保存刀剣鑑定書付 銘:長州住藤原清重 【解説】 本刀は「長州住藤原清重」と銘がある一振りです。長州は長門国(現在の山口県)の別称であり、「長州住」とは作者が当時その地に居住し作刀したことを示しています。清重の名は、江戸時代前期から後期(17世紀後半〜19世紀半ば)にかけて長州で代々受け継がれました。日本美術刀剣保存協会(日美刀協)の鑑定によれば、本作は江戸時代前期に活躍した清重の手によるものとされています。この時期の清重には、長門国阿武郡萩住長谷川八左衛門尉清重(初代長谷川八左衛門清重)、およびその子である二代目八左衛門清重が含まれます。 初代長谷川八左衛門清重は本名を長谷川勘兵衛といい、鎌倉時代中期から室町時代後期にかけて栄え、江戸時代まで続いた名門「二王(におう)」派の末流にあたります。二王派は周防国(現在の山口県)において二王太郎清綱を始祖として興りました。現存する最古の遺例は文永二年(1265年)の銘がある太刀で、現在は広島の厳島神社に奉納されています。二王派の鍛冶は、始祖の名から「清」の一字を継承する習わしがあり、清房や清長といった名が知られています。長谷川八左衛門清重もまた、この伝統を汲む同派の有力な刀工でした。 江戸時代初期、二王派が衰退の兆しを見せる中、初代清重は寛永年間(17世紀前半〜半ば)に備前国から長州萩へと移住し、長州藩主・毛利家の御抱え鍛冶となりました。御抱え鍛冶とは、特定の藩や一族のために専属で作刀を行う名誉ある職分です。二代目清重も萩に住し、後に長州阿武郡須佐へ移って長州藩家老・益田家の御抱え鍛冶を務めました。 清重の一族は江戸時代を通じて長州藩の鍛冶棟梁としての地位を保ったと伝えられています。また、幕末三名匠の一人に数えられる源清磨が天保年間に長州萩へ滞在した際、当時の清重が棟梁として彼を支えたという記録も残っています。これらの史実からも、清重家がいかに高い技術を有し、重用されていたかが伺えます。 本作は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により「保存刀剣」として鑑定されています。この鑑定書は、保存状態が良く、美術品としての価値が高い真筆の日本刀にのみ与えられるものです。 ※棟(むね)に数箇所の鍛え傷が見受けられます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身】 長さ(長狭):71.6 cm 反り:1.5 cm 刃文:焼入れによって刃先に現れる結晶構造 地紋(地肌):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様 切先:刀身の先端部分 茎(なかご):刀身の柄に収まる部分。日本刀の茎には、赤錆を防ぐために意図的に黒錆(酸化皮膜)が残されます。この茎の錆色や朽ち込み具合は、専門家が制作年代を推定する際の重要な指標となります。 拵:日本刀の外装。鞘や柄などの諸工作で構成されます。

























長門 · 1688-1704頃
現在3点販売中
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.
保存刀剣鑑定書付 銘:長州住藤原清重 【解説】 本刀は「長州住藤原清重」と銘がある一振りです。長州は長門国(現在の山口県)の別称であり、「長州住」とは作者が当時その地に居住し作刀したことを示しています。清重の名は、江戸時代前期から後期(17世紀後半〜19世紀半ば)にかけて長州で代々受け継がれました。日本美術刀剣保存協会(日美刀協)の鑑定によれば、本作は江戸時代前期に活躍した清重の手によるものとされています。この時期の清重には、長門国阿武郡萩住長谷川八左衛門尉清重(初代長谷川八左衛門清重)、およびその子である二代目八左衛門清重が含まれます。 初代長谷川八左衛門清重は本名を長谷川勘兵衛といい、鎌倉時代中期から室町時代後期にかけて栄え、江戸時代まで続いた名門「二王(におう)」派の末流にあたります。二王派は周防国(現在の山口県)において二王太郎清綱を始祖として興りました。現存する最古の遺例は文永二年(1265年)の銘がある太刀で、現在は広島の厳島神社に奉納されています。二王派の鍛冶は、始祖の名から「清」の一字を継承する習わしがあり、清房や清長といった名が知られています。長谷川八左衛門清重もまた、この伝統を汲む同派の有力な刀工でした。 江戸時代初期、二王派が衰退の兆しを見せる中、初代清重は寛永年間(17世紀前半〜半ば)に備前国から長州萩へと移住し、長州藩主・毛利家の御抱え鍛冶となりました。御抱え鍛冶とは、特定の藩や一族のために専属で作刀を行う名誉ある職分です。二代目清重も萩に住し、後に長州阿武郡須佐へ移って長州藩家老・益田家の御抱え鍛冶を務めました。 清重の一族は江戸時代を通じて長州藩の鍛冶棟梁としての地位を保ったと伝えられています。また、幕末三名匠の一人に数えられる源清磨が天保年間に長州萩へ滞在した際、当時の清重が棟梁として彼を支えたという記録も残っています。これらの史実からも、清重家がいかに高い技術を有し、重用されていたかが伺えます。 本作は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により「保存刀剣」として鑑定されています。この鑑定書は、保存状態が良く、美術品としての価値が高い真筆の日本刀にのみ与えられるものです。 ※棟(むね)に数箇所の鍛え傷が見受けられます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身】 長さ(長狭):71.6 cm 反り:1.5 cm 刃文:焼入れによって刃先に現れる結晶構造 地紋(地肌):折り返し鍛錬によって現れる鋼の表面模様 切先:刀身の先端部分 茎(なかご):刀身の柄に収まる部分。日本刀の茎には、赤錆を防ぐために意図的に黒錆(酸化皮膜)が残されます。この茎の錆色や朽ち込み具合は、専門家が制作年代を推定する際の重要な指標となります。 拵:日本刀の外装。鞘や柄などの諸工作で構成されます。

























長門 · 1688-1704頃
現在3点販売中
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.