後世のほとんどの権威が、鎌倉を日本刀の黄金時代と呼ぶ。最初の武家政権が注文主となり、諸伝統が同時に最盛期を迎え、伝えでは諸国の名工が後鳥羽上皇の御所に月番で伺候した。
商品番号:20250503-001 第十九回重要刀剣 太刀 無銘 因州景長 白鞘 鑑定書:重要刀剣証明書 時代:鎌倉時代 寸法 長さ:74.8cm 反り:2.7cm 元重:6.8 mm 元幅:28.2mm 先重:4.5 mm 先幅:17.2mm 南北朝時代に因幡国(鳥取県)で活躍した因州景長の重要刀剣指定作品。 因州景長は山城国粟田口吉正の弟子と伝え、通称を因幡小鍛冶と言い、鎌倉時代末期から室町時代に至るまで名跡が受け継がれている。その作風は直刃を得意とし、やや地鉄に白けごころがあるのを見どころという。
僅かに磨上げながら、殆んど生ぶ茎の様相を残し、 因州景長の作と伝えている。 因州の景長は元来、 山城国粟田口派の流れを汲むもので、因幡小鍛冶と称し、鎌倉の末頃から同名、室町時代に及 んでいる。 その作風は山城伝の直刃を得意として、やや地がねの弱い所に見どころがある。この太刀は無銘ながら、 鎌倉末期 の作で時代も古く地刃の出来がよい。


僅かに磨上げながら、殆んど生ぶ茎の様相を残し、 因州景長の作と伝えている。 因州の景長は元来、 山城国粟田口派の流れを汲むもので、因幡小鍛冶と称し、鎌倉の末頃から同名、室町時代に及 んでいる。 その作風は山城伝の直刃を得意として、やや地がねの弱い所に見どころがある。この太刀は無銘ながら、 鎌倉末期 の作で時代も古く地刃の出来がよい。
脇物 · 因幡 · 1288-1293頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位10%
因州景長は、山城国粟田口吉正の門人と伝えられ、因幡小鍛冶と称される。鎌倉時代末期から室町時代にかけて同銘が続き、年紀のあるものは僅少で、応永の年紀のあるものが数口にとどまる。銘振りによって時代を判定するのは至難とされる。
景長の作風は、山城伝の直刃を得意とし、地鉄は板目肌が流れごころとなり、大肌交じりとなる作もある。刃文は細直刃を焼き、匂口締まりごころに小沸つき、細かにほつれて打ちのけがかかる。帽子は直ぐに先尖って返る、もしくは丸く返る。姿は細身で腰反りがあり、華表反りの高い太刀姿を示すものもある。鑑定上の要点としては、太刀の場合、棟に寄って銘を切るのが通例であるにもかかわらず、茎中央に銘を切る作があること、また、地鉄の弱さが見どころとして挙げられる。
景長の作は、鎌倉中期から末期にかけてのものが最も古く、多くはそれ以後の作である。「姿・地刃の作風が頗る古調」[[c:1]]であるものや、「地刃の出来がよい」[[c:2]]ものが評価される。伝統的な作風は京風の直刃にあり、後代の作には乱れ刃も見られる。現存する作は稀少であり、特に初代景長の作と考えられるものは貴重である。
景長の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
脇物 · 因幡
因州景長は因幡国に興った刀工の系で、通称を因幡小鍛冶(因州小鍛冶)といい、説示はその初代を山城国粟田口吉正の弟子と伝える。来国俊の門人とする一説や、藤四郎吉光の門とする所伝もあり、いずれも山城伝の流れを汲むものとして語られている。初代の時代は嘉元頃と伝え、建長頃を初代とし二代を建武とする銘鑑の記載もあって、鎌倉時代末期より室町時代にかけて同名数工が相継いで景長を名乗った。説示が扱う作はこの初代の鎌倉最末期と目されるものから南北朝期、室町初期に及び、応永九年の年紀を有する太刀や脇指、大身槍を含む。現存する有銘作は太刀・短刀ともに極めて稀で、応永年紀の遺例も数口を見るにとどまり、槍に至っては他にほとんど類を見ない。銘には「因州住景長」の五字銘を主とし、なかには「千二浦住」「千二原住」と冠した珍しい例も伝わる。 作風は山城伝の直刃を本領とし、説示が繰り返し記すところでは、鍛えは板目肌に流れ肌を交え、刃寄りが流れて柾がかり、地沸が細かにつき、白けごころ(白気)をおびて映りの立つものがある。