本作の安在の刀はいずれも生ぶ茎の在銘の刀で、うち三口は棟寄りに太鏨で「薩州住一平藤原安在」の長銘を切り、明和三年の年紀を添える。安在は宝永五年、中村清房の次男として生まれ、薩摩一平派の祖一平安代に実子がなかったため、享保八年、十六歳でその養子となった。同十三年、安代が四十九歳で歿すると、二十一歳で家督を継ぎ、安永六年に七十歳で歿するまで家を率いた。説明書は、彼が初銘を安治と切り、師の代作・代銘に任じ、両者の合作刀も現存すると記しており、その手を安代より分かつこと自体が鑑識の問題となる。
その作風は養父安代の手をよく継ぐ。身幅広く重ね厚く、平肉よくつき鎬高き、薩摩の豪壮な構えである。小板目つみたる地に、のたれを基調として互の目・尖りごころの刃を交え、匂深く沸厚く荒沸をむらに交える。刃中には金筋・砂流しかかり、上半の鎬地には淡く湯走り風を交える。第十五回の刀では帽子は直ぐに小丸、裏にいもづるが入る。途切れぬ沸筋の長く連なるこのいもづるは、薩摩物に名高い見どころである。丁子ではなく、荒い沸ののたれを匂深く焼くところが、その見どころの中心をなす。
地鉄は一貫している。小板目がよくつみてやや無地風となる地に、地沸厚くつき、荒めの地沸を交え、地景細かに入り、かねは黒みを帯びる。帽子は直ぐに小丸、あるいは一口では沸厚くつく焼詰め風となり、先掃きかける。茎は生ぶ、先栗尻、鑢目檜垣、目釘孔一、指表棟寄りに長銘、裏に年紀があり、その茎仕立てそのものが安代に頗る近似する点として挙げられる。
説明書はこの少ない在銘作の中に二つの面を読む。尋常の作では穏やかに、上半は広直刃を浅くのたれごころに、下半は焼幅狭く浅いのたれ刃となり、やや無地風の小板目に荒沸がむらにつく。これを「薩摩新刀の作風をよく示した」尋常の出来とみる。これに対して傑出の作では、のたれに互の目・尖り刃を交え、匂深く沸厚く、金筋・砂流し・湯走りかかり、地は黒く地景に富む。ある一口を「養父安代の作に迫るもので、同作中屈指の優品である」とし、また他を「安代に頗る近似している」とする。
薩摩におけるその位置は、まさに説明書の言う近似と、そこに測られる小さな隔たりにある。彼は何より安代に照らして見られ、身幅広く重ね厚き姿、かね黒める地沸の小板目、沸の強いのたれを頗る近く共有する。その個性は別の作風ではなく、同じ作風の穏やかな扱いにある。説明書は、安代に比して「刃中の働きが穏やかで、且つ匂口が部分的にしまりごころを呈している」点に安在の特色を求める。匂深きのたれ、地景に富む黒める地鉄、掃きかける帽子こそが、薩摩一平の作域を継ぐ二代として彼を位置づける、根拠ある見どころである。
蒐集の上では比較的稀な名である。安代との共生時期は短く、その早い労の多くは師の代作・代銘に費やされたため、自身の現存作は薩摩の中でも少ない。国宝・重要文化財はなく、その指定はすべて重要刀剣に列し、明和三年紀の生ぶ在銘刀四口がそれにあたる。説明書はその最良の一口を、養父に比肩する優品とする。これらの刀に大名伝来の記録はなく、日本および海外の個人の所蔵を経て今日に伝わる。指定刀の多くは個人蔵を含め保有され売買されることは稀で、その傑出の作風の在銘安在が市場に現れるのは稀であり、忍耐を要する。一平の作域が祖の相州伝を二代へと継いだ証である。