説明

出ました出ました幕末の徳川幕府による第二次長州征伐を受けている最中の緊張感高まる長州藩の岩国藩藩士の中国地方の覇者尼子氏の末裔である佐々木長隆氏の為に造られた寸延び短刀が出ました。製作時の慶応二年(1866年)(159年前)長州藩は防御を整える一方、前年の慶応元年(1865年)には坂本竜馬などの働きにより、長年衝突していた薩摩藩と長州藩が薩長同盟を締結した後の慶応二年(1866)(6月7日)幕府の軍艦による周防大島の砲撃を皮切りに第二次長州征伐の幕府軍と長州軍の戦闘が始まります。岩国藩は芸州口で参戦。長州藩の遊撃隊などと共に幕府軍を迎え撃ち、長州藩が有利なまま翌年の慶応3年(1867年)安芸の宮島で休戦協定が結ばれます。その年の慶応3年10月14日には15代将軍徳川慶喜より天皇に政権を返上する大政奉還があり、12月9日には王政復古が発せられ、翌年の(1868年)1月より鳥羽伏見の戦いにより戊辰戦争が始まり翌1869年9月の函館五稜郭の戦いで終結します。前年の(1868年)(9月8日)には明治元年を迎えます。その第2次長州征伐の戦いの真最中の慶応二年冬(1866年)(159年前)本短刀は決死の覚悟の岩国藩藩士佐々木長隆氏の為に作られた寸延びの短刀です、長州藩の佐々木長隆は岩国藩の重臣で佐々木の姓は元々中国地方の覇者尼子一族の末裔の名門の出です。作者の青龍軒盛俊は本名岩本清左ヱ門、始め岩国の甲冑師武介林当に学び岩本姓を許されました。天保八年(1837年)(188年前)上京して長運斎綱俊に入門、後に幕末の業物として有名な固山宗次の門人となりました。帰国して長州の岩国藩藩工となります。本寸延び短刀は盛俊65歳の作で危機迫る自国を守る為に精魂込めて作られた短刀です、姿は元重ね厚く反りの少ない寸の長い鋭い短刀姿を現し、地金は板目肌良く詰み、彫りは表に腰樋と添え樋、裏に護摩ばしを彫り見事です。刃紋は小沸の付いた互の目乱れ刃を焼き師固山宗次を髣髴とさせる短刀です。向かうもの全てを断ち切り身にかかる危険も跳ね返すとの迫力がひしひしと伝わる作品です。今回世の中に初めて生で出たために特別に格安にて御提供いたします。長州の岩国藩の幕末の第一人者青龍軒盛俊の岩国藩士尼子一族の末裔佐々木長隆氏の数々の戦いから身を守りきった名短刀を是非お楽しみ下さいませ。

青龍軒盛俊 岩国藩士為 佐々木長隆造之 慶応二丙寅冬 Seiryuken Moritoshi

青龍軒盛俊 岩国藩士為 佐々木長隆造之 慶応二丙寅冬 Seiryuken Moritoshi

短刀

¥450,000

世界81社の刀剣商を横断追跡 · 価格履歴 · 売却アーカイブ

仕様

長さ

31.4 cm

反り

0.2 cm

元幅

2.93 cm

先幅

1.78 cm

刀剣商

明倫産業

nipponto.co.jp

¥450,000

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