
Chikuzen Koretsugu Katana with Nagahisa 2 Body Gold Test
価格はお問い合わせ
世界81社の刀剣商を横断追跡 · 価格履歴 · 売却アーカイブ
Meireki (1655-1658)
仕様
68.8 cm
作者について
Fukuoka Ishido Koretsugu是次
是次は寛永五年(一六二八)に生まれ、天和元年(一六八一)三月に五十三歳で歿した。筑前黒田家の藩工で、明暦元年(一六五五)藩公の命により江戸に上り、石堂系の武蔵大掾左近是一に備前伝を学び、三年後に帰福した。従弟の守次とともに、説明書が福岡石堂を代表する上手とする。福岡石堂は、説明書が筑前信国一派と並べて筑前新刀の双璧とする一派である。通称を半三兵衛または一平と称し、嫡男利次が父に先んじて歿したため、守次が嫡流を相続した。本工の手は復興の手である。鎌倉福岡一文字の華やかな丁子を、二百五十年を隔てて新刀の鉄に蘇らせたもので、説明書はまさにこの点を最も得意としたとし、「最も一文字風の丁子刃を得意とし極めて上手」と記す。 典型の刃は、焼幅広く処々鎬にかかるほど高く焼いた丁子乱れで、丁子の頭に互の目・小互の目・尖りごころの刃を交え、足・葉よく入って華やかに多様に乱れる。匂勝ちに小沸つき、細かに砂流しかかり、匂口明るく冴える。従弟との最上作では頭が締まり傾いて、丁子が逆がかる傾向をあらわす。これを説明書は一派特有の見どころとし、独得の袋丁子の形をなして「袋丁子の形に特色」があるとする。いま一つの見どころは刃中にある。説明書が「烏賊の頭」と称する独特の刃で、焼幅が最も広く鎬に迫る処に現れ、同工・同派を示す見どころとされる。 地鉄は、復興作を本歌の鎌倉と分かつ地である。よくつんだ板目・小板目が下半強く流れてほとんど柾となり、地沸微塵につき、地景細かに入り、直ぐ状の映り、あるいは乱れ映りが立つ。この柾がかる地鉄こそ是一に直に学んだところで、説明書はこれを、小沸のつく締まった匂口と砂流しとともに、真の古作と区別する第一の点とし、その作には「映りけは少い」と記す。帽子は刃に応じ、焼深く乱れ込んで小丸となり、先掃きかける。姿は寛文新刀の体配で、鎬造・三ツ棟、身幅やや広く元先の幅差つき、重ね厚く、多くは反り浅い。 その現存作は別々の時代ではなく、一つの復興の手を出来の幅で見るものであり、その幅を説明書自身が描く。年紀のある幾口かは一派の型から外れると記される。福岡石堂は一般に丁子が逆がかるが、これらの作にその傾向は顕著でなく、やや趣を異にするとする。まさにそうした作では、逆がかる丁子ではなく、柾がかって映りの立つ地、鎬に迫る広い焼幅、深い帽子、「烏賊の頭」をもって同工と確かめられる。作は一様に在銘で、認められる七口はいずれも独特な書体の長銘を太鏨で指表に切り、幾口かは年紀を加え、一口は寛文十一年の金象嵌年紀を持つ。かくして新刀期の工が、極めではなく自らの銘から読まれる。最も大きいのは寛文六年の奉納刀で、身幅一際広く長寸に反り深く、説明書は大作にもかかわらず破綻のない典型作とする。 一派における位置は、借り物の比較ではなく従弟との対比によって定まる。守次が同じ寛文新刀期に反りの深いものを多く作るのに対し、是次は反対に反りの浅い寛文の造込みを多く作る。説明書がこれを特に挙げ、「反りの浅い造込みのものが多い」と記す。師の是一、すなわち江戸石堂の武蔵大掾は、復興全体を鎌倉一文字から分かつ柾の地鉄と逆がかる丁子を本工に授けた。真の古作に対しては、細かな柾と小沸のつく締まった匂口と砂流しによって分かたれ、華やかな大坂石堂に対しては、筑前の地と深く焼いた帽子を保つ。説明書はその最上作を一派の代表作とし「同作中の傑作の一口」とし、ある作を「筑前石堂の典型作」とする。 収集の観点では、是次は指定品の名というより重要刀剣級の新刀の名である。国宝はなく、重要文化財もない。その記録はすべて重要刀剣の級を通じ、在銘七口が第十三回から第五十回に至る回の審査を通っている。現存の記録に来歴は乏しく、その作に確かめうる美術館や大名家はないが、寛文九年紀の一口は讃岐香西氏の一族の注文打で、香西氏は南北朝以来細川氏の被官であり、黒変り塗鞘の打刀拵を伴って残る。拵の金具は柳川直明に極められる。現存例がことごとく在銘でその多くが旧蔵であるため、是次が世に出るのは時折のことであり、しかも大振りの奉納刀よりは反りの浅い寛文作が中心である。世に出れば、それは状態のよい自証の新刀一文字復興であり、説明書のいう「是次の本領が遺憾無く発揮された一口」であって、寛文の世に福岡の丁子がいかに焼き直されたかを語る明らかな窓である。

