正阿弥傳兵衛は、出羽秋田正阿弥派を代表する金工である。慶安四年(1651年)に出羽国庄内(現在の山形県庄内地方)に生まれ、寛文八年(1668年)十八歳の時に江戸へ出て正阿弥吉長の門に入り、その技を学んだ。延宝四年(1676年)に正阿弥の流名を許され、正阿弥傳兵衛と名乗る。延宝元年(1673年)に遡って秋田に移り、同三年(1675年)には秋田藩主佐竹義処の抱え工となり、秋田正阿弥随一の金工として活躍した。享保十二年(1727年)に七十七歳で没した。秋田正阿弥派は慶長年間に佐竹侯に従って江戸より秋田へ移住したと伝えられる。
傳兵衛の作風は多岐にわたり、「秋田名物の蕗図や雲龍図を肉彫地透象嵌で表したものや、漆芸の堆朱のような効果を発揮したぐり彫などをはじめ多岐に亘っている」。特に秋田名産の蕗を題材とした作品が多く遺されている。地金は朧銀、赤銅、四分一、鉄などを用い、高彫、肉彫地透、象嵌、ぐり彫など、様々な技法を駆使している。象嵌においては、金、銀、七宝などを用い、線象嵌、布目象嵌など高度な技術を示す。構図は写実に図案を加味した独特のデザインであり、漆芸の技術であるぐり彫を取り入れるなど、色彩効果も重視している点が特色として挙げられる。また、肥後や京・阿波の唐草とは全く異なった獨特の金布目象嵌の意匠も見られる。真丸形、お多福木瓜形、変り撫木瓜形、六角形など、鐔の形状も多様である。
傳兵衛の作品は、「構図が斬新であり、線象嵌や布目象嵌など高度な象嵌技術には目を見張らせるものがある」と評されるように、その意匠の斬新さと高度な技術が特徴である。また、「写実に図案を加味して、正阿弥の伝統の上に秋田正阿弥という個性的な作風を示した」と評されるように、伝統的な技術を継承しつつも、秋田正阿弥派としての個性を確立した。その作域の広さ、技術の高さ、意匠の斬新さから、秋田正阿弥派第一の名工と称され、同派を代表する人物として高く評価されている。