唯一の年紀作が、肥後大掾貞国の活躍期を定めている。慶長十四年紀の短刀、それが現存する彼の唯一の年紀作であり、ここから慶長新刀期の作刀が読み取られる。彼は越前下坂一派、すなわち康継の工房の刀工であり、説明書はこれを康継その人に最も密接な下坂の手と判ずる。その近さは、かつて文字通りに受け取られすぎた。江戸時代以来の刀剣書及び銘鑑には貞国の記載が殆どなく、たまたま載せるものでも康継同人とすることがあり、彼もまた肥後大掾を受領している点がその同一視を助けた。今日の見立ては両者を分かちつつ近くに置く。すなわち康継のもとに働く下坂の刀工であり、肥後大掾藤原貞国と切り、裏に越前住と添え、最初期作はなお下坂の家名を残して越前国下坂貞国と銘するものと解される。
彼の手は、何よりもまず直刃の手である。説明書は端的に、彼が「直刃を得意として」乱刃の作は殆んどないと記す。焼くのは、僅かに小湾れ・小互の目を交えるほどの動きを伴った、穏やかな直刃ないし直刃調であり、足が入り、刃縁は小さくほつれる。沸は小づき静かで、匂口は冴えるよりも沈み、この沈みごころは作を貫いて繰り返し記され、細い砂流しと折々の金筋を交える。これは抑えた、ほとんど枯れた刃であり、その作の最も揺るがぬ標である。帽子はこれに応じ、直ぐに先小丸へ掃きかけ、時に長く焼下げ、折々先尖りごころとなる。
地鉄は第二の標であり、説明書が彼を師から分かつために用いる特徴である。流れごころの板目に杢を交え、鎬地は柾がかり、肌は幾分立って地沸がよくつく。康継に対する差は、欠如と精緻として語られる。康継にしばしば見える黒ずんだ杢肌が乏しく、鍛えは概ねつむ。ある説明書の言うとおり「黒ずんだ杢肌などは少なく」、地鉄はよくつみ、地刃ともに沸は穏やかな感を呈する。最上の作では説明書はさらに踏み込み、常の越前物に比べ地がつんで精美であるとし、これをこの工の見どころと名指す。
その静かな常の内に、数口の脇指が作域の広さを示し、説明書はこれを留意すべき例外として扱う。一口は、つんで精美な地に焼の低い小湾れと互の目を交えたもので、貞国が「古作の貞宗や信国に範をとった」作と読まれ、渋い味わいの一口、すなわち「貞国会心の一口」と評される。今一口は彼の常を全く離れる。焼幅広めの丁子乱れに互の目・頭の丸い互の目・尖りごころの刃を交え、足長く頻りに入り、沸厚く荒目を交えて棟を焼く。説明書はこの華やかな手を「最も丁子の目立つ日向大掾貞次」(初代)に通ずるとし、直刃調の穏やかな作域を通例とする工がこれほど冴えた乱刃を焼いた点を注目すべきとして、その結果を「同作中抜群の出来映え」とし、技量の高さを察せしめると説く。これらは概ね身幅広く寸延びて殆んど無反りの脇指、慶長新刀の特徴的な姿であり、その地にこそ華やかな手があらわれる。
彫物は彼の個性の第三の筋であり、おそらく最初の筋である。刀身には越前彫が施され、櫃中の不動明王、真の倶利迦羅、護摩箸と長梵字、梅と竹が、深く力強く彫られる。説明書はその一彫を「越前彫の典型であり」、恐らくは自身彫であろうと判ずる。参考書はさらに、貞国が初代康継の作刀に当初彫物を供したと伝え、彼の得意とする梅竹の図様が越前彫の源流に立つかもしれないとし、その後は生涯越前に留まったとする。師弟は詳らかでない。詳らかなのは彫の手であり、それは刃と同じく明瞭に刀身に在る。
現存の指定作は小さく、ほぼすべて重要刀剣であり、九口を数えるが、その中に国宝も重要文化財もない。ゆえに収集家が貞国に出会うのは、国家の文化財として封じられた領域ではなく重要刀剣の段においてである。その幾口かは細鏨の長銘を備え、唯一の年紀作たる慶長十四年紀の短刀が一群の資料的重みを担う。彼の短刀二口は宮内庁の御物として伝えられ、これは記録される所在の中で最も格高く、その静かな作がいかに尊ばれたかを示す。藤代は彼を上作と位し、頂ではなく堅実な上位であるが、これは彼にふさわしい。名高い名ではなく、丹念で個性的な名、すなわち直刃と越前彫が熟視に報いる下坂の刀工である。彼の作が市場に現れるのは折々のことで、重要刀剣の短刀ないし脇指が時に出るのみであり、在銘かつ年紀のある一口こそ最も待つに値する。