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概要·鑑定·栄誉·指定·伝来·刀姿·銘·系譜
概要鑑定栄誉指定伝来刀姿銘系譜
  1. 流派
  2. 志津
  3. 兼氏

Shizu Kaneuji

兼氏

特重
巻 25, 番 18 · 刀

Shizu Kaneuji

兼氏

評価作品156点

享保名物帳正宗十哲
国美濃時代Geno (1319–1321)時代区分鎌倉流派Shizu伝法美濃伝代1st師匠Masamune藤代最上作刀工大鑑2,000(上位2%)種別刀工コードKAN2843
6重要文化財
9重要美術品
19特別重要刀剣122重要刀剣

概要

志津とは元来、美濃国の地名である。正宗の門人兼氏がこの地に来住して作刀したことから地名が工名に転じ、極めの伝統では「単に志津と呼んだ場合は兼氏を意味することになる」。初め大和手掻派の刀工で包氏と銘し、相州正宗の門に入った後、美濃志津に移住して兼氏と改めた。古来、正宗十哲の一人に数えられ、説明書は半世紀にわたり「それらの中にあって正宗に最も近い作風を示す刀工の一人」という一文を繰り返す。制作年紀のある作は皆無で、弟子と伝える兼次の観応元年(一三五〇)紀から推して、活躍期は鎌倉時代最末期から南北朝時代前期とされる。金象嵌の一口の解説は、濃州志津に住んで「美濃刀工の基を創造した」とまで記し、美濃と大和の刀工の往来の頻繁さが作風にも影響したと付け加えられる。

師との鑑別は一文で示される。正宗と相異するところは「鍛に柾ごころが交じり、刃中に互の目が連れる点にある」。板目は流れて柾がかり、これは手掻の出自が鋼に残るものである。互の目には尖り刃が交じり、相州本国には稀なこの尖りごころが美濃の萌芽を語る。さらに、正宗の乱れが二度と同じ形を見せないのに対し、兼氏は同形の互の目を二つ三つ連ね、説明書は「処々小互の目が連れた手癖」とまで呼ぶ。帽子は盛んに掃きかけて丸く返り、「帽子が浅くのたれて丸くおだやかである点も兼氏の特色」とされる。

作風の主体は南北朝盛期の堂々たる刀である。身幅広く元先の幅差目立たず、反り浅く、中鋒延びごころから大鋒となり、ほぼすべてが大磨上。鍛えは板目に杢・流れ肌を交え、地沸が厚く、優品では微塵につき、地景が頻りに入って冴える。刃文はのたれを基調に互の目・小互の目・尖り刃を交え、匂口深く、沸厚く明るく、処々荒めの沸を交え、金筋・砂流しがかかり、湯走り・飛焼を見る。帽子は乱れ込みまたはのたれ込んで小丸・大丸に返り、掃きかける。刃縁にはほつれ・喰違刃・二重刃・打のけが現れ、帽子が時に焼詰め風となるところに大和が覗く。特別重要第一回の一口は、流れごころの板目と尖りごころの互の目に加え「帽子が掃かけて焼詰め風となっているなど、大和風が見られ」として志津と鑑し、別の一口は柾気の鍛えと返りの浅い帽子に「大和気質があらわれ」と読む。「大和伝に相州伝を加味し」て志津の風を創始したという定式が、これらを束ねる。

