十一世紀初頭の往来物『新猿楽記』は、諸国の名産を列ねるなかに既に「備中ノ刀」を挙げており、その高名を受け継いだのが、高梁川下流域に栄えた青江の刀工たちである。次吉はその一派の南北朝の盛期に立ち、説明書は本工を次直・守次らと並べて十四世紀半ばの代表的な青江工の一人とする。年紀のある在銘作は延文・貞治・康安の各年、すなわち千三百五十年代から六十年代に及び、その大半は身幅広く重ね薄く反り浅い短刀・寸延びの脇指で、時代の姿を飾らずに示す。数口は今も生ぶ茎で、指表に長銘、裏に年紀を切り、その手を一年ごとに辿ることができる。
その作風を説明書が最も丁寧に描くのは、これが二様にきれいに分かれるからである。本工は締まって明るい直刃と、華やかな逆丁子乱れの二つを焼き、判者は二人の青江の名工をめぐって同じ区別に繰り返し立ち返る。すなわち「概して次吉には直刃が、次直には逆丁子乱れが多く」、いずれの刃文でも匂口は締まって冴える、と。直刃こそ本工の本領の作域である。これらの作で本工は中直刃あるいは細直刃を焼き、処々浅くのたれ、小足・葉・逆足ごころを交え、匂勝ちに小沸つき、刃中に細かな金筋がかかり、匂口は締まってことに明るい。説明書が本工と一派の最大の見どころと名指すのはこの冴えで、すなわち匂口が「しまり、明るく冴える」ことである。
地鉄が青江の残りの見どころを担う。よく約んだ小板目に、時に小杢を交えてやや肌立ち、地沸が微塵につき、細かな地景が入り、説明書が縮緬肌とも称する地斑状の肌合と澄肌を交じえる。棟寄りに乱れ映りが立ち、優れた作ではさらに刃寄りにも筋状の映りが立って、二つが重なり二重三重の段映りを形成し、かね冴える。帽子は直ぐに小丸となり、しばしば尖りごころに返り、時に返り長く、または少しく掃きかける。茎は一派の掟通り大筋違に鑢をかける。ある康安紀の短刀について判者は、「区際まで深く大胆に焼き下げた帽子の返り」を特記し、直刃出来には珍しい出来口ながら、品を落とさずむしろ小気味よく仕上げるとする。
第二の作域はより少ない方の面である。僅かな作で刃文は開いて、互の目を交えた華やかな逆丁子乱れとなり、逆足・葉が入り、匂勝ちに小沸つき細かな金筋がかかり、帽子は乱れ込んで尖りごころに返る。同じ作では乱れ映りが顕著に立つ。判者はある脇指を、逆丁子乱れと映りが相俟って同派の特色をよく示す代表作とし、ある年紀の短刀には本間の談として、この南北朝の一派において「最も匂口の冴えた短刀の丁子を上手に焼くのはこの工あるいは次直である」と記す。在銘作の傍らに第三の記録が立つ。本工と極められた大磨上無銘の刀で、身幅広く豪壮な姿に明暦三年の本阿弥折紙を留め、地斑の現れる板目地と逆足の入る匂出来の直刃ゆえに、判者は個性ではなく地刃からこれを本工の作と首肯する。
同じ一派のうちで次吉を分かつのは、まさにこの均衡である。華やかな逆丁子乱れに傾く次直に対し、本工は二人のうちの直刃の手と読まれる。匂口は両者ともに締まって明るいが、穏やかな刃を選ぶのが本工である。また、その直刃を小沸出来でやや沈んだ匂口とする先行の古青江に対し、本工のそれは南北朝の冴え、締まって明るく延べたものである。判者は直刃を本工の「お家芸の直刃」と呼び、これを焼いてその本領を発揮するとし、その優作を同作中傑れた出来映えと名指す。
収集の観点では、本工は手の届かぬ稀品というよりは、確かな格をもつ南北朝の名である。藤代の極めは上々作。国宝はなく重要文化財もなく、その記録は近代の指定を通じ、十四口が特別重要刀剣・重要刀剣の級にあり、うち二口が特別重要刀剣である。説明書は生ぶで年紀のある在銘作を同工研究の好資料として貴び、ある特別重要刀剣の脇指を同作中傑出の出来とする。その来歴は大名家を通る。梅鉢紋を金蒔絵で八個配した黒蠟色塗合口拵を伴って前田家に伝来した特別重要刀剣の脇指があり、本阿弥折紙と紋散らしの短刀箱を留めて閑院宮家に伝わった短刀があり、さらに前田家・有馬家に伝わる作が記録される。在銘の次吉が世に出ることは多くなく、指定を受けた作の大半は売買されず手元に置かれるが、重要刀剣の短刀や脇指は折にふれて姿を見せ、年紀のある在銘の一口は、備中青江を集める者が望み得る最も辿りやすいもののひとつである。