説明

正秀は、川部儀八郎と言い、寛延三年生まれ、出羽国山形の出身で、初め宅英、後に英国、安永三年には、山形藩主秋元家に抱えられて正秀と改銘し、『水心子』と号しました。文政二年、二代白熊入道に名跡を譲り天秀と改銘、文政八年九月二十七日、七十六歳で没。 作は、安永初め頃から文政頃まで、作風は、初期は、大坂新刀風の華やかな作が多く、文化以降は、自らの『復古造法論』に基づき、実用を本位とした穏やかな直調の作風へと移行して行きました。 貞秀は、初代正秀の嫡子で熊次郎と称し、安永八年生まれ、初め正廣、後に貞秀と改銘し、『水寒子』と号しました。文政二年、父より二代正秀を継承、父が天秀へ改銘すると、自ら入道して白熊入道と銘じました。父の死後、一ヶ月足らずの同年十月二十日、四十七歳で早世。 銘は、『川部貞秀』、『水寒子貞秀』、『水心子貞秀』、『水寒子白熊入道正秀』、『水心子白熊入道正秀』などと切ります。 本作は、その銘文からも分かるように、水心子正秀初二代合作刀、初代六十七歳、二代三十八歳に当たります。 茎表に『水心子正秀淬刃』とありますが、『淬(サイ)、淬(にら)ぐ』は、『焠』とも表記し、刀に焼き入れするの意。故に、下地、鍛錬は二代、焼き入れは初代が行ったことが分かります。 寸法二尺四寸二分弱、角張った互の目が密に詰まって総体的に逆掛かる出来は、自らの『復古造法論』を実践した一振りで、中でも、この特徴的なノコギリ状の刃は、『長船景光』写しの典型作です。 刃中に足を多数入れることで、斬れ味、耐久性を強化、実用を重視した出来になっています。大きな疵なく、地刃健全、銘も表裏に各々で切っています。 これは大変貴重な現存品になるでしょう。 商品番号:Q-385 刀(父子合作刀) 水心子正秀淬刃(刻印) 水寒子鍛之(貞秀)(二代正秀初期銘) 文化十三年二月日(一八一六) 特別保存刀剣鑑定書付き 価格: ¥2,200,000 (税込) 販売期間: 数量: 振 在庫: ○ 在庫 ○ 返品についての詳細はこちら お買いものガイド 月刊コレクション情報 2026年7月号 (6/19発送) 会員の方のみご覧いただけます 月刊コレクション情報最新号の裏表紙に記載されているユーザー名とパスワードを入力して下さい。 見本誌請求(無料)はこちらから 最新情報をいち早くお届けいたします! 無題ドキュメント 刀剣・槍 販売品一覧 太刀 刀 脇差 短刀 薙刀・槍 刀装具 販売品一覧 鐔 小柄 目貫 縁頭 拵え 火縄銃 特別重要・重要刀剣一覧 特別保存刀剣一覧 保存刀剣一覧 売却済み商品 <ごあいさつ> コレクション情報のホームページをご覧いただきありがとうございます!営業本部長の小牧です。お目当ての刀のお探しや、加工・製作のご相談など、なんでもお気軽にご連絡下さい! (株)コレクション情報 〒500-8258岐阜県岐阜市西川手7丁目89TEL.058-274-1960FAX.058-273-7369 カレンダー ■今日 ■定休日 ■展示会 営業時間 9:00~18:00 FAX/メールは24時間受け付けております。 会社へお越しの際はご一報ください。 リンク 伊豆 伊東 浮山温泉 高級旅館

