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概要·栄誉·歴史的重要度·指定·鑑定·年紀作·伝来·刀姿·銘·系譜·流派
概要栄誉歴史的重要度指定鑑定年紀作伝来刀姿銘系譜流派
  1. 流派
  2. 長谷部
  3. 國重

國重

Hasebe Kunishige

特重
巻 13, 番 9 · 脇差

國重

Hasebe Kunishige

評価作品54点

屈指の刀工
正宗十哲享保名物帳
国山城時代Kenmu (1334–1338)時代区分南北朝流派長谷部伝法相州伝代1st師匠正宗藤代Jo-jo saku刀工大鑑1,000(上位8%)種別刀工コードKUN1150
1国宝
3重要文化財
2重要美術品
3特別重要刀剣45重要刀剣

概要

国宝は名物へし切長谷部、筑前黒田家に長く伝来した脇指であり、説明はこの工の格を定めるとき必ずこれに立ち返る。無銘ながら出来が「正宗との直結を首肯せしむる」優作の筆頭が、このへし切である。長谷部国重は、相州伝を相州から京の五条坊門猪熊に移した長谷部派の頭領で、古来正宗十哲の一人に数えられる。近年の説明は一派の道筋を、本国は大和に根ざし、相州で大成し、最後に京に落着いたとするものを最も有力とし、その「本国は大和」と明記する。地鉄の柾気は、相州の作風を透かして見える大和の素地に他ならない。信国派と並んで南北朝期の山城鍛冶を代表し、その中で弟とも弟子とも伝える国信と共に、国重・国信が代表格である。

説明が幾度も同文で繰り返す見どころは、同時代に同じ華やかな皆焼を焼いた相州の広光・秋広に対して語られる。相州の皆焼は丁子と互の目を刃取りの基本とし、帽子が「突き上げて尖りごころに返る」のに対し、長谷部はのたれに互の目を交え、「帽子が大きく丸く」、返りを長く焼き下げてそのまま棟焼に繋がる。これが極めの表である。その底に最も鋭い見どころがあり、ほぼ全ての説明が挙げる。鍛えに「相州には少ない柾気が刃寄りと棟寄りに著しく」見られ、相州作の見せぬ大和の柾が現れる。加えて重ねの至って薄い造込みを手癖とする。帽子の対比も同様に繰り返され、相州が「突き上げて尖りごころに返る」のに対し、長谷部は「帽子が大きく丸く」、返りを長く焼き下げて棟焼に繋がる。

地鉄は板目総体に肌立ち、刃寄り・棟寄りが柾がかり流れて、地沸厚くつき地景入る。広めの作には地斑調の肌合も交じる。これにのたれに互の目を交え、足・葉入り、匂深く、小沸よくつき、金筋・砂流しが頻りに長くかかって、飛焼・湯走り・棟焼が地と棟にかかり皆焼となる。帽子は乱れ込んで掃きかけ、丸く、返りを長く焼き下げる。彫物は梵字・素剣・護摩箸、棟寄りの刀樋・二筋樋を見る。姿は時代そのもの、平造・三ツ棟、身幅広く重ね薄く、寸延びて浅く反る、南北朝期の平造脇指の造込みであり、長谷部の極めどころである。

作風は四様に分かれる。主流は右の皆焼を焼く寸延びの平造脇指・短刀である。その傍らに、より静かで稀な部類を説明は明記する。「皆焼をもって典型とするが、稀に」直刃調あるいは浅い大どかなのたれを焼き、刃縁ほつれて二重刃となり、飛焼は僅かで、静かな乱れとなる。その一口を「一見相州伝上工を思わせる」と評し、これが国重にまま見られるとする。太刀寸の作はほぼ全て大磨上無銘の刀として遺り、生ぶ銘は磨上げに失われ、本阿弥光常の手と読まれる金象嵌銘が極めを担う。刃文は小のたれに互の目・丁子風を交えて華やかとなり、棟を総体に焼く。最後に在銘作の本体があり、多くは茎中央寄りに「長谷部国重」と五字に切り、国構えの中が「玉」あるいは「王」となるものがある。銘振りの相違と年紀の幅から、説明は同名数工が代を重ねた古来の説に及ぶ。確実な有銘の太刀は最も稀で、「有銘の太刀の遺例は極めて稀」とし、細身で古調な僅かの遺例を研究資料として貴ぶ。

