説明

Beautiful work by the famous Shin-Shinto Naokatsu, Jo-jo Saku ranked smith. The Tachi Mei reads “Shoji Jiro Taro Naokatsu”, and dated “February of 1857AD”. This work would have been made 1 year before his early death. He was a remarkable smith and studied directly under Taikei Naotane, known for his wide range of work this piece mimics that of Yamashiro which he did not do so often. The blade has been awarded Tokubetsu Hozon by the NBTHK and is incredibly long at 81.2 cm, it also has a lovely Dragon horimono that is carved straight through. To compliment the blade we have a complete Shishi Dog theme, in Shakudo and very tasteful.

Huge Katana by Jo
売切れ
Tokuho売切れ

Huge Katana by Jo

売却済

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仕様

長さ

81.2 cm

作者について

Suishinshi Masahide Jirotaro Naokatsu直勝

6 重要刀剣

次郎太郎直勝は大振りの六字銘に「次郎太郎直勝」と切り、天保から安政に亙る幕末の年紀を残した。現存の指定作のうち最も古いものは天保二年(一八三一)紀、最も新しいものは安政二年(一八五五)紀である。彼は大慶直胤の門人で、後にその養子となり、上州館林の秋元家に仕え、江戸下谷に住した。初め上総太郎と称し、後に次郎太郎に改めたが、説明書は上総太郎銘の作は未見であると記す。直胤を介して新々刀復古の中心たる水心子正秀一門に連なり、その眼目は古作の伝法を蘇らせる復古刀にあった。説明書はこの一門の中で彼を「直胤に次ぐ実力者」とし、「また名工でもある」とする。安政五年(一八五八)、師父直胤に遅れること一年、五十四歳で没した。 その最も特徴的な手は古作の長船を範とした備前伝で、これを担うのは兼光に範をとった片落ち互の目である。説明書がある一刀の作を「片落ち互の目を主体」と評する、その鋸歯状の刃である。これに角張る刃・尖り刃・互の目を交え、総体に逆がかり、足長くよく入り葉を交える。この作域を担う姿は豪壮で、身幅広く重ね厚く、元に踏張りつき、中鋒延びるないし大鋒となり、八十糎に及ぶ天保壬寅年の長寸の刀では手持ちずしりとした勇壮な姿となる。説明書はこの種の作が直胤に比して姿豪壮で片落ち互の目が大きくなるとし、逆がかりと鍛えの大杢目を直胤同様の見どころとして、これを「彼の兼光写しに共通する手くせ」とする。帽子は乱れ込んで先尖りごころないし小丸に返る。 その刃の下の地鉄は復古を支える終始変わらぬところである。小板目をよくつめ、時に板目に大杢目・流れ肌を交えて開き、地沸厚くつき、かね明るい。その上に作域全体を束ねる古調な備前の映りが立つ。最も古い天保十四年の刀には丁子映りが、長寸の天保壬寅年の刀には乱れ映りが鮮明に立ち、他の作には無地風につんだ地に淡い映り風があらわれる。これは意図して求められた古作長船の地鉄で、直胤より低く静かに焼かれ、彼の備前伝の最も確かな徴となる。匂口は終始明るく、足長く頻りに入り、葉・細かな金筋・砂流しを交え、華やかな処では小さな飛焼を見せる。ある天保の一刀では彫物が彼には珍しく、倶利迦羅・素剣を茎の方へ下げて彫り、説明書はこの作を兼光ではなく古作の長光に作意を向けた写し、或は失われた本歌の写しと読む。 説明書は本工の作を備前伝と相州伝の二つに大別し、その記録は双方の面を伝える。今述べた備前伝が見どころで、判者が明確に「古作の兼光」に、また景光・長光に擬えた手である。相州伝はもう一つの作域で、説明書が最も高く評するところでもある。これを検するに、時に師たる直胤すらも凌ぐ作があるとし、「直胤を凌駕する」と記す。この手では刃文が丁子に互の目を交えた華やかな乱れに開き、足長く入り、沸が厚く処々強くついて湯走りを思わせ、棟焼かかり、金筋・砂流しがかかり、帽子は乱れ込んで先尖って返り、匂口明るく冴える。越後国水原で鍛えた嘉永五年の一刀は、この手における「本領発揮の一口」と称される。その銘は江戸の職方の徴を備え、生ぶ茎を大筋違に化粧鑢をかけ、棟寄りに大振りの六字銘を切り、長銘には荘司・藤原姓を加え、時に鍛刀地の添銘を伴う。 一門の中で彼を分かつのは、判者の名指すその古調な備前の色である。その備前伝は直胤自身のこの手の作と引き較べられ、説明書は彼の備前伝の佳作をその種の「同作中の白眉」とし、直胤のこの手の傑作に比肩する出来とする。両者の相違は、彼の姿がより豪壮で片落ち互の目がより大きく、焼きを低めにして古色を醸す点にあるとされる。彼自身の確かな見どころは、より素朴な新々刀の手と分かつ。すなわち兼光に範をとった片落ち互の目、半数の作に通じる逆がかり、地に立つ丁子映り・乱れ映り、そして地沸厚き上の明るい匂口である。彼は水心子の眼目を直胤よりその両面に継ぎ、古作長船に範をとった備前伝と、判者が師を凌ぐとする相州伝とを併せ持ち、この一門による幕末の長船復古を体現する。 収集の観点では、一つの級に収まる幕末の佳名である。国宝はなく、重要文化財もなく、特別重要刀剣もない。その指定の記録はことごとく重要刀剣を通じ、昭和四十四年の第十八回から令和四年の第六十八回まで、各回に六口が上げられ、いずれも在銘・年紀の刀である。藤代は上作とし、刀工大鑑は新々刀の中位上に値する。記録の作はいずれも私蔵にあり、古い指定は美術館や社寺ではなく名のある私人の手を経ており、旧家の伝来を留めるものはない。現存の指定の全てが在銘の刀六口である以上、この出来の直勝が世に出ることは稀であり、説明書が直胤に次ぐとする手による在銘・年紀の新々刀として迎えられ、わけても兼光の手の備前伝、片落ち互の目に乱れ映りを伴う一刀が出るときは殊に喜ばしい。

刀剣商

Nihonto Art

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