説明

刃長53.0センチ 反り0.7センチ 元幅26.7ミリ 元重ね5.6ミリ 物打幅21.6ミリ 物打重ね4.2ミリ 横手位置幅18.5ミリ 松葉先重ね3.8ミリ 裸身重量344グラム。 南北朝前期正平頃(1346~) The early period of Nanboku-chō era 平成19年6月15日 新潟県登録 附属 保存刀剣鑑定書、素銅地金着はばき、白鞘 銘鑑に拠れば、初代貞綱は正宗十哲の一人に挙げられる石州直綱の子で、年代を正平頃としています。貞綱は直綱同様に石州出羽の地で鍛刀しており、その作風は、直綱に似た互の目主調のものと小湾れ主調のものを見ますが、いずれも沸がよくつき、砂流しがかかります。 この脇指は、鎬造で反り浅く、元先の幅差は頃好く開いて中切先。板目鍛えに流れ肌が交じり、地景入って地沸微塵に厚くつき、刃文は互の目主調に小乱れ・小湾れごころ交じり、小足入って沸よくつき、砂流し頻りにかかり、部分的に二重刃や食い違い風の刃が交じるなど、地刃共に古伯耆物に近似した古雅な趣を示しており、鋩子は乱れ込んで先丸く返っています。

無銘(石州出羽貞綱) - Mumei(Sekishu Dewa Sadatsuna) - 3-913

無銘(石州出羽貞綱) - Mumei(Sekishu Dewa Sadatsuna) - 3-913

脇差

¥330,000

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仕様

長さ

53 cm

反り

0.7 cm

元幅

2.67 cm

先幅

2.16 cm

流派について

Naotsuna School直綱派

石州直綱は石見国に住した刀工で、同名数工の存在が知られ、古伝書の多くは初代を建武、二代を永和、三代を応永と記している。厳密な代別についてはなお研究すべき点が残されているが、初代直綱は相州正宗の門人と伝え、いわゆる正宗十哲の一人に数えられる。もっとも、年代的にみて正宗との直接の繋がりにはやや無理があるように思われ、その明確な当否は今後の研究に委ねられている。山陰の地にあって相州伝の作域を示す一派であり、南北朝期、わけても延文・貞治の頃を中心に活躍した。直綱の子には真綱があって南北朝より室町にかかり、また貞綱が出て石見国出羽に住し、時代が降ると同国長浜の地に祥末・祥貞・林祥らの後流を生じ、貞綱の子を初代とする末貞も室町に数代続いた。 姿形は身幅広く、元先の幅差さまで目立たず、反りやや深く、中鋒延びごころから大鋒に至るものが多く、延文・貞治体配を明瞭に示す堂々たる作り込みを身上とする。鍛えは板目に杢を交え、流れ肌をまじえて肌立ちごころとなり、地沸厚くつき、地景がよく入り、鉄色は総じて黒みをおびて、ときに淡く映り立ち、あるいは白気風を見せる。刃文は互の目を主体とし、角ばる互の目が連れ、小互の目・小のたれ・尖りごころの刃・丁子ごころの刃などを交え、足・葉よく入り、沸厚くついて金筋・砂流しが頻りにかかり、湯走り・飛焼・棟焼や二重刃風を交えるなど、相州伝の覇気に富む。総じて互の目が連れて乱れる態と、よく沸づいて働きの豊かな刃中に直綱を見分ける要点があり、その作風は相州伝の志津・左文字に一脈相通じるところがある。子の貞綱は直綱に似て、互の目調のものと小のたれ調のものとを見るが、いずれも沸がよくつき、砂流しが盛んにかかる点に共通する。 鑑定にあたっては、黒みをおびた板目鍛えに地沸・地景の発達した地鉄と、互の目を主調とした変化に富む乱れ刃、刃中に頻りに看取される金筋・砂流しの働きを併せ見て、直綱と極められるものが多い。在銘の作は遺例に乏しく、額銘の刀や二字銘の太刀がわずかに伝わるほか、有銘の太刀には重要美術品に認定された一口が現存して、その銘振りは比較の基準となる。無銘ながら延文・貞治の豪壮な体配によく相州伝の作域を映した優品が伝存し、薙刀を磨り上げて刀・脇指に仕立て直したものも見られる。南北朝の山陰にあって相州伝を継承し、正宗十哲の名のもとに伝えられてきた点に、この一派の位置づけがある。

刀剣商

刀心

shop.nihontou.jp

¥330,000

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