この工を分けるものは、共に働いた相州の双璧に対して読むのが最も良く、しかも彼自身の見どころが境を引く。のたれに互の目の刃取り、長く棟焼に返る丸い帽子、何よりも刃寄り・棟寄りの柾気が、丁子と互の目の皆焼と尖る帽子の広光・秋広から彼を分ける。説明はその出来を相伝の上位と読む。将軍家伝来の金象嵌銘刀を「覇気横溢した同工極めの優品」と称揚し、稀な有銘の太刀を相州伝上位の作柄が見事と評す。へし切そのもの――原銘を額銘に遺す大磨上の刀――は、出来が正宗との直結を首肯せしむる作として繰り返し挙げられ、十哲に列なる彼の位置の礎となる。年紀は確実な最古の文和四年(一三五五)に始まり、説明はこれを「長谷部研究のつけ石」と呼ぶ。より古い貞和紀の太刀があるが研究の余地が残るとされ、文和四年紀が編年の基点となり、以後延文・貞治・応安から永和に及ぶ。

藤代の極めで上々作、刀剣美術名物帳の評価は一〇〇〇。指定の重みは厚く、国宝の名物へし切長谷部の下に重要文化財・重要美術品三口を戴き、その下に特別重要刀剣・重要刀剣の級に四七口が立つ。国宝・重要文化財は文化財として永く守られ取引されることはなく、その名に録された機関には熱田神宮・東京国立博物館・京都国立博物館・徳川美術館がある。大磨上の金象嵌銘刀は徳川将軍家に伝来し、将軍家伝来と記される。来歴は大名家を貫き、重要の脇指の一口は「元和三年九月十四日、将軍秀忠が膳所城御成り」の節に藩祖本多康俊が拝領し、爾来本多家に伝来した。延文二年紀の重美の短刀は犬山藩主成瀬家に伝え、へし切そのものは筑前黒田家に長く蔵された。重要作の数口は本阿弥の折紙を伴い、延宝五年本阿弥光常の一口もある。一私人が現実に手にし得るのは取引の級の脇指・短刀の一口で、それとて市に現れるのは折々に過ぎない。有銘の長谷部国重が現れれば一事件であり、国宝と大名家の名品は、取引されるものではなく護られるものである。

栄誉

正宗十哲Masamune Juttetsu (Ten Brilliant Students of Masamune)

正宗十哲の一人と伝

正宗十哲 ― 幕末の『刀剣正纂』(文久2年・1862)に初出する後世の括りで、同書自体が「後人ノ憶説ナレバ、今取ラズ」と注記する。兼光・長義・金重・直綱は年代的に直弟子とは考え難く、則重は新藤五国光門下の相弟子とするのが通説。しかしNBTHK説明には頻繁に言及され、鑑定用語として定着している。名簿には異同があり(直綱に代えて貞宗を数える説、金剛兵衛盛高を来国次または直綱に代える説)、本栄誉は標準的な十工に付す。

享保名物帳Kyōhō Meibutsu Chō (Catalog of Celebrated Blades)

所載1口(名物へし切長谷部)

享保4年(1719年)、本阿弥家が八代将軍徳川吉宗に献上した名物刀剣の台帳。平安〜南北朝の刀剣約274口(現存168口+焼失約80口+追記約26口)を刀工別に収載し、号の由来・寸法・代付・伝来を記す。本栄誉は名物帳に作品が所載される刀工に付与され、詳細欄には刊行集計による口数(正確な場合)または所載名物の号を記す。

歴史的重要度

國重の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。

随一
随一
屈指
屈指
有数
有数
著名
著名

各項目を選ぶと評価方法が表示されます。

指定

国宝1
重要文化財3
重要美術品2
御物—
特別重要刀剣3
重要刀剣45

名工ランク

鑑定

年紀作

伝来

刀姿

評価作品54点の分布

銘

評価作品54点の銘の種類

販売中

系譜

師匠Masamune
國重
弟子(3名)
  1. 1.國信Kuninobu41指定
  2. 2.國平Kunihira3指定
  3. 3.國重Kunishige2指定

長谷部派

長谷部派の他の刀工

  1. 1.國信Kuninobu41指定
  2. 2.國平Kunihira3指定
  3. 3.國重Kunishige2指定
  4. 4.宗信Munenobu2指定
  5. 5.重信Shigenobu1指定

國重

國重(Kunishige)は、山城の長谷部派の刀工です。

建武に活動しました。

作風は相州伝に属します。

國重の作品には、国宝1点、重要文化財3点、特別重要3点、重要45点が指定されています。