説明

Stock number:TA-020117Paper(Certificate):[N.B.T.H.K]Hozon TokenCountry・Era:Bizen(Okayama)・Muromachi eraBlade length(Cutting edge): 21.8cmCurve(SORI): 0cmWidth at the hamachi(Moto-Haba): 2.53cmThickness at the Moto-Kasane: 0.6cmWide at the Kissaki(Saki-Haba): 2cmThickness at the Saki-Kasane: 0.45cmLength of Koshirae : about 36cmHabaki: Two parts, gold foil HabakiSword tang(Nakago): SuriageRivet Holes(Mekugiana): 1Shape(Taihai): MorohazukuriJigane(Hada): ItameTemper patterns(Hamon): Hitatsura and Gunome-choji MidareTemper patterns in the point(Bohshi): turning deeplyRegistration Card: Shizuoka【Additional Information】古刀期(室町まで)では、備前に2200名、美濃に500名、山城に300名、相州に130名余の刀工が名鑑に載り、現存の名刀の8割が備前物であることからも、備前刀工の技が抜きん出て優れていていたかが推し量れるわけです。本作は室町後期の備前作品と極められた短刀です。おそらくは備前祐定あたりの作品ではないかと思われます。研ぎ疲れたりして芯金が出たり、研磨により区が無くなったもの等、過ぎし年を考えると致し方ない状態の現存刀が多い中、この両刃短刀は、疲れを感じない誠に健全な姿を呈しています。地鉄も肌が美しく詰んで地沸付く惚れ惚れとする鍛です。刃紋は皆焼に小沸付く映えた刃に、砂流し金線がしきりに掛かり働きます。茎は生ぶで無銘なれど保存状態は良好です。両刃の短刀を御探しのお客様に御奨めの逸品です。拵は古いものでは無いですが、美しく飾り栄えする金梨地漆塗の合口拵が附しています。内外揃った短刀の優品です。はばきは金着せ、白鞘。

Tantou [Sue Bizen (Sukesada)] [N.B.T.H.K] Hozon Touken
売切れ
Hozon売切れ

Tantou [Sue Bizen (Sukesada)] [N.B.T.H.K] Hozon Touken

短刀

売却済

世界76社の刀剣商を横断追跡 · 価格履歴 · 売却アーカイブ

仕様

長さ

21.8 cm

元幅

2.53 cm

先幅

2 cm

流派について

Sukesada School祐定派

3 重要刀剣

祐定派は、室町時代後期に備前国長船(現在の岡山県瀬戸内市)の地に栄えた末備前の主流工房である。鎌倉以来の長船鍛冶が太刀の時代を閉じ、太刀に代わって身幅の広い長大な打刀を諸手で用いる時代に入ると、祐定の名はその新しい需要を一手に担う一群の総称となった。説明書がこれを末長船で最も繁栄した一家と記すとおり、祐定を切った工は数十を数え、近世の刀剣書は俗名を冠した者だけでも二十一人を挙げる。その大群のなかで腕においても名においても抜きん出るのが、俗名を負った数工である。最も著名にして上手とされる与三左衛門尉祐定、その父と伝える彦兵衛尉祐定、豪壮の鍛えで知られる源兵衛尉祐定、二様の作風を能くする彦左衛門尉祐定らがそれで、初代与三左衛門尉は天文六年紀の短刀から逆算して応仁元年の生まれと推定され、永正から天文にかけて一派の頂点に立った。これら名工の入念な注文打のかたわら、戦国の旺盛な需要に応える数打物が大量に鍛えられ、一派は名工と量産の二つの層を同時に抱えた。 作風には末備前の工房がわがものとした明らかな共通語法がある。刃文を統べる一つの極は、腰の開いた互の目が複式の乱れに組み上がる腰開きの複式互の目で、これに小互の目丁子・尖り刃を交え、足・葉さかんに入り、匂本位に小沸つき、小さな飛焼を交えて匂口が明るい。いま一つの極は、意図して静かな直刃あるいは広直刃で、これに小互の目を交え、砂流し・金筋がかかる。地鉄はいずれの刃の下でも小板目をよくつめて鍛え、地沸を微塵に敷き、地景を細かに織りなして、鎬寄りに淡く乱れ映りが立つことがあり、鎌倉全盛の明るい映りの名残をわずかに残す。帽子は乱れ込みに小丸となり、あるいは尖りごころに掃きかけて返る。姿は寸延びて身幅広く、重ね厚く先反りつき、両手打に適した茎となるのが時代の徴である。これらの特徴は一派を通じて繰り返されるが、名工と数打を分かつのは作域の広さと地刃の冴えである。与三左衛門尉は複式互の目に加えて沸深い皆焼と穏やかな直刃の双方を能くし、源兵衛尉は鍛錬の定評と広直刃に、彦兵衛尉は直刃を地としつつ備前本来の賑やかな乱れに、彦左衛門尉は華やかな乱れと静かな直刃の二様に、それぞれの手を見せる。これに対し数打物は作風相似て個性に乏しく、地刃の働きも浅い。 鑑定の勘所は、まずこの名工と数打との別を見極めることにある。名工の注文打は地鉄が精良で地刃の沸がよくつき匂口冴え、年紀の傍らに所持者の銘を負うものが多い。源兵衛尉の天文二十三年紀の刀は惟宗忠頼の所持銘を、彦左衛門尉の天正四年の刀は播州の和田出雲守のための「為播州住和田出雲守重代延之也」の銘を負い、説明書はかかる為打・注文打があればこそ末備前の名声が高いと明言する。三工のうちでも与三左衛門尉の格はとりわけ高く、説明書は与三左衛門尉を冠するものが最も有名にして上手と記し、その典型作を末備前を代表する一口と位置づける。切れ味の評にあっても末備前は実用刀として重んじられ、戦国の武器としての需要がこの隆盛を支えた。伝来もまた一派の評価を裏づけ、与三左衛門尉の五十七歳の作は蜂須賀家に伝わり、ほかに毛利家・井伊家、皇室の御物、武将山中鹿介の所持と伝える脇指などが数えられる。幅広く明るく、腰の開いた互の目の冴えて読める在銘年紀の祐定は、長船がその最後の偉大な世代にいかに鍛えたかを語る確かな一証である。

刀剣商

銀座誠友堂

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