安芸輝広

安芸伝法美濃伝コードNS-AkiTeruhiro
国宝
重要文化財
重要美術品1
御物
特別重要刀剣1
重要刀剣41
43指定品総数
2名工数
100%在銘 100%
100%名工帰属 100%
7現在の出品
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概要

輝広は本国を美濃とし、関の兼常の末葉に連なって初銘を兼友または兼伴と称したと説示は伝える。後に埋忠明寿に学び、福島正則に仕えて輝広と改め、肥後守を受領し、正則に従って尾州清洲へ移り、慶長五年に芸州広島へ移住したという。長く語られてきたこの経歴に対し、天正十七年紀で濃州関住輝広造と銘した刀の出現は、美濃在国の時代からすでに輝広を名乗り、明寿入門以前に刀工として大成していた事実を明らかにした。説示はこの刀の覇気あるのたれの出来をもって、入門以前にすでに優れた技倆を備えていた証とみなしており、これにより明寿と輝広の師弟関係には再検討の余地が生じ、今後の研究に俟つところとされている。二代は本国尾張、姓は蟹江氏、通称を甚八、初銘を兼久と称し、初代肥後守輝広の門に学んで師に見込まれて娘婿となり、福島家に仕え、同家改易の後は浅野家に仕えたと記される。二代には慶長十五年紀の脇指が遺存して初代と作刀年代に大きな差がなく、初代同様に明寿との関わりが窺われると説かれる。福島・浅野両家の庇護のもと、子孫は長く広島の地に栄えた。

地鉄は板目に杢・流れ肌を交えて総じて肌立ちごころとなり、地沸が微塵に厚くつき、地景が頻りに入ってかねが冴える点が、両代を通じて繰り返し記される。刃文はのたれを主調に互の目・尖りごころの刃を交え、足・葉が入り、匂深く沸が厚くつき、金筋・砂流しがかかり、処々に飛焼や玉状の湯走りを交える。帽子は三品風を呈する作が多く、刃寄りの流れ肌や尖りごころの刃と併せ、美濃系出身を窺わせる徴とされる。初代は天正・慶長初頭ののたれ基調に放胆な大模様を示し、二代は師風をよく継承しながら互の目がいま一段目立つと説かれ、代の判別は互の目の現れ方と作柄の大小に拠るところが大きい。一方で説示は、相州貞宗に範をとった大乱れの作、大和当麻を狙った中直刃に喰違刃を交える作など、常の作域を離れた写し物の存在も挙げ、作域の広さを示している。

鑑定にあっては、流れ肌を交えた肌立ちごころの鍛え、のたれに互の目・尖りごころを交えた刃取り、三品風の帽子、そして処々の飛焼が同工の手癖として要を成す。代表する遺品には濃州関住輝広造の刀、播磨守輝広の脇指・短刀のほか、薙刀や平三角造の槍が含まれ、初代・二代ともに現存は少なく、刀・短刀・槍・薙刀を合わせても二十口に満たないと記される。中でも薙刀や平三角造の大身槍はまま伝わり、柾ごころに流れた鍛えに直刃調浅くのたれた刃を焼き、地刃の冴えた優れた出来を示すものが知られる。彫物は二代に少ないとされながらも、刀樋や護摩箸、薙刀樋に添樋を掻き流す作があり、稀に古作に範をとった濃密な彫が施されて躍動感を見せる例も経眼される。美濃の出自を地鉄と帽子に留めつつ、相州貞宗や大和当麻の古作に学んで作域を広げた芸州広島の一系として、輝広父子の作は位置づけられる。

指定

43 指定 · 2 名工数

指定の位置づけ

重み付け指定指数 0.17(指定 43 点)

流派中 上位46%

2026/6/24 時点

伝来

伝来記録のある作品 2 点

伝来の位置づけ

伝来指数 1.89(伝来 2 点)

流派中 上位88%

主要工

上位指定の希少度で順位付け

  1. 1.輝廣1589-161538
    流派内 88.4%
  2. 2.輝廣1624-16445
    流派内 11.6%

現在の出品