。一見すると古刀期の作のようにも感じられますが、手に取った際にずっしりと感じる重量感はまさに新刀のそれです。古刀と新刀、双方の魅力を併せ持った新古境の刀らしい出来映えと言えるでしょう。刃中の働きも豊富で、見飽きることのない一振りです。 比較的美品ではございますが、経年によるヒケ等がございます。詳細は写真にてご確認いただけますと幸いです。

































































備前伝 · 豊後 · 1592-1596頃
刀剣大鑑 上位60%
現在5点販売中
統景の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
備前伝 · 豊後
現在44点販売中
豊後国の高田派は、同国高田荘の地名を負う一門で、鎌倉初期に定秀・行平らの名工を出した九州刀の伝統が一時跡絶えた後、南北朝時代に友行が同地に現れて再興した鍛冶集団である。説示は友行をもって高田鍛冶の祖とし、現存する年紀作に貞治・正平の年号を伝える点を挙げる。友行のほか、その子あるいは門人と伝える時行が著名で、別系と思われる行政には建徳二年紀の短刀がある。南北朝期の作には「藤原」を冠し、室町期以降は「平」を銘じて「盛」「守」「鎮」「統」などを通字とし、これらを総じて平高田と汎称する。さらに末期に至って再び「藤原」を冠するようになり、江戸期以降もこれを踏襲して藤原高田と呼び習わされ区分される。この間に長盛・竪守・鎮教・鎮清・鎮正らを輩出し、鎮正の門からは伊予宇和島に移った国房が出て新刀期へと繋がるなど、室町後期から江戸期に及ぶ長い系譜を形づくった。 作風は説示の記すところ多彩で、一様には括れない。鍛えは板目に杢を交え、総じて肌立ちごころとなり、柾に流れる態を見せて、地沸つき地景入り、白気映りや乱れ映りが立つものが多い。刃文は直刃を基調とするものから、小互の目や角ばる互の目を交えて乱れるもの、腰の開いた複式風で末備前を彷彿とさせるもの、さらに皆焼に及ぶものまで幅がある。祖の友行は同時代の左文字一類に近似するが、刃中に角ばる互の目が間遠に連れ、地に白けが強く地斑を交える点が見どころとされる。室町期の作の多くに共通する要所として、刃中に針の先で突いたような固い葉が入ることが従来指摘されており、系統と時代の判別に資する。姿形は室町中期頃までは反りが深くついて反らせたものが多く、末期は身幅広めで反りが幾分浅く、中鋒が延びて時代を映した頑健な造込みとなる。行政の作のように、鍛えが大きく流れて古典色が濃く、櫃中に行平を踏襲した倶利迦羅の浮彫を施す例もみられる。 伝承の上では、高田物は実用刀として広く行き渡った一方、斯界の評価は決して高くないとされてきた。説示はその傾向を踏まえつつ、地刃に破綻なく締まりごころとなり、来国行を参考にしたとも言えるほどの出来を示す鎮教や、地鉄精良で匂口冴える鎮清の作をもって面目を挽回する出色の一口と評し、平高田中で最も技倆に優れ直刃を得意とした長盛を一派の代表として挙げる。伝来を備える品も少なくなく、行政の短刀は庄内酒井家に伝わって本阿弥光忠の折紙を添え、鎮教には黒田家の重宝となり享保名物追記に載る権藤鎮教の長刀があり、長盛の脇指には島津継豊から本田親章へ拝領された切付銘を持つものがある。中世豊後刀工の作域を今に伝える資料として、また実用に堪える堅牢さと九州古典派の余韻を併せ持つ一門として位置づけられる。 詳しく見る →
国内の戦乱と海外への貿易が、室町の備前を国内随一の刀剣産地にした。応仁の乱以後は戦国の需要が一世紀続き、遣明船は数万振の単位で刀を運んでいる。
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