在銘の作は「極めて稀れ」とほぼ同語で繰り返される。指定作のうち在銘は八口、無銘は一三六口に上り、極めは金象嵌・朱銘・本阿弥の折紙が支える。校正古刀銘鑑の著者菅原長根の金象嵌があり、「本阿弥光忠の享保三年極月三日付の代千五百貫の折紙」を帯びた一口があり、「花形見の金象嵌銘は、本阿弥光悦がものしたという伝来がある」短刀も伝わる。稀な在銘作は丸棟の太刀(樋先のやや下がった二筋樋を掻くものがある)と生ぶ茎・内反りの短刀で、南北朝の太刀としては寸が短く、「当時としてはあまり長大とならない姿形もあることがむしろ兼氏の特色」と結論される。無銘の極め物には両極が立つ。覇気の極では飛焼・湯走りが頻りにかかり、帽子に火焔の趣を見せて、「志津極めの中でも殊に覇気のある一口」、延文・貞治型の体配の「同工極め中の白眉」、「放胆な作風」ゆえに金象嵌の極めが首肯される第六十三回重要の刀が並ぶ。対極には焼を低く抑えた穏やかな作柄があり、小互の目交じり直刃調の在銘太刀(重美)は他の在銘作とも趣を異にする。代別は銘で扱われ、南北朝期に少なくとも二代が想定され、本間順治は「概して大振りの銘は初代、小振りの銘は二代以後」とし、また「初代銘は角張って大きいところが特徴である」と記される。

周辺の極めは截然と分けられる。志津極めは「俗に大志津と称する初代兼氏の作から」二代・三代と直弟子に及ぶことがあり、直系の作は「所謂直江志津と称するところまで下るものではなく」と区別される。門葉が同国直江に移った直江志津は、志津に比べて地鉄に「地沸が少ない感があり地景も少なくなる」とされ、働きは小づんで淋しいか、逆に大模様になる。この格子は実際に運用されて改められもする。第十五回重要で直江志津とされた一口は、第七回特別重要で伝志津に改められた。境界は上方、師その人にも引かれる。特別重要第一回の刀は本阿弥光勇の折紙で貞宗、鞘書で正宗とされていたが、流れる鍛えと尖りの互の目、掃きかけて焼詰め風の帽子から志津と鑑せられ、「志津の作中の最高の出来」と称された。志津に発した美濃鍛冶はその後の刀剣史を支え、二百数十年の後、堀川国広の慶長相州復興はとりわけ志津を範とした。

藤代の格付けは最上作。国宝はなく、重要文化財は六口で、説明書には重文の在銘太刀三口、日本美術刀剣保存協会所蔵の在銘短刀、名物稲葉志津が引かれる。戦前の重要美術品九口、特別重要刀剣一九口・重要刀剣一二二口、両指定で一四一口、指定を受けた作は一五六口に上る。伝来は三二口に録され、徳川家康・徳川秀忠・前田利常・黒田長政・伊達家・佐竹義宣・細川侯爵家・延岡藩内藤家・尾張徳川家に及び、「長州毛利家襲蔵品との言い伝えがある」一口や、平井千葉の鞘書を持つ黒田志津がある。天正十年(一五八二)甲州若神子の対陣の後、井伊直政が木俣清三郎守勝に与え、彦根藩筆頭家老木俣家に伝来した短刀は、重文の名物稲葉志津に姿を擬えられた一口である。現所蔵の記録ある作は二荒山神社・徳川美術館・佐野美術館などに収まる。蒐集家が現実に出会い得るのは特別重要・重要の両指定であるが、いずれも長く秘蔵され、市場に現れることは稀である。現れた一口の茎は多く無銘であり、金象嵌か折紙がただ志津と告げる。それがこの伝統では一人の工の名である。

鑑定

典型=南北朝の大柄な姿に、のたれ調の互の目を沸深く焼く相州・美濃の一作風。ほぼ全てが大磨上無銘の刀で、稀な在銘生ぶの太刀・短刀の作域が傍らに立つ。手掻の出自に由来する大和気質(流れ肌、掃きかけて丸く返る帽子)が全体を貫き、飛焼・火焔帽子の覇気ある部類と、焼の低い穏やかな部類とが両極に立つ

