
(Owari) Masatsune (fss-573)
売却済
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仕様
49.7 cm
1.8 cm
2.87 cm
作者について
Owari Masatsune政常
政常は美濃国納土に生まれ、初め兼常と銘した関の伝統の工で、その美濃の根を尾張の新しい刀へと運んだ。説明書はその経歴を異例なほど詳しく追う。永禄十年に分家独立して小牧村に移り、その頃に名も政常と改め、天正十九年に相模守を受領し、慶長五年に松平忠吉に従って清洲に移り、尾張徳川家の抱え工となった。慶長十二年に入道隠居してその子に相模守政常の名を継がせたが、その二年後に二代が急逝したので再び鍛刀に復し、爾来政常入道と銘した。元和五年、八十四歳で歿している。後世には伯耆守信高・飛騨守氏房と並んで、尾張新刀を興した三工、尾張三作に数えられた。 その典型は平造の短刀・脇指の明るい直刃で、現存作の最も多い形である。小板目に杢を交えてよくつんだ鍛えに、地鉄は流れて柾がかり地沸厚くつき、細かに地景入り、数口では区下より斜めに水影風が立つ。刃文は中直刃、時に広直刃を小沸出来に焼いて小互の目を交え、小足入る。整った関の直刃と本工の手を分かつのは、働きのある刃縁である。すなわち刃縁はほつれて二重刃・喰違刃・打のけを交え、細かに砂流しかかって匂口は明るい。説明書はある短刀を全くの典型と評し、「相模守政常の典型的な直刃の作例」とする。 地鉄はその二つの手の底に変わらずある。総体に柾がかった板目に地沸つき、上手の短刀では地景が目立って地鉄が明るく読まれる。鍛えが小板目に杢を交えてつまれば強さを感じさせ、説明書は区際の斜めの水影と地沸のよくつく点を健全な鍛えの証として挙げる。脇指では肌がやや立ち、上半が棟寄りに流れるものもあり、彼の好む彫物、腰元の素剣あるいは梵字に裏の護摩箸は、すっきりとして刀身によく調和すると評される。 もう一つの作風は尾張関の濡れ刃で、刀・薙刀・槍に運ばれる。総体に流れて柾がかった板目に地沸つき、広直刃調あるいは浅い小のたれ・互の目を主調に尖り刃・小互の目を交え、足・葉入り、沸は時に荒く叢につき、金筋・砂流しを見せ、匂口は沈みごころとなる。説明書はこれを端的に名指す。大振りの慶長姿の刀にこれを読んで「尾張関得意の濡れ刃」とするのである。薙刀・槍は大振りで堂々とし、帽子は先尖って地蔵風となるものもあり、説明書は彼を「短刀、薙刀の名手として名高い」としつつ、就中の上々作は少ないと記す。 尾張新刀のうちで彼を分かつのは、まさに極めの言うところである。刃縁のほつれ・明るい匂口・柾流れの地鉄を備えた直刃の手はその短刀を知る常であり、濡れ刃は尾張の他の祖工と共有する美濃から尾張への関の流れを示す。通常の抑えた作柄を離れ、刃取りが大胆で沸がよくつき地鉄に古色のある脇指について、説明書はさらに高きを狙ったかと判じ、「相州上工、就中貞宗や信国あたりを狙ったものであろうか」と読み、その結果を「同作中出色の一口」と称える。その家は岐阜大道の子で養子となった二代美濃守藤原政常に続き、その在銘の刀・槍が同じ記録に残る。 収集の観点では、政常は稀な幻ではなく、よく記録された尾張一派の祖である。藤代の極めは上作。国宝はなく重要文化財もなく、その記録は近代の重要刀剣を通じ、特別重要刀剣・重要刀剣の級に十七口、さらに戦前の重要美術品に二口を数え、内には徳川家達旧蔵で現在徳川黎明会の蔵する刀がある。来歴は大名家と宮廷の家に及び、徳川家・宮内庁への伝来が記録され、一口は秋葉山本宮秋葉神社に伝わる。説明書がそろって「刀及び鎬造の脇指は極めて少ない」とするため、在銘の刀こそ稀少で、政常その人の研究資料として貴重とされる。その平造の短刀・脇指・槍・薙刀は折々収集家の前にあらわれ、二代ではなく彼自身の手になる在銘の尾張政常は、尾張新刀いかに始まったかを語る、満ち足りた、なお手の届く一作である。


