二世紀半の泰平のあいだ、刀は武器である以上に武士の身分の標章であった。江戸の実証と大坂の華やぎのように都市ごとの作風が育ち、時代の末には需要も細っていく。
相模守政常(1535〜1619年)は、尾張政常家の一代目です。もとは美濃の出身で、後に尾張へと移住したため、その作風には美濃伝の特色が色濃く表れています。美濃在住時の銘は兼常でしたが、尾張藩主・福島正則より「正」の一字を賜り、政常と改名しました。慶長12年(1607年)に一度隠居し、その名を息子(二代)に譲りましたが、二代が早世したため初代が再承。復帰後の銘には、仏門に入ったことを示す「入道」の二字が添えられています。政常の作品には重要美術品に指定された刀や脇差があり、重要刀剣にも数多く指定されるなど、その腕前は高く評価されています。 本作は、当方がこれまで扱ってきた中でも屈指の出来映えを誇る長刀(長巻)です。出来が極めて優れているだけでなく、その造り込みも非常に珍しく、片面が鎬造り、もう片面が片切刃造りとなっております。掲載写真をぜひ詳細までご覧ください。肌は精緻に詰み、地沸が厚くつきます。刃文は落ち着いた気品ある直刃を焼き、刃中には働きが豊富です。また、深く彫り込まれた彫物が本作の個性をより一層引き立てています。日本美術刀剣保存協会(NBTHK)の鑑定書が付属しており、その品質と真作であることが保証されています。 鑑定書 第3796431号 長刀 銘:相模守藤原政常 長さ:1尺6寸4分 右は当協会において審査の結果、保存刀剣に指定する。 平成22年3月19日 公益財団法人 日本美術刀剣保存協会 銘:相模守藤原政常 時代:古刀(慶長前後) 長さ:49.7cm 反り:18.0mm 元幅:28.7mm 元重:7.5mm 形状:長刀造(片切刃) 棟:庵棟 茎:生茎 鍛え:小板目肌に、流れごころの肌交じる 刃文:直刃 帽子:丸く返る 状態:研ぎ上がり 最新情報をご希望の方はこちら 当店のメーリングリストに登録して、最新の入荷情報やニュースを受け取りませんか。 【登録する】 ご登録ありがとうございます。 お客様のメールアドレスは厳重に管理され、当サイトからの更新情報の送信以外には使用いたしません。




Owari Masatsune (Mino-derived Owari shinto; retained by the Owari Tokugawa) · 尾張 · 1615-1624頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位23%
現在4点販売中
政常は美濃国納土に生まれ、初め兼常と銘した関の伝統の工で、その美濃の根を尾張の新しい刀へと運んだ。説明書はその経歴を異例なほど詳しく追う。永禄十年に分家独立して小牧村に移り、その頃に名も政常と改め、天正十九年に相模守を受領し、慶長五年に松平忠吉に従って清洲に移り、尾張徳川家の抱え工となった。慶長十二年に入道隠居してその子に相模守政常の名を継がせたが、その二年後に二代が急逝したので再び鍛刀に復し、爾来政常入道と銘した。元和五年、八十四歳で歿している。後世には伯耆守信高・飛騨守氏房と並んで、尾張新刀を興した三工、尾張三作に数えられた。
その典型は平造の短刀・脇指の明るい直刃で、現存作の最も多い形である。小板目に杢を交えてよくつんだ鍛えに、地鉄は流れて柾がかり地沸厚くつき、細かに地景入り、数口では区下より斜めに水影風が立つ。刃文は中直刃、時に広直刃を小沸出来に焼いて小互の目を交え、小足入る。整った関の直刃と本工の手を分かつのは、働きのある刃縁である。すなわち刃縁はほつれて二重刃・喰違刃・打のけを交え、細かに砂流しかかって匂口は明るい。説明書はある短刀を全くの典型と評し、「相模守政常の典型的な直刃の作例」[[c:1]]とする。
地鉄はその二つの手の底に変わらずある。総体に柾がかった板目に地沸つき、上手の短刀では地景が目立って地鉄が明るく読まれる。鍛えが小板目に杢を交えてつまれば強さを感じさせ、説明書は区際の斜めの水影と地沸のよくつく点を健全な鍛えの証として挙げる。脇指では肌がやや立ち、上半が棟寄りに流れるものもあり、彼の好む彫物、腰元の素剣あるいは梵字に裏の護摩箸は、すっきりとして刀身によく調和すると評される。
