鉄槌目地竪丸形 地透毛彫 丸耳 両櫃孔 又七の得意とする竹透の鍔です。 又七は鉄砲工であった父清兵衛勝光の子として慶長十年生まれ、はじめは家業の鉄砲鍛冶を勤めていましたが、細川忠興候に出仕、二十人扶持を支給され細川家の抱え工となります。 細川家に仕え、七代藤八に至るまで肥後春日村に住したことから、林派とも春日派とも言われています。 林又七は肥後金工中第一の名人と言われ、鉄鍔を得意とし、抜群の鉄味で他国の鉄鍔工とは一線を画しています。 この鍔も良く練れた高級羊羹色のような鉄色、ネットリとして潤いがあり、鉄砲鍛冶の修行故か鉄は美しくも頑強で、鉄鍔の最高峰と言われる所以も納得させられます。 千利休の七哲人の一人でもあった細川三斎は林又七の手助けで自らも鍔製作を試み残されていることからも、侘茶からくる武人特有の美意識は、林又七にも大きな影響を与え、見事な鉄味の作品として残されています。 何とも言えぬ鉄地鍛え、竹の幹の丸み、静かで得も言えぬ侘び寂の世界を感じさせる鍔です。 専用桐箱入り




又七
Early Edo (1613–1699)
肥後
無銘
保存 (NBTHK)
肥後 · 肥後
現在3点販売中
林又七は、肥後金工林派の祖であり、慶長十八年(1613年)に熊本に生まれた。清三郎重治と称し、工名は又七である。先祖は尾張国の出身で、元来は鉄砲鍛冶であったが、間々鐔も作っていたと伝えられている。父清兵衛の時、鉄砲鍛冶として加藤清正に仕え、肥後熊本に移住し、さらに加藤家が改易になってからは細川家に仕え、元禄十二年(1699年)、八十七歳で歿している。
又七の作風は、鍛えのよい鉄地が見どころであり、特に「羊羹色にたとえられる如く、鍛えのよいねっとりとした鉄地」[[c:1]]と評される独特の地鉄に特色がある。地鉄は「ネットリと艶のある」[[c:2]]と表現されることもあり、その精良さが強調される。作風は多岐にわたり、「いろいろな手法を駆使して作品制作にあたっている」[[c:3]]と評されるように、透かし、象嵌など様々な技法を巧みに用いる。透かしの技法においては、「陰透」を多用し、その際には「雄渾な鏨目を残して一気呵成に影透かしを打ち抜いている」[[c:4]]と評されるように、力強い鏨使いが特徴である。また、象嵌においては、金布目象嵌、金縄目象嵌、枯木象嵌などが見られ、その意匠も桜、九曜紋、松、蕨手など多様である。耳の形状も丸耳、角耳小肉など変化に富み、作品によって意匠を凝らしている。図取りにおいては、武鑑散、枝折竹、雲出八橋など、高尚な意匠を好み、その構成力と美的感覚の秀逸さが評価されている。
林又七の作品は、「君子の風格」と評されるように、格調高く、肥後鐔の魅力を世に知らしめた。その作風は、「端正で謹直」でありながらも、「手強い作品を手掛けているのも名工の成せる技」[[c:5]]と評されるように、力強い表現も持ち合わせている。地鉄、透かし、象嵌といった各要素が高度に融合し、無駄のない洗練された美しさを実現しており、「鐔としての形式美が完成され、どの部分をとっても無駄の無い君子の風格を兼ね備えた鐔」[[c:6]]と評される。また、在銘の作は貴重であり、その鏨遣いも評価の対象となっている。
又七の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
肥後 · 肥後
現在35点販売中
林派は、肥後金工を代表する流派であり、その祖である林又七(慶長十八年~元禄十二年、一六一三~一六九九)によって確立された。又七は清三郎重治と称し、工名を又七とした。その先祖は尾張国の出身で、元来は鉄砲鍛冶を家業としていたが、間々鐔も作っていたと伝えられる。父清兵衛の時、鉄砲鍛冶として加藤清正に仕え、肥後熊本に移住した。加藤家が改易になってからは細川家に仕えることとなり、特に細川三斎の薫陶を受けて大成を遂げた。八十七歳で歿するまで、武士道精神を体現した作品を多く遺している。後世、林派の相伝は神吉家に受け継がれ、寿平忠光(正忠)が藩命により林派の作風の復活に努め、その子である寿平国平深信(天明六年~嘉永四年、一七八六~一八五一)もまた誠実で品格の優れた作風を継承し、技術において楽寿の作に比肩すべき作品を残している。 