刀(父子合作刀) 水心子正秀淬刃(刻印) Katana:Suishinshi Masahide
Tokuho

刀(父子合作刀) 水心子正秀淬刃(刻印) Katana:Suishinshi Masahide

¥2,200,000

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仕様

長さ

73.3 cm

反り

1.7 cm

元幅

3.27 cm

先幅

2.17 cm

作者について

Suishinshi Masahide正秀

1 重要美術品3 御物24 重要刀剣

水心子正秀は、寛延三年(一七五〇)出羽国赤湯に川部儀八郎として生まれ、初め鈴木宅英、のち英国と銘し、武州下原の鍛冶吉英に学び、安永三年正秀と改め、山形秋元家に仕え、のちに江戸浜町に移って、文政八年七十六歳で歿、作刀は約五十年に及んだ。彼は新々刀の祖にして、刀はすべて鎌倉の昔に復すべしとする復古刀運動の主唱者である。その物語で最も重きをなすのは、彼が育てた者たちであろう。多くの門弟のうちに、復古刀論を実地に示した大慶直胤、のちの二代正義細川守秀が立つ。説明書は正秀自身の才のありかについて珍しく率直であり、それは彼が唱えたことで知られる理論にはなかった。 その典型の手は大坂写しで、壮年の頃まで大坂新刀の名工に私淑して作ったものであり、説明書はこれを彼の最も優れた作と呼ぶ。よくつんでしばしば無地風に約む小板目に地沸厚くつき、その上に津田助広の濤瀾風の大互の目を波のごとくに焼き、多く直ぐに長く焼出し、足入り、匂深く匂口明るい。いま一つの大坂の作風は、井上真改・直改に倣う直刃・広直刃調で、匂深く沸よくつき、稀に一竿子忠綱を思わせるものもある。最上の写しにも終始あらわれる見どころは変わらない。無地風の地へ刃中から黒味がちの荒い粒の沸がこぼれるのである。説明書は真改をねらった一口にこれを「彼の手癖が見られる」と名指し、助広の濤瀾の一口には「これにもその手癖が示された典型的な一口」と記す。 地鉄はこのすべての変わらぬ地である。小板目が細かによくつみ、しばしば無地風の平らかさに近づき、地沸がよくつき、処々やや叢となる。説明書は鉄を綺麗で冴えると称え、すぐにそれを限定する。真改写しについて、地がねは綺麗ながら「黒ずんだ荒沸がつき」、「めくらがねに近く」、地肌があらわれぬ盲人がねに近いと書く。その地の上に刃文は匂深く沸よくつき、多く荒めで、帽子は直ぐに小丸、時に焼深く丸く、稀に玉を一つ焼く。本来の古刀の映りは彼の引出しにはなく、乱れ映りは初期の一口にのみ名指されるに留まり、後に弟子が地に甦らせたごとき確かな映りではない。 その記録は二つの面に明瞭に分かれ、説明書はその区分に語らせる。前者の大坂写しを彼の強みとし、後者の理念の歳月の復古刀をより冷静に扱う。備前伝は終始焼刃が浅く、のたれに互の目・時に尖りごころの刃を交え、一口は箱がかったのたれに矢筈風の刃を交え僅かに飛焼かかる。相州伝は五郎正宗に私淑して五郎正秀と称した敬意に示されるとおり、流れてやや肌立つ板目の上にのたれに互の目を交え、砂流しかかる。正直な時代色はそのすべてを貫き、古備前のごとき純然たる匂出来ではなく総体に荒い沸がつく。ある助広写しについて極めは、初期の大坂写しと晩年の復古刀との間で、「出来はむしろ前者に佳作を見る」と記す。在銘・有年紀で、楷書にも草書にも切り、年ごとに変化に富むその銘は、彼を新々刀の名工のうちでも最も正確に知り得る一人とする。 ゆえに彼を分かつのは鑑定の難問ではなく、系統のうちの率直な位置である。彼は復古の頭に立つ師であり、説明書はその役を飾らない。備前伝・相州伝について「その技は弟子の大慶直胤に及ばない」と明記する。その見どころはほかにある。典型の明るく華やかな濤瀾と広い真改の直刃、そして近い大坂写しの背後にも連衆の手を読ませる地へこぼれる荒い沸である。最上の写しは本科に近く、説明書はこれを「殆んど本科に迫るものがある」とし、ある天明の一口を「いわゆる大坂写しの傑出の一口」と呼ぶ。理念よりもこの写しの精緻さこそ、記録の称えるところである。 収集の観点では、正秀は鑑定の難問ではなく、在銘・有年紀の開かれた一書である。藤代の極めは上々作。国宝はなく重要文化財もなく、その記録は重要刀剣と戦前の重要美術品を通じ、約二十五口の指定作のうち二十四口が重要刀剣の級にあり、いずれも安永から文化に亘る在銘・有年紀の作である。来歴の知れるものは僅かで、嘉永ならぬ享和三年紀の重要美術品の刀一口は皇室・宮内省を経て滋賀の財下郷共済会に伝わり、その藩工としての務めは山形秋元家に結びつく。説明書はその傑作を名指し、初期天明の刀を「いわゆる大坂写しの傑出の一口」と呼び、金象嵌の双龍の銘をもつ珍しい大小を「同作中の優品」とし、仙台十代国包やのちの二代正義細川守秀との珍しい合作を好資料として賞する。多作にして在銘ゆえ、正秀は鎌倉の大名跡のごとく手の届かぬものではない。在銘・有年紀の大坂写しは時に上級に世に出るところで、その一口を得ることは、江戸の作刀が古作へと向き直ったその時を、向き直らせた人の手のうちに蔵することである。

刀剣商

コレクション情報

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