もう一つの作風は尾張関の濡れ刃で、刀・薙刀・槍に運ばれる。総体に流れて柾がかった板目に地沸つき、広直刃調あるいは浅い小のたれ・互の目を主調に尖り刃・小互の目を交え、足・葉入り、沸は時に荒く叢につき、金筋・砂流しを見せ、匂口は沈みごころとなる。説明書はこれを端的に名指す。大振りの慶長姿の刀にこれを読んで「尾張関得意の濡れ刃」[[c:2]]とするのである。薙刀・槍は大振りで堂々とし、帽子は先尖って地蔵風となるものもあり、説明書は彼を「短刀、薙刀の名手として名高い」[[c:3]]としつつ、就中の上々作は少ないと記す。
尾張新刀のうちで彼を分かつのは、まさに極めの言うところである。刃縁のほつれ・明るい匂口・柾流れの地鉄を備えた直刃の手はその短刀を知る常であり、濡れ刃は尾張の他の祖工と共有する美濃から尾張への関の流れを示す。通常の抑えた作柄を離れ、刃取りが大胆で沸がよくつき地鉄に古色のある脇指について、説明書はさらに高きを狙ったかと判じ、「相州上工、就中貞宗や信国あたりを狙ったものであろうか」[[c:4]]と読み、その結果を「同作中出色の一口」[[c:5]]と称える。その家は岐阜大道の子で養子となった二代美濃守藤原政常に続き、その在銘の刀・槍が同じ記録に残る。
収集の観点では、政常は稀な幻ではなく、よく記録された尾張一派の祖である。藤代の極めは上作。国宝はなく重要文化財もなく、その記録は近代の重要刀剣を通じ、特別重要刀剣・重要刀剣の級に十七口、さらに戦前の重要美術品に二口を数え、内には徳川家達旧蔵で現在徳川黎明会の蔵する刀がある。来歴は大名家と宮廷の家に及び、徳川家・宮内庁への伝来が記録され、一口は秋葉山本宮秋葉神社に伝わる。説明書がそろって「刀及び鎬造の脇指は極めて少ない」[[c:6]]とするため、在銘の刀こそ稀少で、政常その人の研究資料として貴重とされる。その平造の短刀・脇指・槍・薙刀は折々収集家の前にあらわれ、二代ではなく彼自身の手になる在銘の尾張政常は、尾張新刀いかに始まったかを語る、満ち足りた、なお手の届く一作である。
政常の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
美濃伝 · 尾張
現在12点販売中
尾張政常は、美濃国納土に生まれた相模守政常を祖とする一系である。政常は初め兼常と銘し、永禄十年に分家独立して小牧村に移り、この頃に名を政常と改めたとみられる。天正十九年五月に相模守を受領し、慶長五年、松平忠吉に従って清洲に移った。清洲では伯耆守信高、飛騨守氏房とともに鍛刀し、後世に尾張三作と称される一人となり、やがて尾張徳川家の抱え工となっている。慶長十二年には入道隠居してその子に相模守政常の名を継がせたが、二代が急逝したため再び現役に復し、以後政常入道と入道銘を用いたといい、元和五年、八十四歳で歿したと伝える。説示が扱う工は、この相模守政常を中心とし、兼常と二字に銘した初期作から、相模守を受領して以後の政常時代、さらに政常入道銘の時期に及ぶ。あわせて、岐阜大道の子で相模守政常の養子となり二代目を継いだ美濃守政常も含まれ、本国美濃の関鍛冶を根に、清洲移住を経て尾張藩の庇護下に展開した一門である。 作風は説示が繰り返し記すところに明瞭である。鍛えは板目に杢を交え、棟寄りに流れて柾がかる傾向を示し、地沸が微塵によくつき、地景がよく入る。区下や区際から水影風の立つ例も認められる。刃文は中直刃を基調とし、処々に小互の目・小丁子を交え、小足・葉が入り、小沸がよくつく。刃縁にはほつれ・二重刃・喰違刃・打のけがあらわれ、金筋・砂流しが細かにかかって匂口は明るい。帽子は直ぐに小丸、あるいは浅くのたれて返り、先を掃きかける。彫物には素剣・護摩箸・梵字・倶梨迦羅などがみられ、刀身によく調和して作を引き締めている。現存する作は平造の脇指・短刀が最も多く、しかも上手であって、刀および鎬造の脇指は極めて少ない。一方で槍・薙刀を得意とし、槍は平三角造の直槍が多く、稀に両鎬造や十文字を見る。