林又七の作風は、いわゆる羊羹色にたとえられる独特の鉄地が最大の特色である。よく鍛えられた精美な地鉄は、ねっとりとした艶を持ち、微妙に肌目が露出しながら深い紫錆を呈する。この卓越した鉄味を基調として、又七は多彩な技法を駆使している。地透、陰透といった透かし技法は、力強くも流麗な鏨遣いによって一気呵成に打ち抜かれ、槌目仕立ての平地との対比が絶妙な緊張感を生み出す。さらに独自の彫込み象嵌技法を用いて、枯木や桜花、九曜紋などを配し、鉄鐔でありながら雅趣を失わない格調を実現している。金縄目象嵌や真鍮象嵌も巧みに施され、単調に陥ることなく存在感に満ちた仕上がりとなる。平地には微妙に肉をつけ、彫り口に柔らかみを感じさせる技法も特徴的であり、耳際の処理や櫃孔の配置にも細心の注意が払われている。 林又七の作品は、君子の風格と評されるように、精神性の高さが際立っている。枝折竹、松樹、梅樹、揚羽鶴、雲出八橋といった高尚な画題を選び、狭い鐔の空間の中に深い遠近感と清風の趣を表現する。竹の弾力、寒梅の精神性、鶴の姿態など、単なる装飾を超えた文人的教養が随所に看取される。これらは江戸時代初期の武士道精神、特に文武両道を体現したものであり、細川三斎の指導奨励のもとで磨かれた造形感覚の賜物である。作品の多くは無銘であるが、羊羹色の鉄味、独特の透かし技法、彫込み象嵌の配置などから一見して又七と鑑せられる。在銘作は極めて少なく、金象嵌銘や鏨銘が施された作品は貴重である。林派の伝統は後世に受け継がれ、神吉深信らによって幕末期まで肥後金工の中核を成し、その格調高い作風は肥後鐔の魅力を世に知らしめることとなった。 詳しく見る →
銘が正しい、または無銘でも年代・流派を指摘でき、美術工芸的価値が認められる、保存に値する真正の刀装具と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト刀剣、刀装具、骨董等1点ものにつきましては、キャンセル待ちのお客様がおられる場合がございますので、ご返品のご連絡は商品到着後3日以内、ご返送は8日以内にお願いいたします。ご返金は商品ご返送到着後即日に致します。
鉄槌目地竪丸形 地透毛彫 丸耳 両櫃孔 又七の得意とする竹透の鍔です。 又七は鉄砲工であった父清兵衛勝光の子として慶長十年生まれ、はじめは家業の鉄砲鍛冶を勤めていましたが、細川忠興候に出仕、二十人扶持を支給され細川家の抱え工となります。 細川家に仕え、七代藤八に至るまで肥後春日村に住したことから、林派とも春日派とも言われています。 林又七は肥後金工中第一の名人と言われ、鉄鍔を得意とし、抜群の鉄味で他国の鉄鍔工とは一線を画しています。 この鍔も良く練れた高級羊羹色のような鉄色、ネットリとして潤いがあり、鉄砲鍛冶の修行故か鉄は美しくも頑強で、鉄鍔の最高峰と言われる所以も納得させられます。 千利休の七哲人の一人でもあった細川三斎は林又七の手助けで自らも鍔製作を試み残されていることからも、侘茶からくる武人特有の美意識は、林又七にも大きな影響を与え、見事な鉄味の作品として残されています。 何とも言えぬ鉄地鍛え、竹の幹の丸み、静かで得も言えぬ侘び寂の世界を感じさせる鍔です。 専用桐箱入り




又七
Early Edo (1613–1699)
肥後
無銘
保存 (NBTHK)
肥後 · 肥後
現在3点販売中
林又七は、肥後金工林派の祖であり、慶長十八年(1613年)に熊本に生まれた。清三郎重治と称し、工名は又七である。先祖は尾張国の出身で、元来は鉄砲鍛冶であったが、間々鐔も作っていたと伝えられている。父清兵衛の時、鉄砲鍛冶として加藤清正に仕え、肥後熊本に移住し、さらに加藤家が改易になってからは細川家に仕え、元禄十二年(1699年)、八十七歳で歿している。
又七の作風は、鍛えのよい鉄地が見どころであり、特に「羊羹色にたとえられる如く、鍛えのよいねっとりとした鉄地」[[c:1]]と評される独特の地鉄に特色がある。地鉄は「ネットリと艶のある」[[c:2]]と表現されることもあり、その精良さが強調される。作風は多岐にわたり、「いろいろな手法を駆使して作品制作にあたっている」[[c:3]]と評されるように、透かし、象嵌など様々な技法を巧みに用いる。透かしの技法においては、「陰透」を多用し、その際には「雄渾な鏨目を残して一気呵成に影透かしを打ち抜いている」[[c:4]]と評されるように、力強い鏨使いが特徴である。また、象嵌においては、金布目象嵌、金縄目象嵌、枯木象嵌などが見られ、その意匠も桜、九曜紋、松、蕨手など多様である。耳の形状も丸耳、角耳小肉など変化に富み、作品によって意匠を凝らしている。図取りにおいては、武鑑散、枝折竹、雲出八橋など、高尚な意匠を好み、その構成力と美的感覚の秀逸さが評価されている。
