説明

月山貞一 脇差 SS0483(売約済) 帝室技芸員 月山貞一七十七翁最新作[花押]/大正元年八月吉日。 生茎(うぶなかご)の脇差。平造、庵棟。 彫物:表に素剣(柄は三鈷柄)、裏に旗付の槍。 刃長:一尺四分(31.51 cm)。元幅:2.728 cm。重ね:6.48 mm。 刃文は、沸出来の湾れ乱れ。帽子は先尖り、返り長く焼下げる。 地鉄は、詰んだ板目肌。 資料:『日本刀工辞典 新刀編』上々作。『刀工大観』550万円評価。『新々刀大観』107-124頁。 天保七年(1836年)生まれの貞一にとって、大正元年は数えで七十七歳にあたります。銘振りの「七」の字の残し方から、本作は七十七歳の時の作と推測されます。 幕末の刀剣は「復古刀」として知られますが、貞一は天保七年十一月、近江国に塚本家の次男として生まれました。七歳の時、大坂の刀匠・月山貞吉の養子となります。年紀作は嘉永三年(1850年)、彼が十四歳の時から見られ、明治時代を代表する名工の一人となりました。 明治九年(1876年)の廃刀令により苦境に立たされるも、軍刀身の制作などを通じて作刀を続け、その卓越した技術が認められて明治三十九年(1906年)には帝室技芸員(現在の人間国宝に相当)に任命されました。また、当時最高の彫物師としても高く評価されています。 明治二年(1869年)には明治天皇の御用刀二振を鍛錬し、明治七年(1874年)には枚岡神社への奉納刀を制作。明治十八年(1885年)には、神戸の湊川神社における明治天皇の御前鍛錬を拝命しました。また、英国コンノート公爵の来日の際にも、貞一の刀が献上されています。 古刀期より続く月山伝は、新々刀期に貞近によって再興されました。貞近(本名:奥山弥三郎)は明和八年(1771年)、出羽国西村山郡笹川に生まれ、嘉永四年(1851年)に八十一歳で没した月山家末流の刀工と伝えられています。 しかし、実質的な月山派の再興は、貞近の子であり、月山を姓として「貞吉」と銘じた月山弥八郎に帰せられます。一説には貞吉は天明元年(1781年)生まれ、明治三年(1870年)に九十歳で没したとされますが、天明元年の時点では父・貞近がまだ十歳であることから、明治三年に七十一歳で没した(寛政十二年・1800年生まれ)とする説が有力です。 貞吉は文政年間(1818-1830年)の初期に出羽を離れて江戸へ上り、水心子正秀の門に学びました。その後、大坂へと移り住むこととなります。

Gassan Sadakazu Wakizashi

Gassan Sadakazu Wakizashi

脇差

$10,000

世界81社の刀剣商を横断追跡 · 価格履歴 · 売却アーカイブ

流派

Gassan

時代

Gendaito

仕様

長さ

31.51 cm

元幅

2.73 cm

刀剣商

Nihonto US

nihonto.us

$10,000

Nihonto USで見る