
毛抜形太刀 慶心斎直正(大慶直胤門人)(生ぶ無銘) Kenukigatatachi:Keishinsai Naomasa
売却済
世界81社の刀剣商を横断追跡 · 価格履歴 · 売却アーカイブ
Genji (1864-1865)
仕様
64.2 cm
1.7 cm
2.78 cm
作者について
Suishinshi Masahide Naomasa直正
毛抜形太刀は、平安期に蝦夷の蕨手刀から発展したと云われており、平安中期から後期に掛けて、このスタイルが確立されました。刀剣外装の中で最も古いものの一種とされており、儀礼用のみでなく、当時の実戦刀としても使われていましたが、鎌倉期以降は、主に儀礼用として用いられるようになります。 最大の特色は、柄が刀身と共鉄造りであり、その中央に毛抜形の透かし彫りを施してあることです。 その中で最も有名なのが、奈良県の春日大社に収蔵されている、国宝『金地螺鈿毛抜形太刀』、平安末期を下らない作とされます。 現存品の大半は江戸期の作、それより古い作は、ほとんど見られません。 本作は、生ぶ無銘で、『慶心斎直正』の極めが付されています。 直正は、宮崎姓、大慶直胤門、相馬中村藩の藩工で、越前守を受領、慶心斎と号しました。 相馬中村藩は、陸奥国中村(現在の福島県相馬市)を拠点とし、相馬家が藩主を務めました。 活躍期は、幕末から明治初期、明治維新後は脱刀令、廃刀令が出される世の中となり、刀剣の需要は全く無くなりました。職を奪われた直正は、明治十二年、失意のあまり自死したと云います。 銘は、『慶心斎直正』、『宮崎越前守直正』などと切ります。 寸法二尺一寸二分弱、小板目肌沈み勝ちで無地風となった地鉄は、所々流れて肌立ち、小互の目乱れ主体の刃は、刃縁匂い勝ちで明るく締まり気味、所々二重刃風の沸筋掛かり、刃中小互の目足入る出来です。 刀身と柄、ハバキが一体となっていますので、鐔、切羽等を外す場合、目釘を抜けば、縁、鐺金具等が着脱可能となり、下へ外せます。 昭和二十六年三月の古い登録証は東京登録、兎にも角にも、大珍品の毛抜形太刀、確実に押さえて下さい。

売却済
世界81社の刀剣商を横断追跡 · 価格履歴 · 売却アーカイブ
Genji (1864-1865)
64.2 cm
1.7 cm
2.78 cm
Suishinshi Masahide Naomasa直正
毛抜形太刀は、平安期に蝦夷の蕨手刀から発展したと云われており、平安中期から後期に掛けて、このスタイルが確立されました。刀剣外装の中で最も古いものの一種とされており、儀礼用のみでなく、当時の実戦刀としても使われていましたが、鎌倉期以降は、主に儀礼用として用いられるようになります。 最大の特色は、柄が刀身と共鉄造りであり、その中央に毛抜形の透かし彫りを施してあることです。 その中で最も有名なのが、奈良県の春日大社に収蔵されている、国宝『金地螺鈿毛抜形太刀』、平安末期を下らない作とされます。 現存品の大半は江戸期の作、それより古い作は、ほとんど見られません。 本作は、生ぶ無銘で、『慶心斎直正』の極めが付されています。 直正は、宮崎姓、大慶直胤門、相馬中村藩の藩工で、越前守を受領、慶心斎と号しました。 相馬中村藩は、陸奥国中村(現在の福島県相馬市)を拠点とし、相馬家が藩主を務めました。 活躍期は、幕末から明治初期、明治維新後は脱刀令、廃刀令が出される世の中となり、刀剣の需要は全く無くなりました。職を奪われた直正は、明治十二年、失意のあまり自死したと云います。 銘は、『慶心斎直正』、『宮崎越前守直正』などと切ります。 寸法二尺一寸二分弱、小板目肌沈み勝ちで無地風となった地鉄は、所々流れて肌立ち、小互の目乱れ主体の刃は、刃縁匂い勝ちで明るく締まり気味、所々二重刃風の沸筋掛かり、刃中小互の目足入る出来です。 刀身と柄、ハバキが一体となっていますので、鐔、切羽等を外す場合、目釘を抜けば、縁、鐺金具等が着脱可能となり、下へ外せます。 昭和二十六年三月の古い登録証は東京登録、兎にも角にも、大珍品の毛抜形太刀、確実に押さえて下さい。

売却済
世界81社の刀剣商を横断追跡 · 価格履歴 · 売却アーカイブ
Genji (1864-1865)
64.2 cm
1.7 cm
2.78 cm
Suishinshi Masahide Naomasa直正