林又七の作品は、「君子の風格」と評されるように、格調高く、肥後鐔の魅力を世に知らしめた。その作風は、「端正で謹直」でありながらも、「手強い作品を手掛けているのも名工の成せる技」[[c:5]]と評されるように、力強い表現も持ち合わせている。地鉄、透かし、象嵌といった各要素が高度に融合し、無駄のない洗練された美しさを実現しており、「鐔としての形式美が完成され、どの部分をとっても無駄の無い君子の風格を兼ね備えた鐔」[[c:6]]と評される。また、在銘の作は貴重であり、その鏨遣いも評価の対象となっている。
又七の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
肥後 · 肥後
現在35点販売中
林派は、肥後金工を代表する流派であり、その祖である林又七(慶長十八年~元禄十二年、一六一三~一六九九)によって確立された。又七は清三郎重治と称し、工名を又七とした。その先祖は尾張国の出身で、元来は鉄砲鍛冶を家業としていたが、間々鐔も作っていたと伝えられる。父清兵衛の時、鉄砲鍛冶として加藤清正に仕え、肥後熊本に移住した。加藤家が改易になってからは細川家に仕えることとなり、特に細川三斎の薫陶を受けて大成を遂げた。八十七歳で歿するまで、武士道精神を体現した作品を多く遺している。後世、林派の相伝は神吉家に受け継がれ、寿平忠光(正忠)が藩命により林派の作風の復活に努め、その子である寿平国平深信(天明六年~嘉永四年、一七八六~一八五一)もまた誠実で品格の優れた作風を継承し、技術において楽寿の作に比肩すべき作品を残している。 林又七の作風は、いわゆる羊羹色にたとえられる独特の鉄地が最大の特色である。よく鍛えられた精美な地鉄は、ねっとりとした艶を持ち、微妙に肌目が露出しながら深い紫錆を呈する。この卓越した鉄味を基調として、又七は多彩な技法を駆使している。地透、陰透といった透かし技法は、力強くも流麗な鏨遣いによって一気呵成に打ち抜かれ、槌目仕立ての平地との対比が絶妙な緊張感を生み出す。さらに独自の彫込み象嵌技法を用いて、枯木や桜花、九曜紋などを配し、鉄鐔でありながら雅趣を失わない格調を実現している。金縄目象嵌や真鍮象嵌も巧みに施され、単調に陥ることなく存在感に満ちた仕上がりとなる。平地には微妙に肉をつけ、彫り口に柔らかみを感じさせる技法も特徴的であり、耳際の処理や櫃孔の配置にも細心の注意が払われている。 林又七の作品は、君子の風格と評されるように、精神性の高さが際立っている。枝折竹、松樹、梅樹、揚羽鶴、雲出八橋といった高尚な画題を選び、狭い鐔の空間の中に深い遠近感と清風の趣を表現する。竹の弾力、寒梅の精神性、鶴の姿態など、単なる装飾を超えた文人的教養が随所に看取される。これらは江戸時代初期の武士道精神、特に文武両道を体現したものであり、細川三斎の指導奨励のもとで磨かれた造形感覚の賜物である。作品の多くは無銘であるが、羊羹色の鉄味、独特の透かし技法、彫込み象嵌の配置などから一見して又七と鑑せられる。在銘作は極めて少なく、金象嵌銘や鏨銘が施された作品は貴重である。林派の伝統は後世に受け継がれ、神吉深信らによって幕末期まで肥後金工の中核を成し、その格調高い作風は肥後鐔の魅力を世に知らしめることとなった。 詳しく見る →
銘が正しい、または無銘でも年代・流派を指摘でき、美術工芸的価値が認められる、保存に値する真正の刀装具と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト刀剣、刀装具、骨董等1点ものにつきましては、キャンセル待ちのお客様がおられる場合がございますので、ご返品のご連絡は商品到着後3日以内、ご返送は8日以内にお願いいたします。ご返金は商品ご返送到着後即日に致します。