見分けの要は、柾がかる地鉄に明るい直刃を主体とする端正な作柄と、刃縁の二重刃・喰違刃や帽子の掃きかけにあり、互の目が箱がかって沸の強まる乱刃の一作風も知られる。 鑑定にあたっては、まず銘の推移を押さえることが肝要である。兼常二字銘は政常受領以前の初期作にあたり、室町後期永禄頃の体配を示すため、同工の作域を知るうえで資料的価値が高い。政常入道銘は二代の急逝後に再び鍛刀した時期のもので、太鏨の長銘や七字銘を指表に切る例が多い。代表的な作には、相州貞宗や信国に範を求めたとみられる乱刃の優品、得意の直刃を端正に焼いた脇指・短刀、笹穂や両鎬の槍、大振りの薙刀があり、藻柄子宗典一作の拵に納められた脇指のように後世まで伝えられた例もある。刀や鎬造脇指の遺例が乏しいことから、これらは政常研究の資料としても重んじられる。尾張三作の一として清洲鍛冶の系譜に位置づけられ、美濃伝を根としながら相州風をも取り入れた点に、桃山から江戸初期の尾張新刀を代表する地位がある。 詳しく見る →
二世紀半の泰平のあいだ、刀は武器である以上に武士の身分の標章であった。江戸の実証と大坂の華やぎのように都市ごとの作風が育ち、時代の末には需要も細っていく。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトWe offer a 48 hour inspection period for all Antique items shipped within the United States only. If the item is not to your satisfaction, we will gladly refund your money less any shipping and handling fees. All sales are final after the 48 hour inspection period. Please note that all discounted items are a final sale and not returnable.
相模守政常(1535〜1619年)は、尾張政常家の一代目です。もとは美濃の出身で、後に尾張へと移住したため、その作風には美濃伝の特色が色濃く表れています。美濃在住時の銘は兼常でしたが、尾張藩主・福島正則より「正」の一字を賜り、政常と改名しました。慶長12年(1607年)に一度隠居し、その名を息子(二代)に譲りましたが、二代が早世したため初代が再承。復帰後の銘には、仏門に入ったことを示す「入道」の二字が添えられています。政常の作品には重要美術品に指定された刀や脇差があり、重要刀剣にも数多く指定されるなど、その腕前は高く評価されています。 本作は、当方がこれまで扱ってきた中でも屈指の出来映えを誇る長刀(長巻)です。出来が極めて優れているだけでなく、その造り込みも非常に珍しく、片面が鎬造り、もう片面が片切刃造りとなっております。掲載写真をぜひ詳細までご覧ください。肌は精緻に詰み、地沸が厚くつきます。刃文は落ち着いた気品ある直刃を焼き、刃中には働きが豊富です。また、深く彫り込まれた彫物が本作の個性をより一層引き立てています。日本美術刀剣保存協会(NBTHK)の鑑定書が付属しており、その品質と真作であることが保証されています。 鑑定書 第3796431号 長刀 銘:相模守藤原政常 長さ:1尺6寸4分 右は当協会において審査の結果、保存刀剣に指定する。 平成22年3月19日 公益財団法人 日本美術刀剣保存協会 銘:相模守藤原政常 時代:古刀(慶長前後) 長さ:49.7cm 反り:18.0mm 元幅:28.7mm 元重:7.5mm 形状:長刀造(片切刃) 棟:庵棟 茎:生茎 鍛え:小板目肌に、流れごころの肌交じる 刃文:直刃 帽子:丸く返る 状態:研ぎ上がり 最新情報をご希望の方はこちら 当店のメーリングリストに登録して、最新の入荷情報やニュースを受け取りませんか。 【登録する】 ご登録ありがとうございます。 お客様のメールアドレスは厳重に管理され、当サイトからの更新情報の送信以外には使用いたしません。




