説明

Stock number:WA-040915Paper(Certificate):[N.B.T.H.K] Hozon TokenCountry・Era:Hizen・Edo era 1624Blade length(Cutting edge): 55.8ccmCurve(SORI): 1.1cmWidth at the hamachi(Moto-Haba): 2.86cmThickness at the Moto-Kasane:0.63cmWide at the Kissaki(Saki-Haba): 2.45cmThickness at the Saki-Kasane: 0.52cmHabaki: One parts, gold-copper alloy(Syakudo) foil HabakiSword tang(Nakago): Unaltered,Sujikai file patternRivet Holes(Mekugiana): 1Shape(Taihai): Chu-kissaki,Shinogizukuri,IorimuneJigane(Hada): Itame with JinieTemper patterns(Hamon): Gunome-choji MidareTemper patterns in the point(Bohshi): Sugu ni KomaruRegistration Card: Tokyo・1951【Additional Information】河内大掾正廣は初代肥前国忠吉の孫にあたる人で、佐賀、鍋島藩により特別に御贔屓された刀工です。寛永元年に初代忠吉が忠廣と改名したのを期に忠吉銘を襲名しましたが、後に藩主鍋島勝茂の命により正廣と改名しています。初代忠吉の没後は二代近江大掾忠廣を後見し代作も務めたと伝えられる腕前確かな刀工として知られています。本作は、身幅反り重ね全てに尋常な脇指で、肥前刀らしい姿の美しい御刀です。地鉄は板目肌で地沸がつく強い肌具合です。刃紋は互の目丁子刃紋で匂い深く小沸がついて冴えた刃です。刃中には足、葉、砂流し、金線が激しい働きを見せています。帽子は湾れ調子となり先掃き掛けるようにして小丸へ返ります。茎は生ぶで状態も良好。刻銘もキッチリとしており健全さを顕示しております。素直で、出来が良い、肥前国河内大掾藤原正廣の特徴がよく示された脇差の優品です。白鞘、赤銅着せ一重はばき、保存刀剣鑑定書

Wakizashi [Kawachi Daijyou Masahiro][N.B.T.H.K] Hozon Token
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Hozon売切れ

Wakizashi [Kawachi Daijyou Masahiro][N.B.T.H.K] Hozon Token

脇差

売却済

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仕様

長さ

55.8 cm

反り

1.1 cm

元幅

2.86 cm

先幅

2.45 cm

作者について

Tadayoshi Masahiro正廣

32 重要刀剣

正廣は吉信の子で、傍肥前の流れに属する刀工であり、初め正永と銘し、寛永二年に正廣と改めた。佐賀にあって肥前忠吉一門の周辺に働き、二代近江大掾忠広の側近として勤め、初代忠吉歿後は二代を助けて、説明書のいう良き協力者として活躍した。後に河内大掾を受領し、肥前国河内大掾藤原正広と銘した。受領の年について説明書は率直で、通説は寛永五年とするものの、寛永十六年紀の作まで肥前国佐賀住正広とのみ銘し、受領銘は寛永十八年八月紀の作から見え始めるゆえ、近年はその頃の受領とする。傍肥前、すなわち本家の傍らに働いた分家の刀工の中で、説明書は本工を「傍肥前の中でも最も技量が優れており」と評する。 本工を分かつものは、まさに本家との対照にある。肥前本家が静かで匂深い中直刃をもって読まれるのに対し、正廣はその逆を好んだ。説明書はこれを端的に「作風は乱れた刃を好んで焼き」と記す。その典型の刃文は腰元の*中直刃*の*焼出し*から起き、*丁子*を主調とした*乱れ*に*互の目*・*互の目丁子*・*大互の目*を交え、*小のたれ*や時に*尖り*ごころ・角刃風を帯びる。その丁子を説明書は武蔵大掾忠広のそれに通うものとする。焼に高低を表し、処々*乱れ*の群落を静かな*直ぐ調*の刃で繋ぎ、*足*長く*葉*よく入り、*匂口*深く、*乱れ*の谷に*小沸*厚く凝り、少しく*飛焼*を見せ時に*棟焼*を交え、*砂流し*よくかかり長い*金筋*が入る。ある刀について説明書は、得意とした*乱れ刃*を焼いてその本領を遺憾なく発揮していると記す。 その華やかな刃の下には、一門と共有する精良な地鉄がある。*地鉄*は小板目のよくつんだ肥前の*米糠肌*となり、*地沸*が微塵に厚く敷かれ細かに*地景*の入る、明るく冴えた地である。*帽子*は*直ぐ*に*小丸*、*掃きかけ*て深く長く返り、時に表は小さく*乱れ込む*。姿は均整の取れた肥前の格好で、時に身幅広く*鋒*延びごころ或いは*大鋒*となって力強く豪壮である。*匂口*は華やかな作にも静かな作にも明るく、地刃ともに終始変わらぬところである。 しかし本工は一様の手ではない。その記録の一面に、能くした*中直刃*の作域がある。浅く*のたれ*て*小互の目*を交えた静かな*直刃*に、*小足*・*葉*入り、細かな*金筋*・*砂流し*が自然に織りなされ、*匂口*は同じ精良な*小板目*の上に明るい。寛永十一年紀のこの静かな手の重要刀剣の刀を、説明書は本工の白眉とし、「この刀はその白眉である」と記す。年紀作は寛永から寛文にかけて僅かに残り、受領前後の銘字の特色を併せ含む数口の重要刀剣は作刀年代を究める資料として尊ばれる。本工は寛文五年に五十九歳で歿したと伝えられる。 本家との弁別は説明書みずからが引く。*直刃*より*乱れ刃*を好む点に加え、本家と異なる*筋違*の*鑢目*、刀を常に指裏に銘する習いによって分かたれる。説明書はその作を「本家忠吉家の作よりも自然、覇気のある作が多く」と読み、ある代表作については「彼が得意とした乱れ刃を焼いて、その本領を遺憾なく発揮している」と評する。かくして本工は肥前の分家の手の中で最も技量に富み、傍肥前にあってその出来が最も本家の質に迫りながら、なお独自の作域を保つ工である。 収集の観点では、正廣は得難くも手の届く肥前の名である。藤代の極めは上々作。国宝はなく重要文化財もなく、その記録は重要刀剣の各位を通じ、およそ三十口が指定を受けて、説明書はその最上を地刃ともに力強く放胆で動勢に富む作と評する。資料的興味も高く、ある重要刀剣の脇指は*腰樋*の中に吉長の手になる指月布袋の浮彫を帯び、説明書はその図柄を肥前刀中極めて珍しく、同国の彫物を研究する上で資料的価値が高いとする。来歴は一部しか記録されておらず、ゆえに静かに述べるのがよい。その作は名家の連なりとしてではなく、所在の知られる私蔵の中に伝わる。在銘の正廣は、本家最上の肥前刀のように手の届かぬものではなく、時を得て折々その重要刀剣の一口が世に現れ、傍肥前最も技量に優れた工の華やかな*乱れ刃*に接する機会となる。

刀剣商

銀座誠友堂

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