地鉄はやや弱いと評され、地斑映りが看取される一口は備前の雲類を思わせるとも記される。刃文は細直刃を得意とし、小沸がつき、ほつれ・打のけ・二重刃ごころ・喰違刃を交え、小足や逆足が入り、匂口は締まりまた沈みごころとなる。帽子は直ぐに小丸あるいは丸く返り、先を掃きかけ、尖るものもある。室町期に入ると伝統的な直刃のほかにのたれや互の目乱れの刃文も現れ、備前景光に手がかりを得たと思われる互の目を焼いた短刀もあって、作域に広がりを見せる。直刃に丸い帽子の調子は大和手搔を思わせる出来とも評される。見分けの要としては、佩表棟寄りに五字銘を切るのが掟であり、茎中央に銘を切る例外は注目される点として記される。 鑑定にあたっては、同名数代にわたって銘振りが続くため銘によって時代を判ずるのは至難とされ、説示は姿と地刃の古調の度合いによって制作期を測る。古調なものは鎌倉最末期、地斑映りを伴うものは南北朝期、匂口締まりのたれや互の目を交えるものは室町期と鑑せられている。代表的な遺品としては、折返銘の太刀や、応永九年紀を伴う脇指・太刀、平三角造の大身槍などが挙げられ、いずれも有銘作の少ない同工にあって貴重な基準作とされる。伝来の上では大磨上無銘ながら所伝を首肯すべき太刀もあり、「新版日本刀講座」や光山押形に所載を見る作も含まれる。応永の年紀を備えた作は室町期における景長の作風を研究するうえで資料的価値が高く、鎌倉末期に遡る古い遺例とともに、因幡の地に長く続いたこの系を知る手がかりとして位置づけられている。 詳しく見る →
鎌倉時代
後世のほとんどの権威が、鎌倉を日本刀の黄金時代と呼ぶ。最初の武家政権が注文主となり、諸伝統が同時に最盛期を迎え、伝えでは諸国の名工が後鳥羽上皇の御所に月番で伺候した。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,307口(約203口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト商品に欠陥がある場合をのぞき、基本的には返品には応じません。当店不手際の場合、商品到着後3日間以内にメールにてご連絡をお願い致します。
商品番号:20250503-001 第十九回重要刀剣 太刀 無銘 因州景長 白鞘 鑑定書:重要刀剣証明書 時代:鎌倉時代 寸法 長さ:74.8cm 反り:2.7cm 元重:6.8 mm 元幅:28.2mm 先重:4.5 mm 先幅:17.2mm 南北朝時代に因幡国(鳥取県)で活躍した因州景長の重要刀剣指定作品。 因州景長は山城国粟田口吉正の弟子と伝え、通称を因幡小鍛冶と言い、鎌倉時代末期から室町時代に至るまで名跡が受け継がれている。その作風は直刃を得意とし、やや地鉄に白けごころがあるのを見どころという。
僅かに磨上げながら、殆んど生ぶ茎の様相を残し、 因州景長の作と伝えている。 因州の景長は元来、 山城国粟田口派の流れを汲むもので、因幡小鍛冶と称し、鎌倉の末頃から同名、室町時代に及 んでいる。 その作風は山城伝の直刃を得意として、やや地がねの弱い所に見どころがある。この太刀は無銘ながら、 鎌倉末期 の作で時代も古く地刃の出来がよい。


僅かに磨上げながら、殆んど生ぶ茎の様相を残し、 因州景長の作と伝えている。 因州の景長は元来、 山城国粟田口派の流れを汲むもので、因幡小鍛冶と称し、鎌倉の末頃から同名、室町時代に及 んでいる。 その作風は山城伝の直刃を得意として、やや地がねの弱い所に見どころがある。この太刀は無銘ながら、 鎌倉末期 の作で時代も古く地刃の出来がよい。
脇物 · 因幡 · 1288-1293頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位10%
因州景長は、山城国粟田口吉正の門人と伝えられ、因幡小鍛冶と称される。鎌倉時代末期から室町時代にかけて同銘が続き、年紀のあるものは僅少で、応永の年紀のあるものが数口にとどまる。銘振りによって時代を判定するのは至難とされる。
