後藤即乗 小柄 日本美術刀剣保存協会(NBTHK)特別保存刀剣鑑定書附 後藤家八代当主、即乗による稀少な小柄です。 即乗は慶長五年(1600年)、六代栄乗の次男として生まれました。栄乗の弟である七代顕乗は、即乗の叔父にあたります。 元和三年、栄乗が四十一歳の若さで急逝した際、即乗は弱冠十八歳でした。宗家当主としての重責を担うにはあまりに若く、経験も不足していたことから、家督継承は困難な局面に立たされます。京都・柳原を本拠とし、江戸への参府も伴う宗家の広範な職務を遂行するため、叔父の顕乗が後見人となり、即乗が成長するまでその指導にあたりました。 十七世紀初頭、江戸は幕府による都市建設の途上にあり、諸工芸や文化をこの新都へ移転させる動きが加速していました。元和九年(1623年)、二代将軍秀忠は家光に将軍職を譲り大御所となりますが、三代家光は京都の優れた技術や文化を江戸へ集約し、経済の活性化と理想的な大都市の構築を推し進めました。 家光の治世下では参勤交代が制度化され、諸大名は江戸に屋敷を構えて一年おきに在府し、帰国中も家族を江戸に留めることが義務付けられました。 後藤家は単なる独立した職人集団ではなく、幕府に仕える武士階級の一員であり、初期の当主たちは戦場においてもその忠義を果たしてきた歴史を有しています。
Certificate reading — 銘 紋即乗 光美(花押)





後藤派
江戸
在銘
特別保存 (NBTHK)
家彫 · 山城
現在317点販売中
後藤派は、室町時代中期に初代祐乗が将軍足利義政に仕えて創始した彫金の宗家であり、「日本彫物の元祖」と仰がれ、「古今独歩の鏨師」と賞賛される祐乗を祖として十五代にわたり嫡流の技を継承した。祐乗の作品は東山御物として数多く取り上げられ、後世に名を残した名工は挙って後藤家の祐乗に範をとっている。四代光乗・五代徳乗は織田信長、次いで豊臣秀吉に仕え、大判・分銅・彫物の三役を担い、桃山時代の豪華美を格調高く表示した。幕末には一乗が「後藤家の掉尾を飾る名工」として家風を大成し、門下の荒木東明・中川一勝らが一派の技を継承した。 後藤派の作域は三所物・縁頭・鐔・揃金具と多岐にわたり、赤銅魚子地を基調とした高彫金色絵を家風の根幹とする。金紋裏哺金仕立の小柄笄、金無垢地容彫の目貫など、素材と技法の選択に一貫した格式が認められる。三代乗真は「大振りで力強く、量感の豊かな彫技」[[c:1]]を特徴とし、紋の肉取りが豊かで鏨使いが手強く、赤銅の色相も漆黒で麗わしい。桃山期の作には鋤出高彫に金・銀・素銅の象嵌色絵を駆使した豪華絢爛の大名道具が見られ、近世には四分一磨地や朧銀地に甲鋤毛彫・平象嵌を組み合わせた多彩な表現も展開された。龍・獅子・鶏・犀・鯰といった動物意匠から、松竹梅・桐紋・粟穂・四季草花に至るまで画題は広範であり、各代が武家好みの吉祥意匠を格調高く仕上げている。 後藤派に帰せられる作品には「気品があって格調が高く」[[c:2]]「力漲る」と評される一貫した品格が通底する。歴代の折紙制度によって初代祐乗以来の作が厳格に鑑定・伝承され、「家彫の誇りは確実に後代に伝わっている」[[c:3]]と繰り返し認められる。後藤流に熟達した門弟の作が「後藤家御家彫と見紛うまでの出来」[[c:4]]と称されることからも、その規範性の高さが窺える。日本金工史において、後藤派は赤銅魚子地高彫金色絵という技法体系を確立し、室町から明治に至る四百余年の間、彫金の最高規範として君臨した一門である。 詳しく見る →