Owari Masatsune (Mino-derived Owari shinto; retained by the Owari Tokugawa) · 尾張 · 1615-1624頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位23%
現在4点販売中
政常は美濃国納土に生まれ、初め兼常と銘した関の伝統の工で、その美濃の根を尾張の新しい刀へと運んだ。説明書はその経歴を異例なほど詳しく追う。永禄十年に分家独立して小牧村に移り、その頃に名も政常と改め、天正十九年に相模守を受領し、慶長五年に松平忠吉に従って清洲に移り、尾張徳川家の抱え工となった。慶長十二年に入道隠居してその子に相模守政常の名を継がせたが、その二年後に二代が急逝したので再び鍛刀に復し、爾来政常入道と銘した。元和五年、八十四歳で歿している。後世には伯耆守信高・飛騨守氏房と並んで、尾張新刀を興した三工、尾張三作に数えられた。
その典型は平造の短刀・脇指の明るい直刃で、現存作の最も多い形である。小板目に杢を交えてよくつんだ鍛えに、地鉄は流れて柾がかり地沸厚くつき、細かに地景入り、数口では区下より斜めに水影風が立つ。刃文は中直刃、時に広直刃を小沸出来に焼いて小互の目を交え、小足入る。整った関の直刃と本工の手を分かつのは、働きのある刃縁である。すなわち刃縁はほつれて二重刃・喰違刃・打のけを交え、細かに砂流しかかって匂口は明るい。説明書はある短刀を全くの典型と評し、「相模守政常の典型的な直刃の作例」[[c:1]]とする。
地鉄はその二つの手の底に変わらずある。総体に柾がかった板目に地沸つき、上手の短刀では地景が目立って地鉄が明るく読まれる。鍛えが小板目に杢を交えてつまれば強さを感じさせ、説明書は区際の斜めの水影と地沸のよくつく点を健全な鍛えの証として挙げる。脇指では肌がやや立ち、上半が棟寄りに流れるものもあり、彼の好む彫物、腰元の素剣あるいは梵字に裏の護摩箸は、すっきりとして刀身によく調和すると評される。
もう一つの作風は尾張関の濡れ刃で、刀・薙刀・槍に運ばれる。総体に流れて柾がかった板目に地沸つき、広直刃調あるいは浅い小のたれ・互の目を主調に尖り刃・小互の目を交え、足・葉入り、沸は時に荒く叢につき、金筋・砂流しを見せ、匂口は沈みごころとなる。説明書はこれを端的に名指す。大振りの慶長姿の刀にこれを読んで「尾張関得意の濡れ刃」[[c:2]]とするのである。薙刀・槍は大振りで堂々とし、帽子は先尖って地蔵風となるものもあり、説明書は彼を「短刀、薙刀の名手として名高い」[[c:3]]としつつ、就中の上々作は少ないと記す。
尾張新刀のうちで彼を分かつのは、まさに極めの言うところである。刃縁のほつれ・明るい匂口・柾流れの地鉄を備えた直刃の手はその短刀を知る常であり、濡れ刃は尾張の他の祖工と共有する美濃から尾張への関の流れを示す。通常の抑えた作柄を離れ、刃取りが大胆で沸がよくつき地鉄に古色のある脇指について、説明書はさらに高きを狙ったかと判じ、「相州上工、就中貞宗や信国あたりを狙ったものであろうか」[[c:4]]と読み、その結果を「同作中出色の一口」[[c:5]]と称える。その家は岐阜大道の子で養子となった二代美濃守藤原政常に続き、その在銘の刀・槍が同じ記録に残る。
収集の観点では、政常は稀な幻ではなく、よく記録された尾張一派の祖である。藤代の極めは上作。国宝はなく重要文化財もなく、その記録は近代の重要刀剣を通じ、特別重要刀剣・重要刀剣の級に十七口、さらに戦前の重要美術品に二口を数え、内には徳川家達旧蔵で現在徳川黎明会の蔵する刀がある。来歴は大名家と宮廷の家に及び、徳川家・宮内庁への伝来が記録され、一口は秋葉山本宮秋葉神社に伝わる。説明書がそろって「刀及び鎬造の脇指は極めて少ない」[[c:6]]とするため、在銘の刀こそ稀少で、政常その人の研究資料として貴重とされる。その平造の短刀・脇指・槍・薙刀は折々収集家の前にあらわれ、二代ではなく彼自身の手になる在銘の尾張政常は、尾張新刀いかに始まったかを語る、満ち足りた、なお手の届く一作である。
