柳川直春は、横谷派の名門である柳川家の三代目を相続した刀装具師である。初代直政の嫡孫にあたり、父は二代直故。しかし、直春が生後まもなく父が急逝したため、弟弟子で名工の誉れが高かった直光が四代目を継ぎ、直春を後見した。寛政年間に直光が隠居し、柳川家の家督を相続。実子の直連や河野春明をはじめ、鈴木春親など多くの刀装彫金の人材を世に送り出し、江戸の彫金界を盛り上げていった。活動期は江戸時代中期にあたる。
作風は、横谷宗珉に師事した初代直政以来の横谷派の作風を踏襲し、「横谷式の赤銅魚子地に高彫色絵」の技法を伝承している。赤銅あるいは朧銀の魚子地を高彫し、金、銀、四分一、緋色銅などを用いた据紋象嵌や色絵を施すことを得意とした。特に柳川獅子、馬、虎などのお家芸は名高く、その出来栄えは宗珉に迫ると評される。また、柳川本家では少ない人物図を彫刻しているのも直春の見どころとされる。作風は後藤彫にも近く、縁起の良い吉祥文である宝尽しを高彫で肉取り豊かに、しかも格調高く彫り上げている。
直春の作は、技巧に優れ、緻密でありながら品格を兼ね備えていると評価される。高低差の大きい高彫象嵌色絵は実に見事で、象嵌や色絵の配置は的確であり、その出来栄えは宗珉に肉薄すると評される。馬の筋肉質と躍動感とを同時に表現するなど、写実的な表現にも優れる。直春は直政に次いで技量が秀でていたばかりでなく、多くの子弟を養成し、柳川家の家名を高らしめた名工として知られる。