正阿弥勝義は、天保三年(1832年)に美作国津山(現在の岡山県津山市)に中川勝継の三男として生まれる。幼名を淳蔵と称し、十三歳より父に彫金を学んだ。嘉永二年(1849年)に十八歳で岡山正阿弥の藤四郎家の養子となり九代目を継ぎ、嘉永三年には備前池田藩の抱え工となる。実兄の中川勝実(一乗門、一匠、一勝同人)を通じて後藤一乗の作風も学んでいる。明治九年(1876年)に四十五歳で廃刀令にあい、刀装具の製作を断ち、明治四十一年(1908年)に七十七歳で没した。維新後は京都に出て彫金師として室内装飾品の製作に彫技を振い、花瓶、香炉、香合などを主に製作した。
勝義の作風は、初め正阿弥風であったが、後に兄の一匠を通して一乗の影響を受け、作風に変化を見せている。刀装具においては、鉄、赤銅、朧銀などを素材とし、高彫、色絵、象嵌など多様な技法を駆使する。画題は、持国天、歌絵、虫尽しなど多岐にわたり、写生に徹したリアルな表現や、風流のなかに覇気を感じさせる意匠が特徴である。特に象嵌においては、金、銀、赤銅、素銅、四分一などを用い、入念精緻な象嵌が存分に施されている。作域は刀装具にとどまらず、置物や香炉などにも及ぶ。
勝義の作品は、「同作中でも屈指の作」、「勝義中の傑作というべき作」、「勝義晩年の力作と称すべき出来栄え」と評されるように、意匠の狙いといい充実した鏨使いといい、高い評価を受けている。刀装具製作同様に入念の作で構図、彫技ともに立派な出来栄えを示し、幕末から明治にかけての金工界において、独自の地位を確立した。