兼氏は通称志津三郎、初め大和手掻派の刀工で包氏と銘し、相州正宗の門に入り、後に美濃国志津の地に移住して兼氏と改めた。極めの伝統では、単に志津と呼んだ場合は兼氏を意味する。古来、正宗十哲の一人に数えられ、その中にあって正宗に最も近い作風を示す刀工と説明に繰り返し記される。完成相州伝を美濃へ運びながら大和の手をとどめ、板目が流れて柾がかり、互の目に尖り刃が交じり、同形の互の目が連れ、帽子は丸く返って掃きかける。在銘の作は極めて稀で、現存作の大半は大磨上無銘の刀として金象嵌・朱銘・折紙によって極められ、活躍期は鎌倉時代最末期から南北朝時代前期にわたる。

鑑定の決め手

作品の40% ・ 正宗比 17.9倍

作品の52% ・ 正宗比 2.6倍

作品の16%

作品の60%

作風の変遷

典型(志津における相州・美濃の大成)

現存作の主流にして志津極めの本領。姿は南北朝の盛期そのもので、身幅広く元先の幅差が目立たず、反り浅く、中鋒延びごころから大鋒となる。鍛えは板目、優品では地沸が微塵に厚くつき、地景が頻りに入り、杢や流れ肌を交え、時に肌立つ。刃文はのたれを基調に互の目、尖り刃を交え、匂口深く、沸厚く明るく、処々荒めの沸を交じえ、砂流し・金筋が刃中に働き、刃縁に湯走り、地に飛焼がかかる。帽子は乱れ込みまたはのたれ込んで先丸く、小丸・大丸に返り、掃きかける。一見して相州上工、流れる鍛えと尖り・連れの互の目、掃きかけて丸く返る帽子が志津を語る。

姿 Sugata
地鉄 Jigane
刃文 Hamon
帽子 Bōshi
稀な在銘生ぶの作域(寸短かめの太刀と短刀)— 稀な在銘作。二字銘の太刀(丸棟で樋先のやや下がった二筋樋を掻くものがあり、当時としてはあまり長大とならない姿がむしろ兼氏の特色とされる)と、生ぶ茎・三つ棟の短刀(素剣・護摩箸を彫るものがある)
大磨上無銘・極めの作域— 大磨上無銘の刀(一七一口中、無銘一五六口・磨上一四三口)。志津・伝志津の極め物で、金象嵌(一二口)・朱銘(四口)・本阿弥の折紙によって定まる

大和気質(手掻の出自があらわれる側面)

説明自身が繰り返し指摘する。手掻の出自を作中に直接読み、「大和風」「大和気質」「大和伝に相州伝を加味」と呼ぶ

相州本国との分かれ目は大和にある。板目が流れて柾がかり、刃縁にほつれ・喰違刃・二重刃・打のけが現われ、帽子は掃きかけて、時に焼詰め、あるいは返りが浅い。説明はまさにこの諸点で正宗から志津へ極めを引き寄せる。特別重要の一口では、流れる板目、尖りごころの互の目、掃きかけて焼詰め風の帽子を「大和風」と読み、手掻に始まり正宗に学んだ経歴をそこに見る。稀に直刃調へ全く寄った作もあり、その経歴よりかかる出来もあると認められる。

地鉄 Jigane
刃文 Hamon
帽子 Bōshi

覇気ある部類(飛焼・棟焼・火焔帽子)

確証はやや弱い説明が「覇気」「放胆」「同工極め中の白眉」と呼ぶ部類。焼を高く取って高低の出入りが強く、地に飛焼が頻りにかかり、帽子は盛んに掃きかけて火焔状となり、返りを長く焼き下げて棟焼に繋がる

覇気の極では乱れが大きく多様になり、焼の高低が強く、荒めの沸が交じり、飛焼・長い湯走りが散り、最も放胆な作では帽子は一面に焼きが入って火焔状に掃きかけ、返りを長く焼き下げる。説明はこれらを特に取り上げ、延文・貞治型の特別重要の一口を「同工極め中の白眉」と呼び、第六十三回重要の金象嵌の刀を放胆な作風ゆえに兼氏の極めが首肯されると読む。

