説明

刃長28.2センチ 反り0.15センチ 元幅29.3ミリ 元重ね5.0ミリ 物打幅23.9ミリ 物打重ね4.0ミリ 目釘穴1個 裸身重量190グラム 室町後期 The latter period of Muromachi era 昭和38年3月28日 東京都登録 附属 素銅地銀着はばき、白鞘 宇多派は鎌倉時代末期の文保頃に、大和国宇陀郡から古入道国光が越中に移住したことにより興り、南北朝時代に国房・国宗・国次等の刀工が活躍し、同銘相継いで室町末期に渡って繁栄しました。 鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての作品を古宇多、室町期の作品を宇多と呼称し、同派の特徴としては、大和伝と相州伝の両方が加味された作風をしている点が挙げられ、地鉄は板目に杢目を交えてやや大肌となり、地が黒ずんで粕立つ処があり、刃文は小沸出来の中直刃に金筋、砂流しを交えながらも匂い口が潤みごころとなります。 宇多國久(くにひさ)は國房の子で名を右衛門三郎といい、応永七年、廿一年、廿六年の年紀作があります。越中国は日本海沿岸の要衝で、細川氏、斯波氏など室町幕府の管領を勤めた重臣が守護を拝命し、応永以降は畠山氏の領国となりました。國久など宇多派の刀工は、畠山家中の武士の需に応え、切れ味優れた刀槍を鍛えました。 この短刀は、平造、庵棟、表裏に刀樋を角留とし、地鉄は板目に杢が交じって柾に流れ、淡く映りが見られて味わい深く、刃文は匂口が明るく、乱れの谷に砂流が見られ、物打より先の方では特に乱れの谷が深く、金筋を交えています。鋩子は乱れ込んで先が丸く返っており、宇多派ならではの歴史的背景と、精緻な作行を存分に堪能できる一口です。

宇多國久(国久) -Uda Kunihisa- 4-361

宇多國久(国久) -Uda Kunihisa- 4-361

短刀

¥198,000

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仕様

長さ

28.2 cm

反り

0.15 cm

元幅

2.93 cm

先幅

2.39 cm

流派について

Uda School宇多派

宇多派は、鎌倉時代末期の文保年間(一三一七~一三一九)頃、大和国宇陀郡から越中国に移住した古入道国光を祖とする刀工集団である。国光の子と伝える国房を筆頭に、南北朝時代には国宗、国次、国光と同名が相継いで活躍し、室町時代末期まで栄えた。このうち、南北朝時代を下らぬ作品を特に「古宇多」と汎称している。元来大和国宇陀郡の出身であることから、自然に大和気質の強い作風が多くみられるが、同時に越中の先達である則重や江に倣ったとみられる相州伝風の作品も存在する。 古宇多の作風は、板目に杢目や流れ肌を交え、肌立ちごころとなり、地沸が厚くつき、地景が頻りに入る鍛えに、地鉄が黒みをおび、処々肌目が粕立つ点に北国気質が顕著に表れている。刃文は直刃調に浅く小のたれ、小互の目や小乱れを交え、匂深く沸がよくつき、刃縁がほつれて、金筋や砂流しが頻りにかかり、匂口が沈みごころとなる特色を示す。帽子は小丸に返り、頻りに掃きかけて焼き詰めごころとなるものが多い。一見すると相州上工の作を想わせる覇気に満ちた出来口であるが、黒みをおびた地鉄には北国物特有の肌合いの特色が看て取れ、また刃縁がほつれて砂流しが激しくかかる点に古宇多と鑑すべき要素がある。処々に荒めの沸が交じり、湯走りや打のけ、二重刃風の働きを交えるものもあり、地刃ともに変化に富む。 南北朝時代の典型的な姿を呈し、身幅広く重ね厚く、反りやや深く、中鋒延びごころまたは大鋒となる豪壮な体配のものが多い。地刃ともに健全で、覇気に満ちた出来口を示す作品が多く、同派極めの中でも優品とされるものが数多く残されている。越後中条家伝来の黒漆革巻太刀拵のように、南北朝時代を下らぬ貴重な太刀拵が完存する例も知られている。鎌倉末期から南北朝期にかけての越中における刀工集団として、大和気質と相州伝風を融合させた独自の作風を確立し、後世に大きな影響を与えた。

刀剣商

刀心

shop.nihontou.jp

¥198,000

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