説明

(銘)萩谷勝平(金印) 景勝文字尽図鐔 特別保存刀装具 地鉄は鉄の磨地、形は木瓜形で打ち返しの耳であり、図は表に”立図楓 住吉松” 裏には”東海旭 富士雪 芳野桜”とシンプルながらしっかりとした彫、字体は強弱をはっきりとさせて、独特な書体となっております。意味合いは文字が散らされており、和歌の風景を思い起こさせるものではないかと感じられます。 萩谷勝平は江戸後期から明治にかけて水戸金工の大家である。文化元年に生まれ、水戸藩の御用彫物師となり、多くの弟子を輩出。高彫工法で和漢の人物、動植物図などを彫る。明治19年に死去。号は生涼軒、銘は萩谷勝平(花押)、生涼軒萩谷勝平(花押),水府住萩谷勝平(花押)等。 縦×横:8.4cm×7.8cm厚さ:0.9cm Metal Smith: Hagiya, Kappei (Mito metal school)Design: Filling Chinese lettersPaper: Tokubetsu Hozon (Issued by NBTHK)Depth×Width:8.4cm×7.8cmThickness:0.9cm

(銘)萩谷勝平(金印) 景勝文字尽図鐔
Tokuho

(銘)萩谷勝平(金印) 景勝文字尽図鐔

¥1,250,000

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作者について

Mito Katsuhira勝平

12 重要刀剣

萩谷勝平は、文化元年に水戸の寺門与重の次男として生まれ、後に萩谷仁兵衛の養子となった。通称を弥介といい、この「弥」の一字を後に門人達に通称として与えている。師は明らかではないが、はじめ実兄の勝房に学んだともいう。天保十五年より藩の御用彫物師となり、幕末の水戸金工群の重鎮として活躍した。多くの子弟を育成し、その門から滑川貞勝・海野勝珉等の名工が輩出している。実子に勝容と勝保の兄弟がいるが、長男の勝容は鈴木家の養子となり、家督は次男の勝保が継承した。生涼軒と号し、明治十九年に八十三歳で没した。 勝平の作風は、鉄、四分一、赤銅などの素材を用い、高彫、象嵌、色絵といった技法を駆使したものが多く見られる。特に鉄磨地を高彫色絵で仕上げた作や、赤銅魚子地に高彫を施した作例が知られる。画題は、蟻通宮、頼朝放生会、雨龍、藤花牡丹など、故事や物語、吉祥文様などを題材としたものが多く、その意匠は緻密で力強い彫技、鮮やかな色絵によって洗練された趣を見せる。また、横谷派の宗珉に範を求めた作風も見られ、獅子の姿態などにその影響が認められる。 勝平の作品は、「力強く的確な鏨使い」や「入念な彫技」によって、その技量の高さが評価されている。特に高彫象嵌色絵の技法は勝平の最も得意とするものであり、「質感のある高彫」や「多種の色金象嵌も的確かつ入念に施され、見事な出来映え」と評される。幕末の水戸金工を代表する工人の一人として、その作品は「勝平の技量が遺憾なく発揮された優品」とされ、現在も高く評価されている。

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杉江美術店

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