説明

番号:25818 刀:白鞘入り(第39回重要刀剣指定品) 銘文:河内守藤原国助(初代) 当社では刀剣の出来映えにより、最上作、上々作、上作、普通作に分類しております。 本作は河内守国助(初代)の作品の中でも、最上作にランクされる名品です。 ハバキ:金着二重ハバキ 長さ:2尺4寸9分4厘(75.6cm) 反り:6分5厘(2.0cm) 目釘穴:1個 元幅:3.1cm 先幅:2.1cm 重量:770g 時代:江戸時代初期 寛永頃(1624-1644年) 体配:身幅広く、反りの深い堂々とした姿。 地鉄:小板目肌よく詰み、区(まち)寄りに映りが現れる。 刃文:沸出来、互の目乱れに足が入り、刃先が尖る。帽子は一枚風となる。 特徴: 河内守藤原国助は伊勢の出身で、堀川国広の門下に入りました。師の没後、同門の初代国貞と共に大坂へ移住します。その作風から、実質的な師は兄弟子にあたる越後守国儔(くにとも)であったと推測されます。 細かな沸のついた地鉄は精緻で美しく、沸の深い刃文は穏やかで品格のある趣を湛えています。 初代国助の作品は現存数が少なく、本作はその中でも極めて優れた出来映えを誇ります。 自信を持ってお勧めできる、まさに珠玉の一振りです。 日本美術刀剣保存協会 第39回重要刀剣指定 葵美術正真鑑定書 全身押形 価格:4,200,000円 注文フォーム 関連商品: 刀:河内守国助(二代)(日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣) 刀:河内守国助(初代)(日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣) 刀:河内守国助(二代・中河内)(日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣) 刀:越前守源助広(日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣) 刀:越前守源助広(日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣) 刀:伊賀守藤原金道(第26回日本美術刀剣保存協会 特別重要刀剣)

Katana: Kawachi Kami Fujiwara Kunisuke (NBTHK the 39th Juyo Token)
売切れ
Jūyō売切れ

Katana: Kawachi Kami Fujiwara Kunisuke (NBTHK the 39th Juyo Token)

売却済

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仕様

長さ

75.6 cm

反り

2 cm

元幅

3.1 cm

先幅

2.1 cm

作者について

Horikawa Kunisuke國助

1 重要美術品1 御物47 重要刀剣

河内守国助は二つの手で担われた大坂新刀の名跡であり、説明書はその両者を慎重に分かつ。初代は京に上って堀川国広の門に末弟子として入り、慶長十九年に国広が歿すると、親国貞こと和泉守国貞とともに大坂へ移り、両者は大坂新刀の開拓者となった。伝に伊勢国神戸の出にして石堂の流れを汲み、説明書はその出自を彼の手の鍵とする。国広門下にあって彼こそ「最も丁子を得意とし」、その乱れのどこかには必ず丁子が表われるという。諸書はまた、作風と銘振りからして、実際上の師が国広というより兄弟子の越後守国儔であったと判ずる。 その典型は身幅尋常・反り浅く中鋒の鎬造の刀で、小板目よくつみ地沸厚くつく。区上の直ぐの焼出しより起こして、丁子に互の目・小のたれを交えた乱れを焼き、匂深く小沸よくつき、足・葉入り、砂流し・金筋かかり、帽子は直ぐに小丸となる。乱れの中に丁子の目立つところこそ極めの要で、他の堀川の作なら名を得ずに過ぎようとも、堀川一門中では目立つ丁子こそ国助と鑑せられる見どころだと説明書は記す。その作風はともに南下した親国貞に極めて類似し、両者は一つの大坂の始まりの相伴侶として読まれる。 地鉄こそ第二の面が名のるところである。彼の作の少なからず、殊に脇指において、板目が立ってザングリとなり、師国広の派のゆるやかな地を大坂へ伝えたもので、地沸厚く地景入る。その地に小のたれを基調に互の目を交えた刃を焼き、刃中小沸深く、砂流しよくかかり金筋入り、処々棟焼を交える。ある片切刃の脇指を説明書は「堀川色の濃い作風」と読み、立ってザングリとした肌と沸づいた小のたれを、彼が学んだものの上手な証とする。薙刀樋に添樋を添え、最上手には護摩箸の彫物がこの手を伴う。これは生まれ持った石堂の丁子をついぞ手放さなかった堀川の弟子の手である。 二代は初代の子にして世に中河内と称され、もう一方へ転ずる。よく詰んで美しい小板目を鍛え、自らの拳形丁子を主調とした華やかな丁子を焼き、互の目を交えて単調に陥らず、しばしば長い直ぐの焼出しより起こし、匂口締って明るく冴え、帽子は直ぐに小丸となる。説明書はこれを「石堂家本来の丁子を焼いて」とし、父の堀川風は殆ど見られぬとする。その得意とするところは「拳形の丁子乱れにあり、地がねはよく整って美しい」と評され、その作は当時「新刀一文字と賞された」。説明書はまた率直に、中には富士・玉などを焼いて技巧に走りすぎたるものもあると記す。 この名跡を両隣から分かつのは、まさに極めの言うところである。華やかな濤瀾を焼いた津田一門に対し、中河内は石堂本来の丁子の一方の旗頭であり、よく整った地に焼く明るい拳形丁子がその濤瀾への対となる。初代は逆に、丁子をもって自門の内に分かたれる。乱れのうちに石堂由来の古丁子を宿す唯一の堀川の弟子である。かくして父子は名跡を両側から閉じる。初代は石堂の丁子を保った堀川の手、二代は堀川の手を置いた石堂の手である。 収集の観点では、河内守国助は大坂新刀有数の名跡で、藤代の極めは上々作である。国宝はなく、重要文化財もない。その記録は重要刀剣を通じ、両代あわせて四十八口に及び、うち一刀は戦前の重要美術品に伝わる。説明書は初代の最上の在銘刀を「同作中の傑出の一」と称える。来歴の知られるものは僅かで、板倉家と皇室がその作の所持に名を列ね、他は所在の知られぬ私蔵にある。初代の現存作は比較的少なく殊に刀は少ないが、中河内の作はやや多く残る。市に出るのは折々のことであり、両代いずれの優品も、大坂新刀を集める者が手にして心満たされる一口である。

刀剣商

葵美術

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