商品詳細 保存刀剣鑑定 無銘(高田統景) 価格:お問い合わせください [購入のお問い合わせ] 登録証 神奈川県 第123456号 平成9年5月22日交付 時代 室町末期〜江戸前期 法量 刃長:69.9 cm(二尺三寸七厘) 反り:1.1 cm(三分六厘) 目釘孔:2個 元幅:31.5 mm / 先幅:24.3 mm 元重:6.6 mm / 先重:4.7 mm 裸身重量:813 g 解説 高田統景は豊後国の刀工で、豊後の戦国大名・大友義統に仕えました。室町末期から江戸前期にかけての、いわゆる「新古境」の時代に活躍し、文禄四年(1595年)の裏年紀を切る作例などが現存しています。 本作は大磨上げ無銘。豊後高田派らしい直刃を焼き、刃中には小足・葉が入ります。地鉄は大板目が肌立ち、所々流れて柾掛かり、杢目を交えます。肌立ちすぎて鍛え割れが生じている箇所もありますが、それもまた景色としてお楽しみいただける範疇でしょう。特に差裏の肌合いは凄まじく、肌物(はだもの)を好まれる愛刀家の方には堪らない一振りです。 新刀期の高田物といえば、小板目つみ、帽子は小丸に返り、鎬が高いという印象がありますが、本作はその特徴にはあまり当てはまりません。一見すると古刀期の作のようにも感じられますが、手に取った際にずっしりと感じる重量感はまさに新刀のそれです。古刀と新刀、双方の魅力を併せ持った新古境の刀らしい出来映えと言えるでしょう。刃中の働きも豊富で、見飽きることのない一振りです。 比較的美品ではございますが、経年によるヒケ等がございます。詳細は写真にてご確認いただけますと幸いです。

































































備前伝 · 豊後 · 1592-1596頃
刀剣大鑑 上位60%
現在5点販売中
統景の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
備前伝 · 豊後
現在44点販売中
豊後国の高田派は、同国高田荘の地名を負う一門で、鎌倉初期に定秀・行平らの名工を出した九州刀の伝統が一時跡絶えた後、南北朝時代に友行が同地に現れて再興した鍛冶集団である。説示は友行をもって高田鍛冶の祖とし、現存する年紀作に貞治・正平の年号を伝える点を挙げる。友行のほか、その子あるいは門人と伝える時行が著名で、別系と思われる行政には建徳二年紀の短刀がある。南北朝期の作には「藤原」を冠し、室町期以降は「平」を銘じて「盛」「守」「鎮」「統」などを通字とし、これらを総じて平高田と汎称する。さらに末期に至って再び「藤原」を冠するようになり、江戸期以降もこれを踏襲して藤原高田と呼び習わされ区分される。この間に長盛・竪守・鎮教・鎮清・鎮正らを輩出し、鎮正の門からは伊予宇和島に移った国房が出て新刀期へと繋がるなど、室町後期から江戸期に及ぶ長い系譜を形づくった。 作風は説示の記すところ多彩で、一様には括れない。鍛えは板目に杢を交え、総じて肌立ちごころとなり、柾に流れる態を見せて、地沸つき地景入り、白気映りや乱れ映りが立つものが多い。刃文は直刃を基調とするものから、小互の目や角ばる互の目を交えて乱れるもの、腰の開いた複式風で末備前を彷彿とさせるもの、さらに皆焼に及ぶものまで幅がある。祖の友行は同時代の左文字一類に近似するが、刃中に角ばる互の目が間遠に連れ、地に白けが強く地斑を交える点が見どころとされる。室町期の作の多くに共通する要所として、刃中に針の先で突いたような固い葉が入ることが従来指摘されており、系統と時代の判別に資する。姿形は室町中期頃までは反りが深くついて反らせたものが多く、末期は身幅広めで反りが幾分浅く、中鋒が延びて時代を映した頑健な造込みとなる。行政の作のように、鍛えが大きく流れて古典色が濃く、櫃中に行平を踏襲した倶利迦羅の浮彫を施す例もみられる。 伝承の上では、高田物は実用刀として広く行き渡った一方、斯界の評価は決して高くないとされてきた。説示はその傾向を踏まえつつ、地刃に破綻なく締まりごころとなり、来国行を参考にしたとも言えるほどの出来を示す鎮教や、地鉄精良で匂口冴える鎮清の作をもって面目を挽回する出色の一口と評し、平高田中で最も技倆に優れ直刃を得意とした長盛を一派の代表として挙げる。伝来を備える品も少なくなく、行政の短刀は庄内酒井家に伝わって本阿弥光忠の折紙を添え、鎮教には黒田家の重宝となり享保名物追記に載る権藤鎮教の長刀があり、長盛の脇指には島津継豊から本田親章へ拝領された切付銘を持つものがある。中世豊後刀工の作域を今に伝える資料として、また実用に堪える堅牢さと九州古典派の余韻を併せ持つ一門として位置づけられる。 詳しく見る →
国内の戦乱と海外への貿易が、室町の備前を国内随一の刀剣産地にした。応仁の乱以後は戦国の需要が一世紀続き、遣明船は数万振の単位で刀を運んでいる。
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。