刃文 Hamon
帽子 Bōshi

穏やかな部類(焼低く静かな作、直刃調)

確証はやや弱い説明が「穏やかな作柄」「穏やかな作風」と呼ぶ部類。焼を低めに抑え、浅い小のたれに小互の目を交え、地鉄に見せ場を譲る。在銘作中にも小互の目交じりの直刃調の太刀(重美)があり、説明自身が他の在銘兼氏と作風を異にすると記す

覇気の対極に静の部類が立つ。焼は低く整い、浅いのたれまたは直刃調に小互の目を交え、匂口深く明るく、よく錬れた地鉄が一口を支える。説明はこれらを志津極めの中の穏やかな作柄と明記し、在銘の太刀を含む稀な直刃調の作がこの作域の広がりを示す。

刃文 Hamon
帽子 Bōshi
研究

出自は一貫して記される。初め大和手掻派の刀工包氏で、相州正宗に学び、美濃国志津に移住して兼氏と改めた。これにより「美濃刀工の基を創造した」と付け加えられる。

制作年紀のある作は皆無で、年代は間接に定まる。弟子と伝える兼次の観応元年紀から推して、活躍期は鎌倉時代末期から南北朝時代前期とされる。

在銘の作は「極めて稀」とほぼ同じ言葉で繰り返される。大半は大磨上無銘で伝わり、在銘の太刀は生ぶの姿を知る資料として貴重とされる。

代別は銘によって扱われる未決の問題である。南北朝時代に少なくとも二代存在すると思われ、本間順治は「概して大振りの銘は初代、小振りの銘は二代以後」との見解を重美の解説に残し、なお研究の余地があると付記する。

初代銘そのものも記述される。「初代銘は角張って大きいところが特徴である」と記され、無銘の作には本阿弥・寒山・長識らの金象嵌・朱銘の極めが入る。

栄誉

享保名物帳Kyōhō Meibutsu Chō (Catalog of Celebrated Blades)

名物6・焼失1(計7口)

享保4年(1719年)、本阿弥家が八代将軍徳川吉宗に献上した名物刀剣の台帳。平安〜南北朝の刀剣約274口(現存168口+焼失約80口+追記約26口)を刀工別に収載し、号の由来・寸法・代付・伝来を記す。本栄誉は名物帳に作品が所載される刀工に付与され、詳細欄には刊行集計による口数(正確な場合)または所載名物の号を記す。

正宗十哲Masamune Juttetsu (Ten Brilliant Students of Masamune)

正宗十哲・十哲中最も師風に近い

正宗十哲 ― 幕末の『刀剣正纂』(文久2年・1862)に初出する後世の括りで、同書自体が「後人ノ憶説ナレバ、今取ラズ」と注記する。兼光・長義・金重・直綱は年代的に直弟子とは考え難く、則重は新藤五国光門下の相弟子とするのが通説。しかしNBTHK説明には頻繁に言及され、鑑定用語として定着している。名簿には異同があり(直綱に代えて貞宗を数える説、金剛兵衛盛高を来国次または直綱に代える説)、本栄誉は標準的な十工に付す。

指定

国宝—
重要文化財6
重要美術品9
御物—
特別重要刀剣19
重要刀剣122

名工ランク

0.60 (指定作品156点)

刀工の上位4%

伝来

伝来記録46件 の鑑定作品における Kaneuji

伝来ランク

名家所蔵19点、伝来記録46件

刀工の上位3%

素点:3.33 / 10

刀姿

評価作品156点の分布

銘

評価作品156点の銘の種類

販売中

系譜

師匠Masamune
Kaneuji
弟子(6名)
  1. 1.長守Nagamori1 販売中41指定
  2. 2.兼友Kanetomo11指定
  3. 3.兼氏Kaneuji3指定
  4. 4.兼信Kanenobu2指定
  5. 5.兼次Kanetsugu4指定
  6. 6.包氏Kaneuji2指定