保存刀装具のうち、出来・保存状態が一層優れ、銘文や作風に資料的価値の高いものと認められたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト後藤即乗 小柄 日本美術刀剣保存協会(NBTHK)特別保存刀剣鑑定書附 後藤家八代当主、即乗による稀少な小柄です。 即乗は慶長五年(1600年)、六代栄乗の次男として生まれました。栄乗の弟である七代顕乗は、即乗の叔父にあたります。 元和三年、栄乗が四十一歳の若さで急逝した際、即乗は弱冠十八歳でした。宗家当主としての重責を担うにはあまりに若く、経験も不足していたことから、家督継承は困難な局面に立たされます。京都・柳原を本拠とし、江戸への参府も伴う宗家の広範な職務を遂行するため、叔父の顕乗が後見人となり、即乗が成長するまでその指導にあたりました。 十七世紀初頭、江戸は幕府による都市建設の途上にあり、諸工芸や文化をこの新都へ移転させる動きが加速していました。元和九年(1623年)、二代将軍秀忠は家光に将軍職を譲り大御所となりますが、三代家光は京都の優れた技術や文化を江戸へ集約し、経済の活性化と理想的な大都市の構築を推し進めました。 家光の治世下では参勤交代が制度化され、諸大名は江戸に屋敷を構えて一年おきに在府し、帰国中も家族を江戸に留めることが義務付けられました。 後藤家は単なる独立した職人集団ではなく、幕府に仕える武士階級の一員であり、初期の当主たちは戦場においてもその忠義を果たしてきた歴史を有しています。
Certificate reading — 銘 紋即乗 光美(花押)





後藤派
江戸
在銘
特別保存 (NBTHK)
家彫 · 山城
現在317点販売中
後藤派は、室町時代中期に初代祐乗が将軍足利義政に仕えて創始した彫金の宗家であり、「日本彫物の元祖」と仰がれ、「古今独歩の鏨師」と賞賛される祐乗を祖として十五代にわたり嫡流の技を継承した。祐乗の作品は東山御物として数多く取り上げられ、後世に名を残した名工は挙って後藤家の祐乗に範をとっている。四代光乗・五代徳乗は織田信長、次いで豊臣秀吉に仕え、大判・分銅・彫物の三役を担い、桃山時代の豪華美を格調高く表示した。幕末には一乗が「後藤家の掉尾を飾る名工」として家風を大成し、門下の荒木東明・中川一勝らが一派の技を継承した。 後藤派の作域は三所物・縁頭・鐔・揃金具と多岐にわたり、赤銅魚子地を基調とした高彫金色絵を家風の根幹とする。金紋裏哺金仕立の小柄笄、金無垢地容彫の目貫など、素材と技法の選択に一貫した格式が認められる。三代乗真は「大振りで力強く、量感の豊かな彫技」[[c:1]]を特徴とし、紋の肉取りが豊かで鏨使いが手強く、赤銅の色相も漆黒で麗わしい。桃山期の作には鋤出高彫に金・銀・素銅の象嵌色絵を駆使した豪華絢爛の大名道具が見られ、近世には四分一磨地や朧銀地に甲鋤毛彫・平象嵌を組み合わせた多彩な表現も展開された。龍・獅子・鶏・犀・鯰といった動物意匠から、松竹梅・桐紋・粟穂・四季草花に至るまで画題は広範であり、各代が武家好みの吉祥意匠を格調高く仕上げている。 後藤派に帰せられる作品には「気品があって格調が高く」[[c:2]]「力漲る」と評される一貫した品格が通底する。歴代の折紙制度によって初代祐乗以来の作が厳格に鑑定・伝承され、「家彫の誇りは確実に後代に伝わっている」[[c:3]]と繰り返し認められる。後藤流に熟達した門弟の作が「後藤家御家彫と見紛うまでの出来」[[c:4]]と称されることからも、その規範性の高さが窺える。日本金工史において、後藤派は赤銅魚子地高彫金色絵という技法体系を確立し、室町から明治に至る四百余年の間、彫金の最高規範として君臨した一門である。 詳しく見る →
保存刀装具のうち、出来・保存状態が一層優れ、銘文や作風に資料的価値の高いものと認められたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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