政常の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
美濃伝 · 尾張
現在12点販売中
尾張政常は、美濃国納土に生まれた相模守政常を祖とする一系である。政常は初め兼常と銘し、永禄十年に分家独立して小牧村に移り、この頃に名を政常と改めたとみられる。天正十九年五月に相模守を受領し、慶長五年、松平忠吉に従って清洲に移った。清洲では伯耆守信高、飛騨守氏房とともに鍛刀し、後世に尾張三作と称される一人となり、やがて尾張徳川家の抱え工となっている。慶長十二年には入道隠居してその子に相模守政常の名を継がせたが、二代が急逝したため再び現役に復し、以後政常入道と入道銘を用いたといい、元和五年、八十四歳で歿したと伝える。説示が扱う工は、この相模守政常を中心とし、兼常と二字に銘した初期作から、相模守を受領して以後の政常時代、さらに政常入道銘の時期に及ぶ。あわせて、岐阜大道の子で相模守政常の養子となり二代目を継いだ美濃守政常も含まれ、本国美濃の関鍛冶を根に、清洲移住を経て尾張藩の庇護下に展開した一門である。 作風は説示が繰り返し記すところに明瞭である。鍛えは板目に杢を交え、棟寄りに流れて柾がかる傾向を示し、地沸が微塵によくつき、地景がよく入る。区下や区際から水影風の立つ例も認められる。刃文は中直刃を基調とし、処々に小互の目・小丁子を交え、小足・葉が入り、小沸がよくつく。刃縁にはほつれ・二重刃・喰違刃・打のけがあらわれ、金筋・砂流しが細かにかかって匂口は明るい。帽子は直ぐに小丸、あるいは浅くのたれて返り、先を掃きかける。彫物には素剣・護摩箸・梵字・倶梨迦羅などがみられ、刀身によく調和して作を引き締めている。現存する作は平造の脇指・短刀が最も多く、しかも上手であって、刀および鎬造の脇指は極めて少ない。一方で槍・薙刀を得意とし、槍は平三角造の直槍が多く、稀に両鎬造や十文字を見る。見分けの要は、柾がかる地鉄に明るい直刃を主体とする端正な作柄と、刃縁の二重刃・喰違刃や帽子の掃きかけにあり、互の目が箱がかって沸の強まる乱刃の一作風も知られる。 鑑定にあたっては、まず銘の推移を押さえることが肝要である。兼常二字銘は政常受領以前の初期作にあたり、室町後期永禄頃の体配を示すため、同工の作域を知るうえで資料的価値が高い。政常入道銘は二代の急逝後に再び鍛刀した時期のもので、太鏨の長銘や七字銘を指表に切る例が多い。代表的な作には、相州貞宗や信国に範を求めたとみられる乱刃の優品、得意の直刃を端正に焼いた脇指・短刀、笹穂や両鎬の槍、大振りの薙刀があり、藻柄子宗典一作の拵に納められた脇指のように後世まで伝えられた例もある。刀や鎬造脇指の遺例が乏しいことから、これらは政常研究の資料としても重んじられる。尾張三作の一として清洲鍛冶の系譜に位置づけられ、美濃伝を根としながら相州風をも取り入れた点に、桃山から江戸初期の尾張新刀を代表する地位がある。 詳しく見る →
二世紀半の泰平のあいだ、刀は武器である以上に武士の身分の標章であった。江戸の実証と大坂の華やぎのように都市ごとの作風が育ち、時代の末には需要も細っていく。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトWe offer a 48 hour inspection period for all Antique items shipped within the United States only. If the item is not to your satisfaction, we will gladly refund your money less any shipping and handling fees. All sales are final after the 48 hour inspection period. Please note that all discounted items are a final sale and not returnable.