第二十三回特別重要刀剣に指定された二字銘「吉家」の太刀は、加治木島津家に長く伝来したもので、本文はこれを平安時代末期に置き、「藤末鎌初」の作と位置づける。その作者吉家は山城三条派、すなわち宗近の流れに連なる京鍛冶最古層の刀工で、銘鑑は古来宗近の子、あるいは弟子と伝えてきた。しかし説明はこの系図をそのまま受けない。有銘確実な作刀が相当数現存し、それらの作風から見て「宗近と直結することには無理がある」とし、やや時代の下る同派の刀工と読む。その年代観は本文により平安末期から鎌倉中期まで幅がある。
太刀は古京物の姿をよく保つ。身幅細く、腰反り高く深く、生ぶの作には踏張りがつき、小鋒ないし中鋒に結ぶ。刃文は小乱れに小丁子を交え、足・葉が頻りに入り、沸がよくつき、金筋・砂流しかかり、匂口は明るく冴える。本文がもっとも繰り返し注視するのは物打の上で、小乱れが飛焼を伴って二重刃となり、乱れ込んで小丸に返り掃きかける帽子までも二重ごころを帯びる。在銘の一口について説明は「地刃に古雅の味が深く」とし、「二重刃、二重ごころの帽子など皆その見どころである」と明記する。別の本文はこの観察を一派へ広げ、「小乱が二重刃となるなど、こうした作柄も三条派の見どころである」と記す。
鍛えは板目・小板目がよくつみ、地沸が微塵に厚くつき、地景が入り、淡い映りが立つ。これは淡い沸映りとも、地沸の乱れ映りとも記される。特別重要の本文はその地鉄を「地沸を厚く敷き地景を頻りに織りなした強い鍛えにはいささかのゆるみもなく」と讃える。作域は一様ではない。直ぐ調に小乱れを静かに交えるものから、中程で焼幅を広げて丁子乱れを主調とする華やかなものまであるが、これらを貫くのは古さの匂いであり、説明は伝吉家の一口に「如何にも古香がある」と認める。
銘は「吉家」の二字銘と「吉家作」の三字銘の二様で、太鏨をもって佩表棟寄りに切る。有銘の太刀は比較的少なく、その伝えも一律ではない。本間鑑によれば、吉家と伝える在銘の銘振りは必ずしも一律でなく、三条と伝え、あるいは古備前、あるいは一文字と伝えるものがあり、本文は「年代が古く古京物と首肯されるものは大島津家旧蔵のものと赤星家旧蔵のものの二口が知られている」と記す。在銘の一口はその銘自体に来歴を刻む。いつの頃にか吉家の二字が「天座」に改鏨されたもので、上皇の佩用刀をかく称した古例に因む改変であって悪意のものではなく、よく見れば吉家と判読できるという。在銘の周囲には大磨上無銘の刀・脇指が伝三条吉家として集まり、その極めは地刃の古調・古香に拠る。うち一口には寛文八年、本阿弥光常、代金三百五拾貫の折紙が付く。
吉家の鑑定に常に影を落とすのは同名異工であり、本文は「吉家は三条派及び備前一文字派に同名があり、銘振作風ともに相似て、いずれとも俄かに決し難いものがある」と罠を明言する。判別は彼自身の特色に拠って引かれる。在銘の一口は「沸が強く古雅」であること、加えてその銘振から三条派の吉家と鑑せられた。一方、鎌倉中期の一文字派の同名は「多く華やかな丁子乱れを焼いている」とされる。京物の内では、その沸の強さと明るく冴える匂口が、同じ小乱れを焼く綾小路定利との見分けどころとなる。吉家の本文中、うるみごころは一口の腰辺にただ一度現れるのみである。特別重要の本文はその本領を「京気質が著しく」の一語に束ねる。
藤代の位列は上々作。指定を受けた作は十七口で、内訳は重要文化財五口、重要美術品四口、特別重要刀剣一口、重要刀剣七口である。重要文化財の五口は文化財として公的収蔵にあり、市場に出ることはない。録された所蔵には京都国立博物館・林原美術館・香雪美術館・森記念秋水美術館がある。伝来は古京物にふさわしい。特別重要の太刀は島津忠朗の加治木入封に際して島津本家より贈られ、爾来加治木島津家に伝来した。重要美術品の太刀は岡山の池田家に伝来し、尾張徳川家旧蔵の無銘刀は裏の鎬上から茎にかけて「八幡」の文字を彫り、徳川美術館の蔵にある。ほかに蜂須賀家・松平家を経たもの、上杉謙信所縁の一口が録される。蒐集家が現実に出会いうるのは特別重要・重要の八口であるが、これらも手放されることは稀である。京鍛冶の最古層に連なる三条の太刀が市に現れることは少なく、本文がかくも少数しか首肯しない在銘の吉家であればなおさらである。