景長の作風は、山城伝の直刃を得意とし、地鉄は板目肌が流れごころとなり、大肌交じりとなる作もある。刃文は細直刃を焼き、匂口締まりごころに小沸つき、細かにほつれて打ちのけがかかる。帽子は直ぐに先尖って返る、もしくは丸く返る。姿は細身で腰反りがあり、華表反りの高い太刀姿を示すものもある。鑑定上の要点としては、太刀の場合、棟に寄って銘を切るのが通例であるにもかかわらず、茎中央に銘を切る作があること、また、地鉄の弱さが見どころとして挙げられる。
景長の作は、鎌倉中期から末期にかけてのものが最も古く、多くはそれ以後の作である。「姿・地刃の作風が頗る古調」[[c:1]]であるものや、「地刃の出来がよい」[[c:2]]ものが評価される。伝統的な作風は京風の直刃にあり、後代の作には乱れ刃も見られる。現存する作は稀少であり、特に初代景長の作と考えられるものは貴重である。
景長の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
脇物 · 因幡
因州景長は因幡国に興った刀工の系で、通称を因幡小鍛冶(因州小鍛冶)といい、説示はその初代を山城国粟田口吉正の弟子と伝える。来国俊の門人とする一説や、藤四郎吉光の門とする所伝もあり、いずれも山城伝の流れを汲むものとして語られている。初代の時代は嘉元頃と伝え、建長頃を初代とし二代を建武とする銘鑑の記載もあって、鎌倉時代末期より室町時代にかけて同名数工が相継いで景長を名乗った。説示が扱う作はこの初代の鎌倉最末期と目されるものから南北朝期、室町初期に及び、応永九年の年紀を有する太刀や脇指、大身槍を含む。現存する有銘作は太刀・短刀ともに極めて稀で、応永年紀の遺例も数口を見るにとどまり、槍に至っては他にほとんど類を見ない。銘には「因州住景長」の五字銘を主とし、なかには「千二浦住」「千二原住」と冠した珍しい例も伝わる。 作風は山城伝の直刃を本領とし、説示が繰り返し記すところでは、鍛えは板目肌に流れ肌を交え、刃寄りが流れて柾がかり、地沸が細かにつき、白けごころ(白気)をおびて映りの立つものがある。地鉄はやや弱いと評され、地斑映りが看取される一口は備前の雲類を思わせるとも記される。刃文は細直刃を得意とし、小沸がつき、ほつれ・打のけ・二重刃ごころ・喰違刃を交え、小足や逆足が入り、匂口は締まりまた沈みごころとなる。帽子は直ぐに小丸あるいは丸く返り、先を掃きかけ、尖るものもある。室町期に入ると伝統的な直刃のほかにのたれや互の目乱れの刃文も現れ、備前景光に手がかりを得たと思われる互の目を焼いた短刀もあって、作域に広がりを見せる。直刃に丸い帽子の調子は大和手搔を思わせる出来とも評される。見分けの要としては、佩表棟寄りに五字銘を切るのが掟であり、茎中央に銘を切る例外は注目される点として記される。 鑑定にあたっては、同名数代にわたって銘振りが続くため銘によって時代を判ずるのは至難とされ、説示は姿と地刃の古調の度合いによって制作期を測る。古調なものは鎌倉最末期、地斑映りを伴うものは南北朝期、匂口締まりのたれや互の目を交えるものは室町期と鑑せられている。代表的な遺品としては、折返銘の太刀や、応永九年紀を伴う脇指・太刀、平三角造の大身槍などが挙げられ、いずれも有銘作の少ない同工にあって貴重な基準作とされる。伝来の上では大磨上無銘ながら所伝を首肯すべき太刀もあり、「新版日本刀講座」や光山押形に所載を見る作も含まれる。応永の年紀を備えた作は室町期における景長の作風を研究するうえで資料的価値が高く、鎌倉末期に遡る古い遺例とともに、因幡の地に長く続いたこの系を知る手がかりとして位置づけられている。 詳しく見る →
鎌倉時代
後世のほとんどの権威が、鎌倉を日本刀の黄金時代と呼ぶ。最初の武家政権が注文主となり、諸伝統が同時に最盛期を迎え、伝えでは諸国の名工が後鳥羽上皇の御所に月番で伺候した。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,307口(約203口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト商品に欠陥がある場合をのぞき、基本的には返品には応じません。当店不手際の場合、商品到着後3日間以内にメールにてご連絡をお願い致します。