斎藤一郎清人は、文政十年、羽州庄内大泉荘(今日の温海温泉)に生まれた。生家はこの地に温泉旅館を業としていたという。嘉永五年四月、志を立てて出府し、庄内出身の金工船田一琴の世話により源清麿の門に入った。修業は嘉永七年十一月の師清麿自刃まで僅か二年余りに過ぎなかったが、説明書はその短い間によく学び、師風を忠実に受け継いだと強調する。彼の名を工房の外へと高からしめたのは鍛冶場の外の一事であった。すなわち師清麿の残した刀債を後に完済したことであり、この逸話こそ最もよく語り継がれている。神田小川町で独立し、慶応三年七月に豊前守を受領し、明治三年に政府が帯刀を禁ずると鍛冶の道を廃して郷里に帰り旅館の主人となり、明治三十四年、七十五歳で歿した。彼は清麿門中最も優れた工であり、その作風を新々刀末期へと伝えた中心の存在である。
彼を識る手は、師から受け継いだもの、すなわち相州伝を全き強さで保った覇気ある互の目乱れである。姿がそれを支える。身幅広く元先の幅差少なく、身幅の割に鎬幅狭く、平肉つかず、大鋒が一際延びてふくらの枯れた、豪壮で力強い体配で、説明書はこれを清麿一門独特の姿態とする。その上に、頭の丸い互の目を主調として、互の目・小互の目・角ばる刃・尖りごころの刃・互の目丁子風の刃を交え、足長くさかんに入る刃を焼く。沸厚くついて処々荒めにむらとなり、総体に金筋・沸筋・砂流しが長くさかんにかかり、鎬地に湯走り風の飛焼を交える。帽子は乱れ込んで先尖り、強く掃きかけ、時に地蔵風に返る。覇気のある作風であり、説明書は同じ語を繰り返し、ある一口を師伝を継いだ互の目乱れの力作と評する。
その刃を支える地鉄は、板目に杢・流れ肌を交えて処々肌立ち、やや肌物風をみせる地に、地沸が厚く、時に荒めにむらづいてつき、地景が頻りに入るものである。匂口は深く、総じて明るいが、放胆な作では下半の焼刃が荒ぶり、匂口が沈みごころに転ずることもある。焼刃は総体にやや高く、頭の丸い刃に大互の目・互の目丁子を交え、長い足は処々葉に破られ、刃中に焼がぬけたような丸い玉(島刃)を見せ、ほつれ・湯走り風の二重刃を交える。全体として、抑制よりも華やかさへと推し進められた沸づく相州伝として読まれ、説明書は放胆な作ほどその働きが一際目立つとする。
この受け継いだ作風に対し、説明書は第二の、全く趣を異にする作風を据える。清人独自のものとし清麿には見られないとする、「清人独特の大和伝の直刃」である。ここでは鍛えがよくつんだ小板目に締まり、時に刃寄り柾がかり、地沸は微塵に細かく地鉄冴え、地景を交える。刃文は直刃、あるいは直刃調に僅かに互の目を交えて丁子の小足よく入り、小沸つき、匂口締りごころに明るく、帽子は直ぐに小丸、先掃きかける。その最初期の重要刀剣について説明書は、「この作は清磨の作風とは別に直刃を焼いて地刃の出来が殊に優れている」と記す。任官のため上洛した際に京で鍛えた慶応三年の刀は、説明書が「豊前守を冠した第一作と思われる」とするもので、同じ大和伝の直刃であり、その銘文は作域と同じく資料的に貴重である。この二様こそ本工を読む基準であり、華やかな乱れと静かな直刃が、清麿一門の姿態を共に帯びて並ぶ。
本工を分かつものは、師との対比によってよりも、その自身の作によってよく読まれる。両者の関係は離反ではなく忠実だからである。乱れ刃は頭の丸い互の目、長い足、豊かな沸、長くかかる金筋・砂流しという清麿のものを保ち、説明書はその達成をいかに師の水準に迫るかで測る。ある整った一口について説明書は、刃取りが常より整い、沸にむらなく、刃中の働きも一段と豊富で、「師清麿に迫る出来映えで、清人会心の一口」と記す。直刃はこれに対し本工が独り保つ地で、師の手がけなかった大和伝であり、説明書はそこに地刃の最も冴えた様を見出す。すなわち彼の見どころは、一方に金筋・砂流しのさかんな頭の丸い互の目乱れ、他方に明るい大和伝の直刃であり、いずれも身幅広く大鋒の延びた清麿一門の体配の内にある。
これら一切が拠って立つ記録は、その地位の工としては狭く一様である。記録に八口、いずれも重要刀剣に指定され、いずれも在銘で生ぶ茎の原姿を留め、数口は年紀を備えるが、国宝・重要文化財はなく、茎に古い来歴も付されない。藤代は本工を上作とする。説明書がその最上の語を惜しまぬのは、豊前守受領直後に年紀された慶応三年の刀で、これを「師清麿に比肩する出来映えを示した清人の相州伝の最高傑作」とする。さらに趣の深いのは、茎に古事記の「天之尾羽張」たる神号「稜威尾羽張」を刻み、亡師清麿が友人斎藤友麿に神剣を贈らんと志しながら果たせず世を去るに際し、清人がその遺志を託されて師の集めた材料を用いて鍛え上げた由来を長文に記した一口である。記録される清人がいずれも在銘・指定の作であって博物館の遺産ではなく私蔵であるため、その作は鎌倉の名工のものより市場に現れやすいが、数少なく深く秘される。年紀ある在銘作が収集家の前に現れるのは時折のことであり、尾羽張の刀のような銘文を帯びた一口が現れれば、それはいつであれ一つの画期となろう。